【ネタバレ考察】『NOPE/ノープ』眼差しを撃て!最悪の奇跡を撮るために。

NOPE/ノープ(2022)
NOPE

監督:ジョーダン・ピール
出演:ダニエル・カルーヤ、キキ・パーマー、スティーヴン・ユァン、マイケル・ウィンコット、ブランドン・ペレア、バービー・フェレイラ、ドナ・ミルズ、ジェニファー・ラフルール、ライアン・W・ガーシア、コナー・コワルスキーetc

評価:100点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ゲット・アウト』、『アス』のジョーダン・ピール最新作『NOPE/ノープ』が公開された。予告編を観る限り、クラシカルなUFOを使ったSFホラー映画の印象を受けたが、蓋を開けてみると随分と趣が異なっていた。ギー・ドゥボール「スペクタクルの社会」をSFや西部劇、映画の内幕ものを横断させながら茶目っ気たっぷりに描いた作品なのだ。そして、その手数の多さとジョーダン・ピールの鋭い眼差しに惹き込まれた。今回はネタバレありで考察をしていく。

『NOPE/ノープ』あらすじ

「ゲット・アウト」「アス」で高い評価を受けるジョーダン・ピールの長編監督第3作。広大な田舎町の空に突如現れた不気味な飛行物体をめぐり、謎の解明のため動画撮影を試みる兄妹がたどる運命を描いた。

田舎町で広大な敷地の牧場を経営し、生計を立てているヘイウッド家。ある日、長男OJが家業をサボって町に繰り出す妹エメラルドにうんざりしていたところ、突然空から異物が降り注いでくる。その謎の現象が止んだかと思うと、直前まで会話していた父親が息絶えていた。長男は、父親の不可解な死の直前に、雲に覆われた巨大な飛行物体のようなものを目撃したことを妹に明かす。兄妹はその飛行物体の存在を収めた動画を撮影すればネットでバズるはずだと、飛行物体の撮影に挑むが、そんな彼らに想像を絶する事態が待ち受けていた。

「ゲット・アウト」でもピール監督とタッグを組んだダニエル・カルーヤが兄OJ、「ハスラーズ」のキキ・パーマーが妹エメラルドを演じるほか、「ミナリ」のスティーブン・ユァンが共演。

映画.comより引用

1.眼差しを撃て!最悪の奇跡を撮るために。(Shoot the gaze! To shoot the worst miracle.)

青い靴の片方が垂直に立つ。日常を送る中でほとんど遭遇することのないであろう奇跡が映し出される。ふと、周りを見渡すと人が倒れており、やがて血だらけになった猿が彷徨いていることに気づく。この奇跡は、惨劇により生み出されたもの。つまり「最悪の奇跡」だったことに気付かされる。そうこうしているうちに、猿がジッとカメラに眼差しを向ける。場面は荒野の牧場へと移る。ふとOJ・ヘイウッド(ダニエル・カルーヤ)が目を離した隙に、父親が死亡する。カメラは、ジッと白い馬を凝視する。そこには鍵が刺さっていた。これにより、『NOPE/ノープ』は「最悪の奇跡」に関する物語だと分かる。

映画はそこから予告編とは異なる質感の物語へと転調する。オーディションの現場が映し出される。OJ・ヘイウッドは演技をする。しかし、感情を抑圧しているのか良い演技ができていない。助けを待っているような仕草をしていると妹エメラルド(キキ・パーマー)が現れる。彼女は白身の演技で場を制圧する。OJとは対極の性格だ。表面上は彼女の助けはいらないと言っているものの、彼の眼差しは彼女による救いを求めている。

牧場で燻った生活を送っている兄と妹は、父親の馬を売りながらなんとか生計を立てている。「牧場経営なんて副業さ」と、キラキラした仕事に夢見る妹はやがてUFOを撮影して一攫千金を狙おうとする。

ここで監視カメラを設置する場面からのサスペンスに注目してほしい。

口の悪いショッピングモールの店員エンジェル(ブランドン・ペレア)がヘイウッド家に訪問し、監視カメラを設置する場面。OJとエンジェルは屋根の下から監視カメラを見ている。しかし画は二人と監視カメラを水平に配置し、見上げているにもかかわらず目線が上を向いていない構図を取っている。上を見つめるのは、監視カメラであることが強調される。

