フェイブルマンズ(2022)
The Fabelmans
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:ミシェル・ウィリアムズ、ポール・ダノ、セス・ローゲンetc
評価:75点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
『E.T.』、『未知との遭遇』などを放ってきた巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督が自伝的作品『フェイブルマンズ』を撮った。本作は、フランスのプレスで42媒体平均が4.9/5.0と異常なほど好評を有している。これは『パラサイト 半地下の家族』の36媒体平均4.8/5.0を超えるものとなっている。映画の愛に関する映画は昔から作られてきており、『8 1/2』や『ニュー・シネマ・パラダイス』に始まり、最近は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、『バビロン』などがある。いずれも、愛情路線か狂気路線かで駆け抜ける傾向があるのだが、スピルバーグは趣向を変えたアプローチで描いてきた。ここでは、ネタバレありで迫っていくとしよう。
『フェイブルマンズ』あらすじ
「ジョーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク」など、世界中で愛される映画の数々を世に送り出してきた巨匠スティーブン・スピルバーグが、映画監督になるという夢をかなえた自身の原体験を映画にした自伝的作品。
初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。
サミー役は新鋭ガブリエル・ラベルが務め、母親は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「マリリン 7日間の恋」などでアカデミー賞に4度ノミネートされているミシェル・ウィリアムズ、父親は「THE BATMAN ザ・バットマン」「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」のポール・ダノが演じるなど実力派俳優が共演。脚本はスピルバーグ自身と、「ミュンヘン」「リンカーン」「ウエスト・サイド・ストーリー」などスピルバーグ作品で知られるトニー・クシュナー。そのほか撮影のヤヌス・カミンスキー、音楽のジョン・ウィリアムズら、スピルバーグ作品の常連スタッフが集結した。第95回アカデミー賞で作品、監督、脚本、主演女優(ミシェル・ウィリアムズ)、助演男優(ジャド・ハーシュ)ほか計7部門にノミネートされた。
映画を撮ることへの「痛み」
スピルバーグの分身ともいえる少年フェイブルマンは、映画に対して不安を抱いていた。巨人が出てくると思い込んでいるようだ。それを父親が「映画はスクリーンに投影するもので、1秒24コマの静止画で構成されるんだ。人の脳は16コマぐらいしか処理できないから云々」とオタク口調で捲し立てるように解説し、とりあえず劇場へと入る。映画館ではセシル・B・デミル『地上最大のショウ』が上映されている。通常であればサーカスのスペクタクルを切り取るであろう。しかし、『激突!』、『宇宙戦争』のような悪趣味映画を撮った監督だけに観点が違う。列車が車を吹き飛ばし、そのまま衝突事故を起こす場面を切り取るのだ。そしてそれに魅せられた彼はクリスマスプレゼントに、模型の電車を買ってもらい、母親からカメラを渡させ、虚構の世界に没入していく。模型の列車で衝突事故を引き起こすことは、実際にできないことへの欲望を物理的手触りを保持したまま虚構の中で実現させる行為である。その虚構像は、この映画の中で重要な役割を果たしていく。
フェイブルマンの周囲では、家族が不穏な関係を醸造させていく。スーパーエンジニアとしてヘッドハンティングされていく父。それは転勤する状況を生み出していく。だが、母親は移住先で適応できず精神が崩壊していく。そして、不倫のような関係が生まれていく。そんなことお構いなしに、母への愛情を感じつつ映画を撮っていた彼は、偶然、不倫の片鱗を映像に収めてしまう。そして心のモヤモヤが次第に大きくなっていく。
また、転校先ではユダヤ人差別から強烈なイジメの被害に遭っていく。家にも学校にも居場所のない彼は、映像を作ることでアイデンティティを保とうとする。本作では、映画製作を扱った作品の中で、最も編集時の孤独に迫った眼差しがある。母親の映像を編集する時の、精神をすり減らしながら映像を切り刻んでいく様と対比するように上映する場面がある。映画が上映されると家族は和気藹々としているが、フェイブルマンには複雑な気持ちの渦があり、素直に感情を露わにできない。それはプロムでの上映の時もそうだ。その空間を支配するスターでありながらも、最も孤独な存在なのである。
また、本作の終盤では無意識に映画でいじめっ子に対する復讐を果たしてしまったフェイブルマンがその親玉と対峙することで、共通した内なる闇の存在に気づく場面がある。これは、映画を撮ることによる加害性を強調する描写とも取れ興味深い。実際に、母親に対してスキャンダル映像を魅せることで復習していたフェイブルマンが、他者から言及されることでその加害性に気付かされる場面である。クリエイターはその技術を使って、嫌な過去に復讐することがある。果たしてそれでいいのかとスピルバーグ自身が自問自答する。映画愛を語った映画でここまで踏み込んだ映画は意外とないのではなかろうか。
なので、煌びやかな映画愛映画を想定してみると、ベルイマン的な陰惨な内なる世界映画で驚かされるであろう。冒頭で、巨大なスクリーンを手中に収める象徴的な場面を魅せて、それ以降はひたすら地獄のようなドラマを展開する。その果てでデヴィッド・リンチ演じるジョン・フォードとの圧迫面接シーンをカタルシスとして持ってくる様。当然ながら、スピルバーグがやりたかったのはこの場面なのだが、その道中で彼の精神が死んでしまうのではないかと不安になる作品であった。
※映画.comより画像引用