『Police, Adjective』定義を操るときに生まれる暴力

Police, Adjective(2009)
Politist, adjectiv

監督:コルネリュ・ポルンボユ
出演:ドラゴス・ブクル、ヴラド・イヴァノフ、ジョージ・レメスetc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、自分の尊敬する映画人である済東鉄腸さん(@GregariousGoGo)がエッセイ本「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話」を出版した。本著を読んでいると、コルネリュ・ポルンボユ監督の『Police, Adjective』についてかなりのページ数を割いて紹介がされていた。出版記念対談配信するにあたって、この映画は観る必要があるなと考え挑戦してみた。コルネリュ・ポルンボユ監督といえば、謎の口笛映画『ホイッスラーズ 誓いの口笛』や金属探知機で宝を探そうとする『トレジャー オトナタチの贈り物。』で知られているのだが、どれもとっつきにくかったイメージがある。しかし、本作は済東鉄腸さんが夢中になるのも納得な作品であった。


▲2/25(土)21時より済東鉄腸さんと対談配信します

『Police, Adjective』あらすじ

A police officer refuses to arrest a young man for offering drugs to his friends.
訳:友人に麻薬を勧めた青年の逮捕を拒否する警察官。

IMDbより引用

定義を操るときに生まれる暴力

高校生の後を延々とつけていく描写から始まる。一通り調査が終わると、上司に報告する。高校生はマリファナを吸っていはいるが、売人ではないようだ。決定的な証拠がないので逮捕はできないと説明するのだが、上司は意地でも捕まえたいらしく、エビデンスを掴んで来いと言う。本作はいわゆる張り込みものである。映画は人生のダイジェストであり、通常であれば張り込みも次々と証拠が出てきて怒涛の展開を迎える訳だが、本作は異なる。何も証拠が見つからず、ただ現場とオフィスを往復する虚無な運動を長回しで撮っていくのである。人生のダイジェストの外側を描く作風である。だが、この長回しが妙に惹き込まれる。例えば、警察官が高校生の家の前をさりげなく通過する。その際に車のナンバーを暗記していて、電話を片手に報告をする。そのまま、道なのかよく分からない場所へと歩いていき、誰かを待つ素振りをみせながら張り込みを継続する。この撮影の芸の細かさに衝撃を受けた。

また、本作の山場は上司から辞書的な定義を読ませられる場面だろう。この一連の流れがこれまた長い。受付で5分近く待たされる。ただ待っている警察官と、事務作業する女性が映し出される。そして上司に呼び出されて、詰問を受ける場面で、彼が「ちょっとルーマニア語の辞書を持ってこい、5分ぐらいで用意できるか」と秘書に連絡する場面があるのだが、これも本当に数分間間伸びした時間が描かれる。この徹底した退屈さに力強さが宿っている。そして、辞書的な意味を読ませて、部下の矛盾を突こうとしてくる。

我々も、日常生活を送る上で、辞書的な定義と感覚的な定義を都合よく切り替えて生きている。実際にこの警察官もその揺らぎの中に矛盾を抱えて生きている。だが、他者をコントロールするため、自分の欲望を満たすために都合の良い定義の切り替えを行うとそこには暴力性が芽生える。そしてその対象にされた者にはブルシットジョブが重くのしかかるのである。

本作は決してルーマニアの警察の話ではなく、日本の会社生活でも頻繁にみられる光景であり、言葉の定義の観点から他者をコントロールする状況を見出したコルネリュ・ポルンボユ監督は凄いなと感じたのであった。

※IMDbより画像引用