監視カメラ設置後に、UFOが現れる場面では8つの眼差しが交差するサスペンスが描かれる。エメラルドが監視カメラを覗く。決定的瞬間を目撃しようとする。しかし、監視カメラを覗き込む虫の存在によって阻害される。荒野では、馬とOJがUFOを目撃する。UFOもまた二人を見つめ、吸い込もうと襲い掛かる。一方、その頃エンジェルは、ショッピングモールから決定的瞬間を見守る。同僚の視線を意識し、感情を抑圧しながら、虫の凝視によって監視カメラの向こう側が見えないフラストレーションと闘いながら見守る。OJ、エメラルド、エンジェル、同僚、馬、監視カメラ、虫、そしてUFOの視線による手汗握るアクションがそこにあるのだ。

これによりジョーダン・ピールの視点が顕になる。それは現代における西部劇は「銃」ではなく「眼差し」を撃つものだと。

人間はカメラを手にした。カメラは人間の眼差しを拡張する存在である。かつては決定的瞬間を《記憶》に留めることしかできなかった。しかし、カメラの登場により決定的瞬間を《記録》に留めることができるようになった。カメラはやがて小型化され、人々はPCやスマホを通じて、はるか遠くまで眼差しを向けることができるようになった。監視カメラを設置する場面の構図は、人類がPC、監視カメラと複数の媒体を介して決定的瞬間を記録に残そうとする欲望を象徴した場面といえる。

これを踏まえると、なぜエドワード・マイブリッジ「動く馬」が引用されるかがよくわかる。マイブリッジは馬がどのように歩くのかに興味があったリーランド・スタンフォードの依頼で、連続写真を撮った。カメラが誰でも扱えるようになると、眼差しによる欲望が強調される。それが変化するUFOや銀色のヘルメットを被ったジャーナリストへ繋がっていく。

2.UFOの正体とは?

渡邉大輔「新映画論 ポストシネマ」において、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』に登場する不気味なピエロ・ペニーワイズのことを「インフラ化した幽霊」と定義している。これは1.ペニーワイズが「恐怖」により現出する存在 2.町の地下に張り巡らされた排水溝(ネットワーク)を移動する遍在性 3.一定期間ごとに現れる周期性 により説明されている。

『NOPE/ノープ』におけるUFOはどうだろうか。本作のUFOは特殊な挙動をする。見つめられてないと人を吸い込むことができないのである。映画を観ていくと決定的瞬間を見たい欲望がトリガーとなり、人を攫っていくことがわかってくる。例をひとつ挙げるとするならば、映画の撮影監督がヘイウッドたちのもとに現れ、UFO撮影大作戦を敢行する場面がわかりやすいだろう。電磁波の影響を受けないフィルムによって決定的瞬間を捉えていく監督。しかし、感情が高まるにつれ、隠れることを諦め、正面からUFOに立ち向かい吸い込まれてしまう。吸い込まれようとしているにもかかわらずカメラを離そうとしないのは、眼差しを「記録」として残そうとする欲望に汚染されてしまったことを表している。また、名監督の対極の存在として銀色のヘルメットを被ったジャーナリストがいる。彼は富のために荒野へやってきて、UFO撮影の横取りをしようとする。しかし、ヘイウッドたちに決して素顔を見せようとしない。これは、匿名の背後から決定的瞬間を凝視しようとする人間像を表している。

事故により倒れてしまったヘルメット男とOJが対峙する場面は、見る/見られるの関係を鏡像として示す。OJ自身、妹の誘いとはいえ決定的瞬間を撮る欲望の渦中に巻き込まれている。無名である自分が、決定的瞬間を撮ることで富と名声を手にする欲望。それをヘルメット男により客観視している。ヘルメットの反射越しにUFOが見える。つまり、自分と似た存在を認知することにより、欲望の存在を捕捉しているのだ。

終盤になると、UFOは布のように変化してヘイウッドの前に現れる。つまり、UFOは欲望を映す装置として機能しており、それが町の外側まで伝わるインフラ化した存在であることが分かる。

3.「眼差し」の銃から弾を取り除くことはできない

UFOの吸い込み攻撃から逃れる方法が「眼差し」を向けないことであった。しかし、UFOは絶え間なくOJの視界に入ろうとしてくる。最終的に彼は正面から眼差しを向けることでUFOに対峙し、エメラルドはテーマパークにある井戸型写真機でUFOが人型風船を飲み込む瞬間を捉えることで倒す。

