【ネタバレ考察】『バビロン』回ってないが回っている世界の終焉

バビロン(2022)
Babylon

監督:デイミアン・チャゼル
出演:ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ、ジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リ・ジャン・リ、P・J・バーン、ルーカス・ハース、オリビア・ハミルトン、トビー・マグワイアetc

評価:100点


△イギリスで映画の勉強をされているSailさん(@Sailcinephile)と音声配信も行いました。

おはようございます、チェ・ブンブンです。

デイミアン・チャゼル最新作『バビロン』が日本でも公開された。アメリカ本国の興行収入は芳しくなく、やりたい放題やってきたデイミアン・チャゼルの次回作は相当な制約が課されるのではと囁かれている。Twitterでも賛否がバチバチに割れている状況だ。個人的にデイミアン・チャゼル監督は一貫して「夢の外側にある直視しがたき現実」を描いており、『ラ・ラ・ランド』は映画ファンの定番として紹介されるのが疑問に思うほど辛辣な映画だと感じている。さて、事前に予告編を観た段階では、タランティーノの真似事、なぜ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と同じようなことを彼がやらなければいけないのかと不安を抱いていた。騒々しいだけの映画、単に好きな映画の要素を突っ込んだ俺様映画史映画に留まるのではないか?そんな疑惑が渦巻いていた。しかし、実際に観ると、『ラ・ラ・ランド』以上に理詰めで映画史を編み込んだ作品であった。往年のサイレント映画をパッチワーク的に繋いだだけの『アーティスト』に陥ることなく、豊穣な語りと画によるデイミアン・チャゼルの理論に驚きと興奮しっぱなしの3時間であった。本記事はネタバレありで考察していく。

『バビロン』あらすじ

「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督が、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーら豪華キャストを迎え、1920年代のハリウッド黄金時代を舞台に撮り上げたドラマ。チャゼル監督がオリジナル脚本を手がけ、ゴージャスでクレイジーな映画業界で夢をかなえようとする男女の運命を描く。

夢を抱いてハリウッドへやって来た青年マニーと、彼と意気投合した新進女優ネリー。サイレント映画で業界を牽引してきた大物ジャックとの出会いにより、彼らの運命は大きく動き出す。恐れ知らずで美しいネリーは多くの人々を魅了し、スターの階段を駆け上がっていく。やがて、トーキー映画の革命の波が業界に押し寄せ……。

共演には「スパイダーマン」シリーズのトビー・マグワイア、「レディ・オア・ノット」のサマラ・ウィービング、監督としても活躍するオリビア・ワイルド、ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリーら多彩な顔ぶれが集結。「ラ・ラ・ランド」のジャスティン・ハーウィッツが音楽を手がけた。

映画.comより引用

回ってないが回っている世界の終焉

狂乱の冒頭


荒野にトラックが止まり、男が現れる。馬を運ぶ依頼だと思っている彼の前に現れたのは象。鼻が運転席まで邪魔する状況で、山を登る。しかし、重さに耐えきれず、トラックは牽引車の繋ぎを破壊し、坂を転げ落ちる。トラックと象が転げ落ちているのに、たった2人で腕力で制止しようとする。象は男めがけて糞をぶち撒ける。この異様な展開は、そのまま終わりなきパーティへと転がり込む。ギャスパー・ノエ『CLIMAX/クライマックス』を彷彿とさせる、快楽が直視すべき現実から引き剥がしていく空間で、薬物の山、酒の川、狂乱の渦を形成していく。ジャズのビートに合わせて、カメラはモザイク、モザイク、モザイクをスタイリッシュに捉えていく。気がつけば、朝になり撮影が始まろうとする。「BABYLON」とタイトルが出る。

これだけ観ると、退廃狂乱の描写を3時間ただ描いているだけの映画に見えるかもしれない。しかし、デイミアン・チャゼルの手にかかれば、この狂乱の渦はジェットコースターにおける上昇の役割を担うことになる。ブラッド・ピット演じるジャック・コンラッドはこう語る。

孤独を忘れるために映画館に来るのさ

「孤独を忘れるために映画館に来るのさ。ヨーロッパではバウハウスなんかある。最先端を目指しているのに、ハリウッドは歴史劇を撮ろうとしている。」

狂乱の中でイノベーションが起きると信じてやまない彼は、目をぎらつかせながら、酒に溺れながら現場に励むのだ。彼の至近距離に槍が刺さる。まともな人であれば、「危ねぇじゃねぇか!」とキレ出すだろう。しかし、コンラッドは「槍が新しすぎる」とキレるのだ。どれだけ狂気に満ちているかが分かる。そして、ここには「孤独を忘れるために撮影に励む人」が集まる。ひとつの映画における様々な場面、様々な時間軸が、セットの中で区切られる。そのセットの中で、人々は世界観を作り出す。様々な領域が現実としてその場にある。この膨大な世界線の情熱が孤独を忘れる鎮痛剤としての映画を生み出すのである。

ここでアクシデントが発生する。カメラが10台とも破損してしまうのだ。マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)は近くの町からカメラを拝借し現場に舞い戻る。日没まであと少し、コンラッドは泥酔状態で今にも吐きそう。しかし、後光が差し込む中、丘の下では膨大な人々が合戦を行い、その中で感動的な1対1のやりとりが描かれる。決定的瞬間を捉えた感動。混沌の中にある創作の高揚感に観ている方も涙なくして観ることはできないであろう。

