スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース(2023)
Spider-Man: Across the Spider-Verse – Part One
監督:ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・トンプソン
出演:シャメイク・ムーア、ヘイリー・スタインフェルド、ジェイク・ジョンソン、イッサ・レイetc
評価:60点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を観てきた。『スパイダーマン:スパイダーバース』以降、海外アニメ映画界は新しいフェーズに突入したように思える。『バッドガイズ』のようなヌルヌルした動きとゲーム的パキパキした動きを手繰り寄せる手法や『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』のようにコミック調に特化した質感を持たせたりと、ディズニーピクサーやイルミネーションなどが手がける3DCGアニメーションとは異なる演出を軸とする動きが出てきたように思える。そんな記念碑的作品の続編が公開された。評判も高かったので観たのだが、これが思った以上に厄介な作品だった。
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』あらすじ
ピーター・パーカーの遺志を継いだ少年マイルス・モラレスを主人公に新たなスパイダーマンの誕生を描き、アカデミー長編アニメーション賞を受賞した2018年製作のアニメーション映画「スパイダーマン スパイダーバース」の続編。
マルチバースを自由に移動できるようになった世界。マイルスは久々に姿を現したグウェンに導かれ、あるユニバースを訪れる。そこにはスパイダーマン2099ことミゲル・オハラやピーター・B・パーカーら、さまざまなユニバースから選ばれたスパイダーマンたちが集結していた。愛する人と世界を同時に救うことができないというスパイダーマンの哀しき運命を突きつけられるマイルスだったが、それでも両方を守り抜くことを誓う。しかし運命を変えようとする彼の前に無数のスパイダーマンが立ちはだかり、スパイダーマン同士の戦いが幕を開ける。
オリジナル英語版ではシャメイク・ムーアが主人公マイルス、ヘイリー・スタインフェルドがグウェン、オスカー・アイザックがミゲルの声を担当。
物語の外側を走ろうとして
ギャスパー・ノエ映画のような混沌としたテロップ芸から始まり、映画は幾重にも異なるタッチで層を形成しながらアクションを紡いでいく。しかし、意外なことに映画はヴィランとの対立よりも、グウェンやマイルスのプライベートに迫る。ヒーローとして活躍しつつも、家族や自分の人生と向き合っていく。映画は人生のダイジェストだとすると、本作はそこから切り落とされてしまったかのようなリアルな人間ドラマにフォーカスが当たっていく。そのため、最初の90分ぐらいは、今回の敵はなんなのか?このエピソードはどう絡んでくるのかよく分からない宙吊りな状況で進行していく。もちろん、弱そうに見えて厄介な敵スポットの存在がチラつくものの、彼は真の敵なのかという疑惑がずっと脳裏に巡る。なぜならば、あまりにも小者なのだ。
そして映画を追っていくと、様々なユニバースのスパイダーマンが形成するソサエティに到達する。そこで運命論を突きつけられる。ここでテーマが提示されるのだ。キャラクターに付与された運命に従うべきか否かと。ここで腑に落ちる。なぜ、新しいスパイダーマンが登場する旅にコミックブックを提示する演出が入るのかと。これは『トゥルーマン・ショー』に近い構図を持っているのだ。世界調和のためにマイルス・モラレスの運命をコントロールしようとする。今まで自分が選択していたこと、そしてこれから選択することは無意味なのかとアイデンティティの揺らぎに悩まされつつ、それを乗り越えようとしていく。
この概念を剥き出しにすることで間違いなく今後のハリウッド大作の流れは変わるであろう。なんだかパンドラの箱を開いてしまったかのように感じた。確かに、マルチバースの概念を出すことにより、二次著作物的ななんでもあり感が許容されようとしている。しかし、その中でもキャラクターの型や物語の型は存在する。その型に従うだけでは単に二番煎じになるだろう。その型を乗り越える必要があるのでは?本作はこのような問題提起を行い、実践しようとしていたのである。
興味深い一方、この作品におけるアクションは前作と比べると微妙なものがあった。確かに点で観るとカッコいいのだが、線で観ると雑然としているように見える。特に、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館でのアクションシーンにはガッカリした。ソロモン・R・グッゲンハイム美術館といえば2019年に世界遺産に登録された建築物。螺旋状の通路と大きな広場による空間は面白いアクションが期待できる。世界遺産に登録されてしまったので、実写でのアクションは難しい。アニメだからこそできるアクションがあるのでは?そう思って観たのだが、キャラクターの位置関係が分かりにくく、側面と底面、螺旋通路の高低差を全く活用できていなかった。マシュー・バーニー『クレマスター3』をはるかに下回る手数だったのだ。もちろん、異なる世界線のスパイダーマンを同時共存させた際の違和感のなさは凄いと思ったが、アクション面に関しては微妙だったので、全体的にそこまで乗れない作品であった。
※映画.comより画像引用