『わたしは潘金蓮じゃない』ファン・ビンビン主演の丸画面映画

わたしは潘金蓮じゃない(2016)
原題:我不是潘金蓮
英題:I Am Not Madame Bovary

評価:95点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

私が長年探している映画に『Lucifer』というものがある。本作は全編丸画面で描かれた作品であり、予告編から傑作の香りがする。しかし、全くエンカウントできる見込みがなく落胆していたところ、中国でも丸画面映画が作られていたことを知った。しかも、大阪アジアン映画祭で上映された作品とのこと。今回はそんな作品『わたしは潘金蓮じゃない』について語っていく。

『わたしは潘金蓮じゃない』あらすじ

主人公リー・シュエリエンとその夫は会社から提供される部屋が目的で偽装離婚し、その後復縁するつもりだったが、夫が別の女性と結婚。その事に腹を立てたリー・シュエリエンは訴訟を起こすが、更に彼女を腹立たせる出来事が起こり、訴訟内容や訴える人物が増えていく。しかし彼女が本当にはっきりさせたいのは元夫に関連する事のみ。1年に一度、訴訟を起こすために北京に向かうようになるのだが、気がつけば10年の月日が流れていた。

リュウ・チェンユン(劉震雲)の同名小説「我不是潘金蓮」をフォン・シャオガン監督が映画化。ヒロインには『二重露光~Double Xposure~』(OAFF2013)のファン・ビンビン。彼女が演じるリー・シュエリエンの姿を通して役人たちの無責任さや保身が個人の人生にどれほどの影響を与えるのかということを皮肉とユーモアを交えて描いている。主演のファン・ビンビンは体重を6キロ増加させ、方言をマスターし、また、農村で女性たちが実際に着ていた服を集めてきて衣装として着用する、という徹底した役作りでこの作品に挑んだ。

※大阪アジアン映画祭サイトより引用

ファン・ビンビン主演の丸画面映画

日本でも翻訳されたリュウ・チェンユンの同盟小説の映画化。夫婦で一つしか土地が所有できない法律を掻い潜るため離婚したリー・シュエリエン。しかし、夫は別の女と再婚してしまう。話が違うじゃないかと抗議するも、「偽装離婚」であることは闇に葬り去られようとしてしまう。では、正式に離婚しようと役所に行くが、既に離婚している事実があるので話がこじれる。彼女は諦めなかった。それがやがて国家レベルの大ごとへと発展していく。

本作はファン・ビンビン主演の比較的お金のかかった作品であるが、驚いたことに映画の大半を丸画面で描いている。丸画面映画といえば2014年の『Lucifer』が有名だが、中国でも実践されていた。


映画がフィルム時代になり、画面サイズを自由に扱うことができるようになった。それにより画郭の変化による表現の幅が広がった。グザヴィエ・ドランの『Mommy/マミー』では正方形の画郭を横に広げることで開放感を与えていた。本作はその表現を深化させているといえる。

序盤は丸画面で薄暗いショットを作っていく。しかし、彼女が抗議のために北京へ行く場面では正方形に画郭が変化する。色調も最初に明るさを与える。また、ミニチュアの建築物の周りを放浪する描写を挿入することで浮遊感が演出されている。これは、閉塞感の中に層を生み出しているといえる。一人っ子政策や男性社会により抑圧される女性。しかし、北京へ行けば何かが変わるかもしれないという期待。希望を持つことで閉塞が緩和されていく様子を、画郭の変化で表現できているといえる。

『わたしは潘金蓮じゃない』は単に丸画面を使って気を衒った映画を作る出オチ作品とはいえない。なぜならば、丸画面でできることの手数があまりに多いからだ。映画は他人の人生を覗き込むエンターテイメントである。丸画面にすることで凝視の特性を強調するわけだが、絵画的集中線を意識した画作りを徹底することで凝視を強化させている。また、刑務所から出る場面。檻が開くのだが、その境界は円の中心になるよう画が作り込まれる。円と四角が調和を保つように空間が配置されていたりする。さらに、横移動しながら、廊下の全貌が見えていく描写を通じて丸画面の覗き見要素を強化させていたりする。

正方形の画に切り替わる北京編では、上半分を天井で覆い尽くすことで息苦しさを強調する業を魅せていてこれが面白かった。丸画面、正方形で作れる画のバリエーションが多過ぎて、Instagramやっている人にオススメしたいものがある。


『芳華-Youth-』でフォン・シャオガン監督に注目が集まっていることから日本で再度紹介されてもいいのではと感じた。