【Netflix】『アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー』楽観的で、感傷的で、郷愁的な

アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー(2022)
Apollo 10½: A Space Age Childhood

監督:リチャード・リンクレイター
出演:グレン・パウエル、ザッカリー・リーヴァイ、ジャック・ブラック、ジョシュ・ウィギンス、リー・エディ、ブライアン・ヴィラロボス、ジェニファー・グリフィン、Natalie L’Amoreaux、ミロ・コイ、サミュエル・デイヴィスetc

評価:95点



おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、2022年版カイエ・デュ・シネマベストテンが発表された。おおよそ想定内の選出ではあったが、ある作品の選出が目に留まった。それが、リチャード・リンクレイター新作“Apollo 10½: A Space Age Childhood”であった。リチャード・リンクレイターといえばビフォア3部作や『6才のボクが、大人になるまで。』、『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』などゆるくも確かな面白さを演出する監督。好きな監督なので、新作が出れば必ず認知しているのだが、この作品のことは全く知らなかった。しかも、調べてみると4月にNetflixで邦題『アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー』として配信されているというのだ。最近は、巨匠の作品ですら配信スルーになることが多く注意深くチェックしていないと観逃してしまう。早速、観て観たのだが、カイエ・デュ・シネマがベストテンを発表する前に観られなかったことを悔やむぐらいに後悔した。というのも、リチャード・リンクレイターのお家芸であるロトスコープ技術集大成といった内容であり、単なるユニークさに留まらないものに仕上がっていた。楽観的で、感傷的で、郷愁的な世界に飛び込んだ感想を書いていく。

カイエ・デュ・シネマベスト2022

1.パシフィクション(アルベール・セラ)
2.リコリス・ピザ(ポール・トーマス・アンダーソン)
3.NOPE/ノープ(ジョーダン・ピール)
4.EO(イエジー・スコリモフスキ)
5.偶然と想像(濱口竜介)
6.Bowling Saturne(パトリシア・マズィ)
7.アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー(リチャード・リンクレイター)
8.イントロダクション(ホン・サンス)
9.Viens Je T’emmène (アラン・ギロディ)
10.Qui A Part Nous(ホナス・トルエバ)

『アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー』あらすじ

1969年のテキサス州ヒューストンを舞台に、人類初の月面着陸という歴史的瞬間を、宇宙旅行を夢見る少年の目を通して描く。

※Netflixより引用

楽観的で、感傷的で、郷愁的な

ある日スーパーヒーロー映画のように少年は男に連れられ、「君には才能がある、ミッションに参加してくれ」と言われる。アポロ11号が月面着陸する直前に、少年は極秘で月を目指すことになるのだ。映画はSF映画のような展開になるのかと思いきや、いきなり物語は脱線し、リチャード・リンクレイターの俺的映画史映画、60年代カルチャー史を物語ることとなる。大人たちは、世界恐慌や第二次世界大戦の痛みを抱えながら、技術が世界に平和をもたらすとどこか楽観的な希望のもと邁進している時代。家庭にはテレビが普及し、「スタートレック」や「トワイライト・ゾーン」、バックス・バニーのアニメにトークショウを貪るように、時には家族とチャンネル争いをしながら楽しむ。日曜日になるとサザエさん症候群のように気持ちが落ち込んだりするも、それもまた懐かしい思い出かのように郷愁の甘いチョコレートに包まれている。


この楽観的で、感傷的で、郷愁的な質感は『リコリス・ピザ』にも共通するところがあり、カイエ・デュ・シネマベストテンにこの2本が並んでいるのも頷ける。

近年、映画監督は俺的映画史映画や自伝映画を作る傾向がある。今年はウディ・アレンが『Rifkin’s Festival』で映画業界にぼやきながら、『第七の封印』や『皆殺しの天使』などといった作品を開き直ってそのまま再現する映画を撮っていた。リチャード・リンクレイターの場合、『サウンド・オブ・ミュージック』や『2001年宇宙の旅』などといった作品を、ロトスコープでデフォルメする。今回、ここに鋭い視点を感じた。我々が映画を反芻する時、それはどこかぼやけているものである。鮮明に細部まで思い出すことは難しい。抽象化された像とその時の気持ちのアーカイブを照らし合わせて内なる世界に現出する。その可視化としてロトスコープで映画を捉える演出を採用したところに新鮮さを感じたのだ。

そして、今やスマホにて現実と区別できないような高画質で遠く離れた場所の「今」が見られ、SNSでは文章で他者の脳内や政治の動きが絶え間なく流れる世界において、技術が平和をもたらすだけでないことが広く知れ渡った。AIの普及で仕事が奪われるかもと恐怖したり、自分が巨大なシステムの一部になってしまったかのように錯覚することもある。そして、コロナ禍、戦争、経済的混乱が同時に襲いかかる今において、1960年代の楽観的な技術信仰や市民生活はどこかフィクショナルなものに感じる。また、今となっては映画において子どもに演技をさせる場合は「児童搾取」に気を配る必要がある。己の欲望、撮りたい画のために、過酷な訓練をさせたり、車に轢かせようとすることはできない。ロトスコープは虚構であるアニメーションに、現実の一部を注ぎ込むことで、撮りたいけど撮れないものに対する葛藤を乗り越えているのだ。レオス・カラックスが『アネット』で、子どもをマリオネットに置き換えたようにレオス・カラックスはロトスコープを採用した。

上記を踏まえると本作は少年が宇宙に行くこと自体はあまり重要ではない。彼が本当に宇宙に行ったのかどうかの曖昧さは、つまり幼少期を振り返り、大人の目線から当時の社会に飛び込む行為のメタファーであったのだ。
※MUBIより画像引用