ザ・ホエール(2022)
The Whale
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、タイ・シンプキンス、サマンサ・モートンetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第95回アカデミー賞で主演男優賞(ブレンダン・フレイザー)、メイク・ヘアスタイリング賞を受賞したダーレン・アロノフスキー監督作『ザ・ホエール』が公開された。ダーレン・アロノフスキーは「何を信じるか」の在りどころを追求する作品を一貫して作っているイメージがあり、長編デビュー作『π』では数式を信じる男の狂気が描かれてきた。『レクイエム・フォー・ドリーム』は薬物に依存する人を描き、『レスラー』では自分が信じて突き進んできた人生の崩壊を薬物依存と重ねて描いてきた。『ブラック・スワン』では、将来の不安が自己の鏡像として現出していく恐怖が描かれてきた。彼は、信じていたものが信じられなくなった時、それは依存や狂気に向かうことを姿形変えて描いてきた。その傾向からか、近作は『ノア 約束の舟』、『マザー!』と聖書をテーマにした作品を製作してするようになった。今回は、彼のフィルモグラフィーの集大成とも言える作品である。ブレンダン・フレイザーが強烈な特殊メイクを行い、余命わずかな大男を演じている作品だが、根底にあるのは従来通り「信仰の拠り所と依存」である。これが非常に良くできた物語であった。今回はネタバレありで書いていく。
『ザ・ホエール』あらすじ
「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキー監督が、「ハムナプトラ」シリーズのブレンダン・フレイザーを主演に迎えた人間ドラマ。劇作家サム・D・ハンターによる舞台劇を原作に、死期の迫った肥満症の男が娘との絆を取り戻そうとする姿を描く。
40代のチャーリーはボーイフレンドのアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで健康を損なってしまう。アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てているが、心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた。自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前にアランと暮らすために家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会いに行くが、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた。
272キロの巨体の男チャーリーを演じたフレイザーが第95回アカデミー賞で主演男優賞を受賞。メイクアップ&ヘアスタイリング賞とあわせて2部門を受賞した。共演はドラマ「ストレンジャー・シングス」のセイディー・シンク、「ザ・メニュー」のホン・チャウ。
緩やかな死を求める男の剥き出しで醜悪な本心
リモートで授業を行う男チャーリー(ブレンダン・フレイザー)。生徒はカメラをオンにして彼の創作術を聞く。しかし、チャーリーのカメラはオフのままだ。声だけ聞くと冷静沈着だが、その実情は凄惨であった。一日中、部屋に引きこもる。体重が272キロもあるため、まともに動くことができず、スマホを床に落としてしまうと自力で拾うことができない。醜悪な声と軋み音を轟かせながら、家で悶える毎日を送っている。そんな彼の前には、何人かの人間が定期的に現れる。ひとりは、看護師リズ(ホン・チャウ)だ。彼女は彼に「病院へ行こう!」と心配する。だがチャーリーは拒む。なぜならば、緩やかな死を望んでいるからだ。食べ物を一気に口に入れ、偶発的な窒息死を狙おうにも、生存本能が作用して死ぬことができない。恋人のアランが亡くなって以降、自暴自棄になるも、自死することができない彼は、暴飲暴食の限りを尽くし死期が訪れるのを待っているのだ。彼の元には2人の悪魔的存在もやってくる。ニューライフという終末論系の新興宗教へ引き入れようとする青年トーマス(タイ・シンプキンス)、そして彼を拒絶する娘のエリー(セイディー・シンク)だ。チャーリーは、訪問者との対話を通じて最期に寄り添う場所を模索する。
本作では、チャーリーの肉体が重要な役割を果たしている。彼は醜悪な肉体をトーマスに魅せつけ、「本音で俺のことをどう思うか言ってみろ!」と語る。しかし、最初の頃のトーマスは当たり障りのないことを話す。彼の肉体はある意味、本心そのものを体現している。我々は他者と話す時、本音と建前を使い分ける。本心は醜悪だったりするのだ。その醜悪さは、本当に親密な間柄でなければ提示した途端に関係性が崩壊してしまう。チャーリーの家は、彼の心象世界ともいえる。リモート授業ではあれだけ、思慮深く話している人物も心の内面は、死への恐怖や絶望によってぐちゃぐちゃとなってしまっている。リズは絶望するチャーリーを治癒するために家(=彼の心理)へと入っていく。ふたりが本心をぶつけあうことでチャーリーは前へと進むことができる。トーマスはなぜ執拗にチャーリーの家へと侵入するのか?それは、精神が衰弱している状況下では何かに縋りつきたくなるものであり、そこへ漬け込むことで新興宗教へ加入させることができるからである。新興宗教へ加入させることが目的なので、その対話には本心はない。剥き出しの本心に偽りの本心をぶつけて入会させようとする構図が生まれる。
悪魔の誘いとして映るトーマス。そこへ、家族からの拒絶、現実問題の象徴として娘が現れる。彼女は、剥き出しの本心でチャーリーと接していくのだ。それは強烈なもので、過去のトラウマ、今そこにある拒絶と向き合わなければならなくなる。癒しとしてのリズ、悪魔としてのトーマス、現実問題としての娘と対話する中で、彼はハーマン・メルヴィル「白鯨」における信仰論と自分の人生を強固なものへと結びつけていく。本作において巨大な鯨は、信仰のようなものだと定義している。人生における目的として鯨は存在しているとした時に、娘の書いた「白鯨」の感想が刺さってくる。長すぎて、まるで先延ばしにしているようだと。これは、生きる目的を失い死のうとするが、その死が先延ばしになっている状況と紐づき葛藤する。だが、娘を白鯨と見立てた時に刹那な希望が生まれてくるのではないか?本心をぶつけても大抵は大きな災いを呼ぶ。チャーリーがメーリングリストで送ったメッセージが炎上した件もそうだし、娘が学校に提出したレポートもそうだ。しかし、本心同士ぶつかりあった時に見える光は存在する。
ダーレン・アロノフスキー監督は、単に絶望下の中で希望を見出し改心する話にすることなく、複雑な葛藤を通じて一歩だけ光のある方向へと進む繊細な話を作った。そして、醜悪な肉体を持つ男の足掻きの中で見え隠れする本音のリバーシを通じて「何を信じるか」の在りどころに迷う者の本質へと迫った。
※映画.comより画像引用