オールド(2021)
OLD
監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ヴィッキー・クリープス、アレックス・ウルフ、トーマシン・マッケンジー、エリザ・スカンレン、アビー・リー・カーショウ、エンベス・デイヴィッツ、ルーファス・シーウェル、ケン・レオン、エマン・エリオットetc
評価:85点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
M・ナイト・シャマランといえば『シックス・センス』でどんでん返しの人のイメージがついてしまい、毎回その呪縛と闘っているような監督である。だが、実はその呪縛というのは観客の心を縛っているに過ぎず、実は彼は一貫して俺的ハリウッド映画を作り、そのねじ曲がったもう一つのハリウッド映画像が面白さに繋がっている。例えば、国際的にカイエ・デュ・シネマぐらいしか評価していない『レディ・イン・ザ・ウォーター』を例に取る。一見すると、ウンディーネ的話の翻訳や、怪物映画として失敗しているように見える。ある意味、それは正しい。あの映画には怪物はいらなかった。彼は寓話を通じて、多様性と言いつつもバラバラになってしまっている現代人を繋ぎとめようとしたのだ。宗教が、人々をあるベクトルへ向けさせるのと同様。寓話を通じて絆の温もりを描こうとした。と同時に、その絆も禍々しい側面、ある種の陰謀論的危うさをも示唆しており魅力的であった。『ミスター・ガラス』では、シャマランなりのヒーローユニバースを築きあげた。さて、『オールド』はどうだろうか?今回はネタバレありで『オールド』の謎に迫っていこうと思う。
『オールド』あらすじ
「シックス・センス」「スプリット」のM・ナイト・シャマラン監督が、異常なスピードで時間が流れ、急速に年老いていくという不可解な現象に見舞われた一家の恐怖とサバイバルを描いたスリラー。人里離れた美しいビーチに、バカンスを過ごすためやってきた複数の家族。それぞれが楽しいひと時を過ごしていたが、そのうちのひとりの母親が、姿が見えなくなった息子を探しはじめた。ビーチにいるほかの家族にも、息子の行方を尋ねる母親。そんな彼女の前に、「僕はここにいるよ」と息子が姿を現す。しかし、6歳の少年だった息子は、少し目を離したすきに青年へと急成長していた。やがて彼らは、それぞれが急速に年老いていくことに気づく。ビーチにいた人々はすぐにその場を離れようとするが、なぜか意識を失ってしまうなど脱出することができず……。主人公一家の父親役をガエル・ガルシア・ベルナルが演じ、「ファントム・スレッド」のビッキー・クリーブス、「ジョジョ・ラビット」のトーマシン・マッケンジー、「ジュマンジ」シリーズのアレックス・ウルフらが共演する。
シャマラン最高傑作!ある日本映画のラブレターでは?
シャマランは、人物に役割を与える演出を好んでいると思う。『シックス・センス』におけるブルース・ウィリスの立ち回りはまさにそうだ。また『アンブレイカブル』では一人の平凡な男(これまたブルース・ウィリス)が、実はスーパーヒーローであることに気づく話であった。つまり、一人の男に役割が付与される話であった。『レディ・イン・ザ・ウォーター』では、国籍も年齢もバラバラな人物が寓話における役割を演じることで、水の精を救おうとする話であった。一人では上手くいっていた役割の定着が、こちらでは半ば空中分解気味であった。
『スプリット』、『ミスター・ガラス』と異様なユニバースを通じて技術力を上げたシャマランは『オールド』で大技に挑戦した。
本作では、ハリウッドホラーにありがちな幾つかの群れが窮地の中で次々と凄惨な目に遭っていくクリシェに従っているが、そこには重厚な哲学が仕組まれている。もちろん、本作はフランスのグラフィック・ノベル「Sandcastle」の映画化なので、原作にエッセンスがあるのはもちろんですが、それでもシャマランの独自性が垣間見れる。
話は、とあるビーチにたどり着いた老若男女が急速に進む時間の中で足掻きながら朽ち果てていくもの。映画の中では、博物館職員、医師、保険屋、子供が中心となって話が進む。映画をじっくりみていくと、人間の人生の側面が見えてくる。子供は時間というレールに沿って前へ前へと進んでいく。そのスピードは早い。しかし、大人になり鈍化してくると、二手の人間に別れる。過去を生きる者と未来を生きる者だ。離婚寸前の夫婦。妻は博物館職員だ。一方、夫は未来のリスクをコントロールして利益を得る保険屋である。過去を生きる者/未来を生きる者の分断によって引き裂かれようとしているのだ。そして、医者は過去と未来を紡ぐ役割をになっている。過去の行動が起因する傷を治すことで、未来へ繋ごうとする役割だ。だから、腫瘍を抱えた者を手術する場面では、時間の流れが人間を引き裂こうとする中力づくで治療を完遂させるのだ。医者が時間をつなぎ止める役割であることを象徴している。
そんな分断される二つの人間は、時間の混沌によってどう足掻いても自分の生きたい世界を生きられなくなり「現在」を歩むことしか許されなくなる。そして諦めるのだ。諦めると、老いが急速に進み、目が見えなくなってくる。しかし、盲目になると初めて他者のことが見えてくる。夫婦は寄り添うようにして、狂人から身を守ろうとするのです。画面をぼやかし、盲目を強調することで観客の中にも別のチャネルが生まれ、感覚が研ぎ澄まされ、見えないものが見えてくるこの演出に鋭さを感じた。
そして上記の骨格をやっている映画が日本に存在していることをご存知だろうか?
勅使河原宏の『砂の女』である。蟻地獄のような空間に軟禁された男の足掻きを描いたこの物語。主人公は最終的に「現在」を生きることで、人生に意味を見出す。例え、脱出する道が示されてもそれを拒むのです。
インタビュー記事では、『ピクニックatハンギングロック』や『美しき冒険旅行』から影響を受けていると語っていたが、崖の上から監視する人の姿。崖を登る演出は『砂の女』を意識していると思わざるえません。
『オールド』では、『砂の女』のエッセンスを利用しつつも、360度パンで不気味に流れる時間や、中途半端に肉体を捉えるショット。『レディ・イン・ザ・ウォーター』から進化したフレームの外側への魅力をひたすらスクリーンに叩きつけており、興味の持続が2時間竜頭蛇尾になることなく続いていました。
とはいっても、終盤は少し蛇足な気もしましたが、それは今回は目を瞑っておきましょう。
※映画.comより画像引用