ギー・ドゥボールは「スペクタクルの社会」の中で次のように語っている。

自分にとって日常的に疎遠な運命を受動的に被っている者は、さまざまな魔術的技術に訴えることで、錯覚的にこの運命に抵抗する狂気の方へ追いやられることとなる。

現実において陰日向にいる者が、物語の外側にいる堪え難さから逃れるように、カメラを使ってUFOの物語に介入しようとする。エメラルドの行動はまさしくギー・ドゥボールの理論を体現している。OJはそのメカニズムから逃れようとしているのだが、現実はどうだろうか?社会全体がイベント化し、政治や経済もデバイスを通じ拡散するスペクタクルの中で突き動かされている。スペクタクルは、「眼差し」によって成立する。そして「眼差し」により欲望が増幅されていく。そのため、OJがどんなに「眼差し」を向けるのを拒絶しようとも、他者から「眼差し」を向けられる以上逃れることはできない。UFOが絶えずOJの視界に映り込もうとするのは、我々が「眼差し」を拒絶しようともテレビやスマホなどといったデバイスが「眼差し」を誘発させようとしてくる困難さを象徴しているのだ。

OJがUFOの捕食から完全に逃れている場面がある。それはエメラルドとエンジェルが家に籠城する場面である。家の真上にUFOが現れ、吸い込んだ人間の残骸を鮮血の雨ととして降り注ぐ。狼狽するふたりを、OJは少し遠くから車に乗り冷めた「眼差し」で見つめている。残骸こそ、車に降り注ぎ死の淵に立たされるものの、直接捕食の対象にされることはない。これはOJが「眼差し」の銃による欲望のメカニズムを理解し、冷静さをもって事象と向き合っていることといえる。この態度こそがスペクタクルに飲み込まれないことであると物語っているのである。

4.最悪の奇跡とは?

「眼差し」が誘発する欲望像から、この映画は観客にギクりとさせられるものを突きつける。それは「最悪の奇跡」である。映画は覗きのエンターテイメントであることは明白である。観客はスクリーンの外側という安全圏から修羅場を目撃し楽しむ。その態度には、「最悪」への期待が隠されている。どんなに映画の中で殺戮が行われても観客だけは確実に助かる。生存率0%に近い事象であっても奇跡的に助かる経験を擬似的に味わえるのが映画である。

『NOPE/ノープ』におけるアジア人元子役リッキー・”ジュープ”・パク(スティーヴン・ユァン)は、この関係性を暴き出している。彼は昔シットコム番組の子役であった。しかし、笑い者の対象にされてきた。そんな彼はある収録中。猿が暴れて出演者、スタッフもろとも皆殺しにする惨事に巻き込まれてしまう。ジュープのことを知る者は誰もいなくなった。しかし、彼が役者であった事実は資料として残されている。嘲笑の「眼差し」から逃れることに成功した。彼はその立場を利用して田舎町の遊園地でオフィスを構え、スペクタクルを披露する。明るい眼差しを作り出し、自らをその光に晒すことで欲望を満たす。

人間は時として、「会社が爆発しないかな。」「嫌な上司死なないかな。」と思うことでしょう。まず起こらないであろう事象に対する羨望がある。そして、そこには「自分は死なない」という但し書きが隠されている。「最悪の奇跡」とは、この2つが現実となることである。映画は擬似的にそれを発生させる装置であり、我々観客は「最悪の奇跡」によって欲望が一時的に満たされるものなのだ。

ジュープの場合、「最悪の奇跡」が現実として起きている。彼はそれをオフィスに博物館を作ったりUFOパフォーマンスとして再生産する中で、UFO(=欲望)に飲み込まれれてしまった。

5.欲望から逃れる難しさ

『NOPE/ノープ』は、スペクタクルの社会において眼差しから逃れることの難しさを描いている。あらゆるデバイスが、眼差しの銃を誘発させ、それが欲望のブレーキを外していく。たとえ「眼差し」から逃れられたとしても、ジュープのように「眼差し」を作り出す過程で欲望に飲まれる可能性がある。カメラを持つことで、眼差しを向ける側に立った兄妹。妹がUFOと決着つける際のアクションは結局「眼差し」を向けることであり、そこには欲望の片鱗がチラつく。欲望から逃れられないことを前提に、ジョーダン・ピールは眼差しの銃の存在を知ることで抗える可能性を示唆したといえよう。

ジョーダン・ピールはゴリゴリ理論系の監督なのだが、本作の茶目っ気が滑稽で感動すら覚えた。露骨な『AKIRA』オマージュもそうだが、なんといってもセルジオ・レオーネばりの間を設けたコスプレした子どもたちがにじり寄ってくる演出のお茶目な面白さ。素晴らしかった。

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