【東京国際映画祭】『月の満ち欠け』「死」を発さずに「死」を語ること

月の満ち欠け(2022)
Phases of the Moon

監督:廣木隆一
出演:大泉洋、有村架純、目黒蓮、伊藤沙莉etc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第35回東京国際映画祭では、『母性』、『あちらにいる鬼』、『月の満ち欠け』と3本もの廣木隆一監督作品が上映された。『月の満ち欠け』を観たので感想を書いていく。

『月の満ち欠け』あらすじ

直木賞受賞のベストセラー小説「月の満ち欠け」が、大泉洋をはじめとする豪華キャストにより実写映画化。愛する人にもう一度逢いたいという想いが巻き起こす、数奇で壮大なラブストーリー。

映画.comより引用

「死」を発さずに「死」を語ること

廣木隆一監督は2010年代後半にかけて、『ストロボ・エッジ』、『オオカミ少女と黒王子』、『PとJK』、『ママレード・ボーイ』と青春キラキラ映画を手がけてきた廣木隆一監督。キラキラしつつも確かな演出を施してきた彼は本作でもその技術を発揮する。一見すると小っ恥ずかしくなる恋愛映画であり、完全なるデートムービーなのだが、日本映画にありがちな表現を回避しており、ここは評価しなければいけない。

その一番大きなポイントは、「死」を発さずに「死」を語ることである。冒頭、電話を取る小山内堅(大泉洋)、タクシーで移動しふと妙なところで止まる。そして花束を手向ける。この3カットで大切な人が死んだことを言い表すのである。多くの映画において、特に最近の日本映画では感情や状況を全てセリフで説明してしまいがちだ。それをせず、終盤まで「死」にまつわる単語を発せず物語を紡いでいく姿勢に感銘を受ける。映画の基本であるが、それをできている作品は意外と少ない。

映画は3つの回想をベースに思わぬ結びつきが描かれる。一見、遠いところにある話が繋がっていく過程が面白い。

小山内堅パートでは、娘が病気になったことにより違う人格がいるのではと思うようになるオカルトな話となっている。高田馬場のレコードショップへ行き、『アンナ・カレーニナ』を観始める少女の妙に大人びた言い回しに不気味なものを感じる。

三角哲彦(目黒蓮)パートでは、大雨の中であった女(有村架純)との情事が描かれる。早稲田松竹で一緒に観る映画が『東京暮色』という不穏さを抱えながら、小っ恥ずかしくなるような恋愛を描いていく。露骨な大雨、感傷的な雰囲気。感情が高まると走る。嫌いな演出だという人は多いと思うが、このベタな恋愛物語が、次のパートの怖さに直結していく。

最後の有村架純演じる女パートでは、ある真実が描かれるのだが、これはサスペンスとしてよくできている。追跡する車、事故、扉の前に肩の力を抜いて立っているだけで怖いある場面と魅力溢れるサスペンスに仕上がっている。

つまり、『月の満ち欠け』は1本で3つのジャンルが味わえる作品となっているのだ。非常に面白かった。

日本公開は、12/2(金)。

※映画.comより画像引用