【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『悪魔のような女』物理的にいなくなることへの恐怖

悪魔のような女(1955)
Les diaboliques

監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
出演:シモーヌ・シニョレ、ヴェラ・クルーゾー、ポール・ムーリス、シャルル・ヴァネル、ジャン・ブロシャールetc

評価:70点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督作『悪魔のような女』を観た。アンリ=ジョルジュ・クルーゾーは『恐怖の報酬』以外なかなか話題に挙がることがないのだが、それでもチラホラ面白いとの声を耳にする。実際に観ると一本取られた!

『悪魔のような女』あらすじ

妻クリスティナ(ヴェラ・クルーゾー)の財産で、パリ郊外の小学校の校長に収っているミシェル(ポール・ムーリッス)は、妻に教鞭をとらせ、もう一人の女教師ニコオル(シモーヌ・シニョレ)と公然と通じていた。乱暴で利己的な彼に対して二人の女はついにがまんできなくなり、共謀でミシェル殺人の計画を立て、三日間の休暇を利用してニオールのニコオルの家へ行き、電話でミシェルを呼んだ。いざとなるとクリスティナは怖気づいたが、気の強いニコオルは、彼女に命令してミシェルに睡眠薬入りの酒を飲ませ、寝こんだところを浴槽につけて窒息させた。翌朝二人は、死体を用意して来た大きなバスケットに詰め小型トラックで学校まで運び、夜の闇に乗じて死体をプールに投げこんだ。校長失踪はたちまち校内の話題になったが、ニコオルは平然としていた。プールに飛びこんだ生徒が校長のライターを発見し、プールの水を干すことになったが、水を干してみると、死体は影も形もなかった。

映画.comより引用

物理的にいなくなることへの恐怖

妻が愛人と意気投合して夫を殺す。この殺しがグダグダであり、修羅場映画としての勢いがある。割と堂々と、浴槽で夫を殺す。そして、正面から車に死体の入った箱を乗せる。これだけガバガバなのだから、道中に緊迫感激る。ガソリンスタンドで休憩していると、酔っ払い兵士が「オイラも乗せてくれ」と勝手に荷台に入り始める。なんとか追っ払うと、おじさんが「すまないねぇ、こんなに汚してしまって」と血痕を拭こうとし慌てて静止させる。プールに捨てるまで一秒たりとも油断できない。ここまで緊迫を引っ張ることで、死体がなくなれば彼女たちの不安が消えるという方程式ができる。映画はその方程式が正しくないことを証明していく。

いざ、プールから死体が消えると、妻クリスティナが不安を抱き始めるのだ。周囲は何食わぬ顔で生活が行われる。そこに警部が現れ、推理を始める。いつ死体が消えたのだから完全犯罪成功に見えるのだが、自分のコントロールしていない「消失」に精神が蝕まれていく。まさしく、エンジニアがバグの対応しようとしたら、勝手に修復が完了し、事象が発生しなくなった時に近い怖さが増幅されていくのだ。

恐怖とは得体の知れないものに対して抱くもの。そして、その恐怖を他者に語り癒すことができない場合、増幅されていく。無邪気に遊ぶ子どもたちや、長閑な周囲の振る舞い、そして闇の中で起こる不可解な音が恐怖の増幅装置として機能し、衝撃的な、あまりにスマートなオチへと着地する。『恐怖の報酬』ほどではないが、確かにサスペンス論を語る上で本作は重要な作品といえよう。

※IMDbより画像引用

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