【ネタバレ考察】『コーダ あいのうた』同情する者は、なにも聴こえていない

コーダ あいのうた(2021)
CODA

監督:シアン・ヘダー
出演:エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、エウヘニオ・デルベス、ジョン・フィオーレetc

評価:85点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第94回アカデミー賞作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』。ここ数年は、授賞式前に作品賞受賞作は観ているものの、珍しく未観であったためTOHOシネマズ上野にて観てきた。アカデミー賞映画とは相性が悪い傾向があり、特に作品賞受賞作品で良かったと思える作品はあまりない。それだけに不安であったのだが、杞憂。確かに作品賞は『コーダ あいのうた』で間違いないと感じた。本記事はネタバレありで本作の素晴らしさについて語っていく。

『コーダ あいのうた』あらすじ

家族の中でただひとり耳の聞こえる少女の勇気が、家族やさまざまな問題を力に変えていく姿を描いたヒューマンドラマ。2014年製作のフランス映画「エール!」のリメイク。海の町でやさしい両親と兄と暮らす高校生のルビー。彼女は家族の中で1人だけ耳が聞こえる。幼い頃から家族の耳となったルビーは家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気づいた顧問の先生は、都会の名門音楽大学の受験を強く勧めるが、 ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられずにいた。家業の方が大事だと大反対する両親に、ルビーは自分の夢よりも家族の助けを続けることを決意するが……。テレビシリーズ「ロック&キー」などで注目の集まるエミリア・ジョーンズがルビー役を演じ、「愛は静けさの中に」のオスカー女優マーリー・マトリンら、実際に聴覚障害のある俳優たちがルビーの家族を演じた。監督は「タルーラ 彼女たちの事情」のシアン・ヘダー。タイトルの「CODA(コーダ)」は、「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」のこと。2022年・第94回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞(トロイ・コッツァー)、脚色賞の3部門にノミネートされ、同3部門を受賞。ルビーの父親フランク役を務めたトロイ・コッツァーは、男性のろう者の俳優で初のオスカー受賞者になった。

映画.comより引用

同情する者は、なにも聴こえていない

漁業を営む家族唯一の聴者として、両親を助けながら学校に通うルビー・ロッシ(エミリア・ジョーンズ)。音楽は好きだが、家族には理解されない。学校では、嘲笑の眼差しが向けられ辛い思いをしている彼女は気になる男の子が合唱クラブに入るのを目撃してついていく。嘲笑の眼差しがトラウマとなり、人前で歌うことができなかった彼女。しかし、顧問の先生に才能を見出され、少しずつ開花させていく。一方、稼業の方は、仕切っている団体の搾取により苦しめられていた。独立することを考えるが、独立したところで、ろう者の家族にとって聴者とのハードルが大きすぎる。ただでさえ、耳が聞こえていないことをいいことに安く魚を買い叩かれていたりする。しかし、労働組合と経営者との軋轢が高まった時に、家族は独立を決意し行動に出る。唯一の通訳であるルビーは、家族のために働くか音楽大学へ通うかの決断を迫られる。

本作は、人と人とは理解し合えない関係であり、同情すること自体に加害性があることを軸に描いている。その解像度の高さに惹き込まれる。ろう者の家族の物語と聴いて、優しい家族像、または差別に苦しむ家族像を頭に浮かべるであろう。その認識を解体する映画になっている。母親(マーリー・マトリン)はいわゆる毒親である。自らの身体の分身であるルビーを手から離したくないと考えており、束縛する。一方で、自分の分身でありながら聴者である彼女に嫉妬しており、「あなたが生まれた時、ろう者であることを祈った。しかし聴者だと聞いて気分が落ち込んだ。」とルビーに語り罪悪感を植え付けようとしてくる。それも悪意であることを認識できずに、感情の吐露として彼女にぶちまけるのだ。一方、父親(トロイ・コッツァー)は、下品な人物として描かれており、ルビーのデュエット相手であるマイルズ(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)の目の前でセックスの話を堂々とするのである。


全編手話映画『ザ・トライブ』同様、ろう者を聴者の傲慢な「救うべき存在」として描くことなく、善悪が複雑に絡んだ人間として描いている。そして、孤独で静かな存在としてのろう者のイメージから解放する。声はなくとも饒舌に音が鳴り響き、ノイズが空間が支配していくのだ。バーでルビーの兄レオ(ダニエル・デュラント)が喧嘩をした後、店員にナンパする場面に注目する。抑えられない怒りとやるせなさの中でビールを注文する。愚痴を手話で語る。そして連絡先交換を迫る。チャットで饒舌な会話合戦を繰り広げて、セックスにいたる。喧嘩したらすぐさま別のシーンに切り替わりそうなところを時間かけて描写する。確かに声はない。だが空間は饒舌である。

聴者サイドも対等に描く。合唱の場面。通常の映画であれば、ルビーを際立たせたショットを撮るだろう。しかし、本作では対等に男女、人種を捉えていく。合唱はチームワーク、群による旋律が重要だ。ルビーが苦難の人だからと特別視することはないのだ。

さて、『コーダ あいのうた』において最大の魅せ場であり、決定的な場面は終盤のコンサートシーンだろう。ろう者と聴者の断絶の中、家族がルビーの歌を聴く場面。家族が結ばれる瞬間を描く御涙頂戴になりがちなシーンだ。しかし、彼女が歌い始めると歌声が消える。静寂が空間を支配するのだ。我々は、傍観者でしかなかった。映画を通じてろう者を知った気になっていた。でも実際にろう者はどのように聞こえているのだろう。それを擬似的に再現するのだ。見渡すと、声に対する反応だけがある。高揚感はあるが自分は孤独である。世界に置いてけぼりにされた気分になる。歌声を聴かせるのを犠牲にして山場を描くのだ。

『コーダ あいのうた』は一見すると、オーソドックスな映画に見えるが、このような我々の知った気になっていることへの加害性を突きつけてくる。ルビーの父が下品なことをマイルズの前でぶちまけるコメディパートの後で、彼が学校で言いふらしてギャグとして消化したことに対するルビーの怒りを見せるところにもそれは表れている。  

人と人とは理解し合えない関係であり、同情することは人を傷つける。でも、それでも前に進むことはできる。楽観的で凡庸な着地点に見えるかもしれないが、シビアに人間を描いてきた本作だからこそ、その希望的着地点は多くの人に刺さるであろう。また内なる加害の側面について認識し、明日への道標となることであろう。

チェ・ブンブンの第94回アカデミー賞ベスト映画(現時点)

1.ドライブ・マイ・カー
2.ドント・ルック・アップ
3.コーダ あいのうた
4.燃え上がる記者たち
5.Bestia
6.ドリーム・プラン
7.ブータン 山の教室
8.ロスト・ドーター
9.ウエスト・サイド・ストーリー
10.Ascension

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※映画.comより画像引用