恋人はアンバー(2020)
Dating Amber
監督:デイビット・フレイン
出演:フィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー、シャロン・ホーガン、バリー・ウォード、シモーヌ・カービーetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
アスミック・エースさんから「ぜひご覧いただきたい作品があります!」と11/3(木・祝)公開の『恋人はアンバー』の試写を観ることになった。本作は、第29回レインボー・リール東京、第31回映画祭TAMA CINEMA FORUM、第20回EU フィルムデーズで上映され話題となった作品である。実際に観てみると、とても鋭い観点から描いている作品であった。
『恋人はアンバー』あらすじ
1990年代アイルランドの保守的な田舎町を舞台に、期間限定で恋人のふりをすることになったゲイとレズビアンの高校生を描いた青春映画。
アイルランドで同性愛が違法でなくなってから2年後の1995年。同性愛者に対する差別や偏見が根強く残る田舎町で暮らす高校生エディは、自身がゲイであることを受け入れられずにいた。一方、エディのクラスメイトであるアンバーはレズビアンであることを隠して暮らしている。2人は卒業までの期間を平穏無事に過ごすため、周囲にセクシュアリティを悟られないようカップルを装うことに。性格も趣味も正反対の2人だったが、時にぶつかり合いながらも悩みや夢を語り合ううちに、互いにかけがえのない存在となっていく。
監督・脚本は「CURED キュアード」のデビッド・フレイン。
恋愛はむごい
恋愛はむごい
他者に対して恋を抱く、そして他者と親密になる中で愛が生まれる。「恋」と「愛」は個と個の間での話でしかないにもかかわらず、人々はそのプロセスを「恋愛」として紐付け眼差しを向ける。その眼差しには男らしさ、女らしさ、異性愛といった社会規範に則っているかの判断基準が適応され無意識に、そして厳しく他者を監視する。だから「恋愛はむごい」のだ。
『恋人はアンバー』は「恋愛のむごさ」についての映画である。
エディ(フィン・オシェイ)は女性に対して興味を持てない。しかし、軍人である父親やクラスメイトから突きつけられる「男らしさ」から逃れられず、異性愛者であることを装う。しかし、クラスメイトと接吻をしようとすると拒絶反応が出てしまう。また、相手から男性器を触られることで本心が見破られそうになる。そんな彼に声をかけてきたのはアンバー(ローラ・ペティクルー)である。彼女はレズビアンであることを隠している。エディの挙動を見て、偽りのカップルとして関係を結ばないかと持ちかけてくるのだ。
本作は、グロテスクなまでに鋭い眼差しによる監視が描かれる。男子生徒も女子生徒も、淫らな動きをしながらエディとアンバーの周りを取り囲む。また、二人が決定的な言葉を発しようとするとピタリと止まり、ジッと見つめてくる。二人の本心を掴み暴露しようと狙っているのだ。知り合いのいない場所に逃げる、しかし「異性愛者」として装っているので、同性愛者が集まるクラブで話しかけられても素直になることができない。これがエディとアンバーの関係に亀裂を生じさせてしまう。このまま、偽りの恋愛を続けていいものなのだろうか?確かに、偽りの恋愛を続けることで社会規範に収まることができ、周囲からは認めてもらえるかもしれない。だが、それは自分を裏切ることにも繋がってしまう。
映画は、エディとアンバーという「個」と「個」の関係からも恋愛のむごさを描くことで、他者の眼差しが干渉する「恋愛」の有害さを告発した。他者が介在するため、規範外の恋愛が制限され、恋愛自体から降りることもできない社会像を炙り出すことにより、ゲイやレズビアンといったマイノリティの苦悩に手を差し伸べた作品といえよう。
11/3(木・祝)よりTOHOシネマズシャンテほかにて公開。
P.S.本記事のキーワードである「恋愛はむごい」は現代思想2022年9月号に掲載された論考『メタバースは「いき」か?』にて難波優輝氏が言及した「おしゃれはむごい」話からインスパイア受けている。併せて触れることオススメしたい。