【アマプラ】『ミラノの奇蹟』ヴィットリオ・デ・シーカの画作りが凄すぎた件

ミラノの奇蹟(1951)
MIRACOLO A MILANO

監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
出演:フランチェスコ・ゴリザーノ、パオロ・ストッパ、エンマ・グラマティカ、ブルネラ・ボーヴォetc

評価:100点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

最近は出勤の際にMUBIで映画をダウンロードして観るのが日課となっている。MUBIではヴィットリオ・デ・シーカ特集が組まれているので試しに『ミラノの奇蹟』を観てみた。ヴィットリオ・デ・シーカといえばネオリアリズモ映画の重要人物で『自転車泥棒』が有名。つまり教科書的な監督のイメージが強いのだが、この作品を観て驚かされた。あまりに凄すぎてオールタイムベスト映画が書き変わるぐらいの作品であった。これから書いていく。

オールタイムベスト映画(2023/7/29更新)

1.痛ましき謎への子守唄(2016,ラヴ・ディアス)
2.オルエットの方へ(1971,ジャック・ロジエ)
3.ストップ・メイキング・センス(1984,ジョナサン・デミ)
4.The Forbidden Room(2015,ガイ・マディン)
5.ジャネット(2017,ブリュノ・デュモン)
6.*Corpus Callosum(2002,マイケル・スノウ)
7.見知らぬ乗客(1951,アルフレッド・ヒッチコック)
8.ひかり(1987,スレイマン・シセ)
9.ミラノの奇蹟(1951,ヴィットリオ・デ・シーカ)
10.仮面/ペルソナ(1966,イングマール・ベルイマン)

『ミラノの奇蹟』あらすじ

ある日、小川のほとりにひとり住むロロッタ婆さん(エンマ・グラマティカ)は、裏のキャベツ畑から男の赤ん坊を拾い上げ、トトと名ずけて彼を育てることにした。トトが六歳になった時婆さんは死に、彼は十八歳になるまで孤児院に入れられた。ミラノの街に放り出された青年トト(フランチェスコ・ゴリザーノ)は無類に気の好い性格でその晩、乞食の爺さんと知り合い街外れの広場にある堀立小屋に泊めて貰うことになった。春になりトトはこの広場にあり合せの材料を集めて、貧しい人々のための集落を作りはじめた。

映画.comより引用

ヴィットリオ・デ・シーカの画作りが凄すぎた件

話自体はいたってシンプルで、おばあちゃんに拾われた赤子がすくすく優男へと成長し、ドヤ街に流れ着く。そこで人気者になっていくが、都市開発の魔の手が迫り対決することになるといったものだ。それを、圧倒的な手数の映像演出でバキバキに画をキメてくる。例えば、序盤、主人公が馬車の後ろを歩いていく場面。馬車が画面の一部を覆うことで、画郭が変更される。そして馬車を追跡する場面は反復表現として後半にも登場するのだが、そこでは幽霊ばあちゃんと二人のおじさんがダッシュしながら追いかけてくるシュールなものとなっており、その終わりに、幾つもの馬車の屋根がパッカーンと開く。『田園に死す』のラストが同時多発するのである。

ファンタジーとしての超常現象を映像でどのように魅せるのかに特化した作品となっており、本作では静と動の関係性から魅力的に描いているといえる。前者の場合、あまりにも違和感しかない、荒野にポツンと立つ扉やくじ引きで当たった肉をおじいさん一人が貪り食う(これはネオリアリズモとファンタジーの素晴らしい融合例であろう。通常であれば、暴動が起こってもおかしくないものを、発生させない。それにより主人公の良心が集落へと伝播したことを示すいい場面である。)に現れている。動なる部分は、クライマックスの浮遊はもちろん、都市開発の魔の手を撃退するために、集落の人々の頭にシルクハットを出現させて、無数のそれが役人を追い払う場面、簡素な建物が吹き飛ぶといった部分である。サイレント映画としても成立するように、実験的でありながらも物語レベルに落とし込まれたユニークな運動の連続は映画を観る楽しみを最大限に引き上げているといえる。

確かにヴィットリオ・デ・シーカは『自転車泥棒』や『ウンベルト・D』の方が有名なのだが、ファンタジーを通じて市井の人々を捉え、良心によって社会を変えていこうとする作劇の強さからすると圧倒的にこちらの方が良く、もし私が映画学校の先生ならばこちらを授業で観せたいと感じた。

個人的に、ずんだもん動画を作る際、扉のシーンはオマージュしたいなと思うほどに面白かった。

※IMDbより画像引用