歌声が映えるアル・ジョルソンがトーキーの扉を開く

さて、こんな1920年代サイレント映画の黄金時代は静かに影を落とす。正確に言えば、時代の流れにより新陳代謝が行われるのだ。それはトーキー映画『ジャズ・シンガー』の登場と共に訪れる。ケン・ブラウンロウ「サイレント時代の黄金時代」によれば、トーキー映画自体は、『ジャズ・シンガー』以前から存在していたとのこと。1901年にドイツの物理学者リューマー教授がフィルム上に音波を記録する「歌う炎」法を開発。その後、トーキー映画の開発は行われていた。1925年、ワーナー・ブラザーズのサム・ワーナーがベル電話会社からテスト品を鑑賞する。当時、財政難だったワーナーはトーキーに賭けることとなる。ヴァイタフォン方式を導入した映画製作が始動した。ただ、この時点でワーナーは「人が喋る」トーキー映画には関心を抱いてなかった。良いクオリティの音楽と効果音を乗せたものを、全国の観客に楽しんでもらうことが目的であったからだ。しかし、ここで演技より歌声に魅力がある俳優が現れる。アル・ジョルソンである。彼自身、自分の歌声を聞かせられないと真価を発揮できないと考えており、『ジャズ・シンガー』に賭けた。これがセンセーションを呼び、大衆はサウンド映画に興味を示すようになっていく。

夢から醒める瞬間

一方、『バビロン』のネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)はアル・ジョルソンとは違う。今まで酒やドラッグに酔いながら、身体表象でもって自由に演技をできていた。しかし、トーキー時代になってから、少しの雑音や声色のノイズによってやり直しになってしまう状況に苛立ちを抱き始める。『雨に唄えば』でも描かれているトーキー移行時の困惑をデイミアン・チャゼルが描くと辛辣なものとなる。現場は回っていないのに、「回っていないが回っている」奇妙な状況が撮影を前進させていたのに、ここにきて停滞が押し寄せてくるのだ。その直視し難い現実から逃れるようにパーティに励むが、ヘビとの対決に群衆が乗らなくなるところに痛々しい翳りが滲み出てくる。あれだけ最先端を目指そうとしていたコンラッドですら、いざ最先端技術が訪れると抗えず、凋落していくのだ。

コンラッドは、ミュージカル映画のセットの中で統制が取れた動きをする役者を見て、自由なき撮影現場に苦言を呈す。イキる彼だが、キャリア的に凋落していき、ついにはゴシップ誌の人から、「あなたは終わったのよ」と言われる。

『ラ・ラ・ランド』以上に現実を突きつけてくる場面に涙した。

『ニュー・シネマ・パラダイス』へのアンチテーゼ

『バビロン』はジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」さながら、狂乱の渦中にいるもいつの間にか、時代が変わってしまい過去の人となってしまう切なさが描かれている。コンラッド、トレス、ラロイはそれぞれ自分の人生に折り合いをつけていく。カメラはトレスにフォーカスがあたり、数十年後、まともな生活を送るようになった彼が映画館に吸い込まれていく様子を捉えていく。映画館では『雨に唄えば』が流れている。自分が「現実」として目の当たりにしてきたものが「虚構」としてスクリーンに投影される。映画は明るく歌い踊る、観客は笑う。しかし、トレイにとっては物語の渦中にいたと思っていたのに、もはや過去の人として忘れ去られてしまった。映画館は孤独を忘れる場所ではなかったのか?トレイにとって、この映画館での体験は孤独を思い出す装置として機能する。そして、膨大な映画のフッテージが彼の脳裏に洪水のように降り注ぐ。そこには、彼の時代には存在しない『仮面/ペルソナ』、『2001年宇宙の旅』、『トロン』、『マトリックス』、『アバター』などといった作品のフッテージが注ぎ込まれる。

これは『ラ・ラ・ランド』のラストで『巴里のアメリカ人』におけるご都合主義すぎるラストへのアンチテーゼに近いものがあるだろう。今回は『ニュー・シネマ・パラダイス』の名作接吻フッテージ畳み掛けに対しての挑戦と言える。補助線を引くなら、『幕末太陽傳』におけるフランキー堺がスタジオを飛び出し現代へと駆けていく幻のラストシーンをこの映画でやっているのだ。つまり、映画と自分の人生を突合し、孤独を忘れる場から孤独を思い出す場へ置換される映画館の混沌の中、いつの間にか到来していたカラー映画をも受容せざる得ない状況で、彼は未来に訪れるであろう新しい映画の夜明けを想像する。我々観客は、神の目線で、トレスの生み出す映画と回想の洪水でぐちゃぐちゃになる感情を包み込むことになる。ゴシップ誌の人が言及する「何十年か後に生きた証を見つけ出す人」に我々がなる。映画と観客が対話をし一体となる場面がラストに配置されており、ここでも号泣してしまった。

確かに、『ラ・ラ・ランド』の焼き直しのようなストーリーにも見えたし、サイレント映画ガチ勢からすると怒り出しそうな場面もあったような気がする。それでも、私はこの映画が好きだ。上半期のベスト候補に君臨することでしょう。

P.S.この映画を観ると、プロダクション・コード(ヘイズ・コード)が生まれるのも必然だったなと思った。この視点に気づかせたところも本作の好きな部分である。また、サイレント映画史だったらアベル・ガンスの伝記映画作ったら面白い作品ができると思う。

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