『イニシェリン島の精霊』「新しいこと」への渇望がもたらす領域侵害

イニシェリン島の精霊(2022)
The Banshees of Inisherin

監督:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドンetc

評価:70点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

今年はアカデミー賞映画にやる気スイッチが入らず、『イニシェリン島の精霊』をパスしようかなと思っていたのだが、フォロワーさんからリクエストをいただいたので急遽観ることにした。こういうのは重要である。Twitterでマーティン・マクドナーの兄貴が10年ぐらい前に似たような閉塞感もの『ある神父の希望と絶望の7日間』を撮っており配信で観られるよという情報が回ってきた。調べてみると、なんとフランス留学中に観た『Calvary』のことではありませんか。しかも、髭面おじさんがブレンダン・グリーソンで被っているという。実際に観ると、似ているようで異なるアプローチを感じる作品であった。


↑動画版の感想です。

『イニシェリン島の精霊』あらすじ

「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督が、人の死を予告するというアイルランドの精霊・バンシーをモチーフに描いた人間ドラマ。

1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパードリックは、長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、妹や風変わりな隣人の力を借りて事態を解決しようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。ついには、これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とすと宣言する。

「ヒットマンズ・レクイエム」でもマクドナー監督と組んだコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンが主人公パードリックと友人コルムをそれぞれ演じる。共演は「エターナルズ」のバリー・コーガン、「スリー・ビルボード」のケリー・コンドン。2022年・第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門でマーティン・マクドナーが脚本賞を、コリン・ファレルがポルピ杯(最優秀男優賞)をそれぞれ受賞。第95回アカデミー賞でも作品、監督、主演男優(コリン・ファレル)、助演男優(ブレンダン・グリーソン&バリー・コーガン)、助演女優(ケリー・コンドン)ほか8部門9ノミネートを果たした。

映画.comより引用

「新しいことへ」の渇望がもたらす領域侵害

友人コルム(ブレンダン・グリーソン)の様子がおかしい、自分を避けている気がする。パードリック(コリン・ファレル)は、彼を追ってバーにたどり着く。そこで「俺はお前のことが嫌いになった」と告白される。嫌われる要因が見当たらない。酔って変なことを言ってしまったのか?パードリックは謝罪をしようとするが、どうも原因らしい原因はないらしい。ただ、嫌いになったとのこと。それ以来、パードリックはコルムとの関係を修復しようとするが事態はどんどん悪化していく。

いつも間にか距離を置かれてしまった者が孤独さに耐えられなくなり、他人の領域を土足で踏み抜くイヤらしさを描いた作品。醜悪な人間関係を描く上で、マーティン・マクドナー監督は「新しいこと(=News)」を中心とした人間心理を意識している。1923年アイルランド、テレビも無ェ、ラジオも無エ、車もそれほど走って無エ社会において、暇を潰すことは難しい。暇に耐えられない人々は、「新しいこと」に飢えている。パードリックが雑貨屋に行けば、老婆が「新しいことはねぇか?」と訊いてくる。話題を提供しないとお釣りを渡してくれないのだ。娯楽もない世界において、島の人間関係が数少ないエンターテイメントであり、噂や他人の喧嘩は甘い蜜なのである。それは他人の人生に土足で踏み込む土壌が形成されることへと繋がる。これは決してアイルランドの昔話ではなく、今の日本でもある普遍的な話だ。会社等で、話題の引き出しがなくなった状態が発生すると、結婚は?子どもは?あの部署の人やらかしたらしいよといった、他人の繊細な領域に土足で踏み込んでしまうことは日常茶飯事であろう。テレビやゴシップ雑誌は、そういった我々の周囲数mの人間関係における領域侵入を緩和する避雷針的な役割を担っており、さらに言えば映画や小説、アニメといったフィクションは現実における他人のプライベートを侵略し消費してしまう行為を抑制する役割があることがこの映画からよく分かる。

さて、映画の話に戻ると、ずっと友だちだったはずのコルムから距離を置かれてしまったパードリック。なんだかんだ、話し相手は彼しかいない。町で挨拶しても無視する人はいるし、頭の弱い青年とはちょっと距離を置きたいし、バーのマスターはバーのマスターとしての関係性だし、やはりコルムと関係修復しないと辛い。そう思ったパードリックはねちっこく、コルムの前に現れては余計に関係性が悪化していく。そして、望まぬ形で「新しいこと」が生まれてしまう。

マーティン・マクドナーの兄ジョン・マイケル・マクドナーが撮った『ある神父の希望と絶望の7日間』がベルイマンの『冬の光』ならこちらは、『鏡の中にある如く』といった作品で、自分の内面では嫌われていることも悪手だということもわかっているが、それでも前に進む必要があり、精神が血だらけになりながら内なる自分と向き合う作品となっている。ただ、『鏡の中にある如く』が冷たく辛辣な会話と、不気味な廃墟とのボディーブローが強烈な作品だったのに対して、『イニシェリン島の精霊』はただただ罵詈雑言が飛び交うだけであり、冒頭の衣装の美しさ絶景と閉塞感溢れる色彩の交差、空間的面白さが上手く決まっているとは思えなかった。また、本作は個人間の軋轢と内戦を重ねるマクロ/ミクロの視点があるのだが、果たして効果的だったのかは疑問である。無論、アイルランド史に疎いため、ここは有識者にお任せすべき部分ではあるが。

結局、いつものマーティン・マクドナー映画、それなりに面白いがホームランとまではいかない作品であった。

※映画.comより画像引用