『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』メディアは混沌

タブロイド紙が映したドリアン・グレイ(1984)
Dorian Gray im Spiegel der Boulevardpresse

監督:ウルリケ・オッティンガー
出演:ヴェルシュカ・フォン・レーエンドルフ、デルフィーヌ・セイリグ、タベア・ブルーメンシャイン、トーヨー・タナカ、イルム・ヘルマン、マグダレーナ・モンテツマ、バーバラ・ヴァレンティンetc

評価:70点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

昨今、流行っているリバイバル、レトロスペクティブ上映にまさかのウルリケ・オッティンガーが参戦していて驚いた。オッティンガー監督は、大学時代に学部倉庫で『フリークス・オルランド』のVHSを見つけるもあまりに難解で困惑した記憶がある。今回の特集上映で観られる『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』はメディア映画と小耳に挟んだのでユーロスペースに行ってきた。

『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』あらすじ

伝説的なスーパーモデル、ヴェルーシュカ主演。デルフィーヌ・セリッグ、タベア・ブルーメンシャインらが特異な存在感を持って脇を固める。国際的な巨大メディアグループのボスであるマブゼ博士の陰謀に巻き込まれたドリアン・グレイの物語を、独自の世界観で描く。

公式サイトより引用

メディアは混沌

怪しげな地下水道を通り、悪の秘密結社と思しき集団が葉巻で密会。ボスはメディアを使って世論を操作しようと画策していた。そんなボスをドリアン・グレイが追う。話自体はシンプルなのだが、劇中劇が複雑に入り組んでおり、状況が分かりにくい。しかし冷静になると、本作はメディアそのものを現出させた作品であり、ウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ』のようなものである。新聞には一般的なニュースや小話、ゴシップに物語と様々な情報が所狭しと並んでいる。それを表現するように、大自然にフレームを設置して演劇を始める。猥雑なダンスに群がる男などといった演出を挿入し、ドリアン・グレイを横断させることで、メディアを通じて黒幕へと近づく過程を表現しているといえる。いわゆる直接的な表現すぎて、難解に感じるタイプの作品なのだ。実際に、メディアが過剰に世論を操作する中で「客観的」視点が死ぬ様子は、「客観的」を象徴する裸のおっさんが仄暗いアーカイブ室に幽閉されている様子を通じて表現している。

また、メディアの発達は様々な情報が等価に入り乱れることでもある。これは『ニューロマンサー』において日本や中国などの文化が侵入しあい、混沌猥雑な文化となっていく様として描かれていたが、『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』も同様に和洋折衷の文化が境界線なく混ざり合っていくものとなっている。SNS時代を生きる我々にとっては当たり前だろう、日常的に膨大な情報の海にさらされ、いろんな国の文化が影響を与え合う。この世界観を数十年前に考えた人たちは凄いなと感じたのであった。
※映画.comより画像引用