郊外の鳥たち(2018)
原題:郊区的鸟
英題:Suburban Birds
監督:Sheng Qiu
出演:Zihan Gong、Lu Huang、メイソン・リーetc
評価:75点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日、リアリーライクフィルムズさんのご厚意で2023/3/18(土)より公開の中国映画『郊外の鳥たち』を一足早く観ましたので感想を書いていく。
『郊外の鳥たち』あらすじ
Some ground subsidence has occurred in a suburban area and a team of engineers, including Hao, is dispatched to investigate the cause. After days of wandering around in the empty suburb looking for answers and carrying his heavy gear, Hao walks into a primary school where he finds a diary chronicling the story of a boy and the separation of what seems to be an intimate group. As the investigation keeps going, Hao discovers that this diary might contain prophecies about his own life.
訳:ある郊外で地盤沈下が発生し、シャハオを含む技術者チームが原因究明のために派遣されることになった。重い機材を担ぎ、誰もいない郊外を何日も歩き回ったシャハオは、ある小学校で一人の少年と親密そうなグループの別れが綴られた日記を見つける。調査を進めるうちに、シャハオはこの日記に自分の人生についての予言が書かれているかもしれないことを知る。
都市になれなかった地の羨望と郷愁
韓国映画界のフロントラインを走るホン・サンス監督はよく、映画の中でズームを多用する。決定的瞬間を強調するときに使われるこのズームの珍妙さは、ホン・サンスの専売特許だと思っていたが、濱口竜介監督が『偶然と想像』でそのテクニックに時空跳躍の意味を与える実践をしているように近年は研究する監督がいるようだ。さて、Sheng Qiu監督がホン・サンスをどこまで意識しているのかは分からないが、本作はあのズームを多用する異様な作品となっている。丸画面に映し出される郊外、道路、それは測量機からの目線だと分かる。主人公のシャハオは地盤沈下が進む郊外の調査を行なっている。そんな彼が廃墟のような小学校で一冊の日記を見つけたことから、少年シャハオの物語が紡がれていく。
測量士の生き様と少年の生き様のパートは思わぬところで結びつく。例えば、双眼鏡を測量士のシャハオが落としてしまう場面がある。それが少年パートで回収されたり、少年が測量機にシールを貼ると、後の場面で技術者チームが「カメラのレンズが!」と慌てふためく場面がある。回想のようで回想ではない時間軸の交差が描かれ一筋縄ではいかない物語となっている。
この複雑に絡み合う二つの物語には共通した眼差しが描かれる。それは「都市になれなかった郊外の肖像」である。測量機が見つめる先にはビルが立ち並んでいる。廃墟のように見える。少年たちが双眼鏡で見つめる先にも廃墟のようなビルが映る。その姿かた立ち込める哀愁には都市への羨望の眼差しが含まれているように思える。主人公たちが立っている場所は、ビルの中ではなく、少し離れた瓦礫の山だったり、何もない道路だったりする。廃墟のようなビルから離れた更なる無からの眼差しに、哀しさを感じるのだ。
しかし『郊外の鳥たち』は悲観的な物語に舵を切ることはしない。少年パートの、廃墟や自然をズンズン突き進んでいく冒険、『スタンド・バイ・ミー』を彷彿とさせる冒険は、都市になれなかった地の明るい側面にフォーカスを当てている。決して打ち廃れた場所ではないし、希望が眠っていることを静かに物語っているのである。
不思議な中国映画『郊外の鳥たち』は2023/3/18(土)より日本公開。