M・ナイト・シャマラン

2021映画

『レディ・イン・ザ・ウォーター』シャマランが考える多様性とは?

M・ナイト・シャマラン『オールド』が公開されるや否や、Twitterでは賛否両論が分かれている。M・ナイト・シャマランはかつて町山智浩が『シックス・センス』や『ヴィレッジ』がパクリ映画だみたいなことを言ったこともあり、また『シックス・センス』のどんでん返しが凄すぎたこともあり、割と過小評価されがちの監督である。だが、彼の醍醐味はどんでん返しがどうとか、スリラーがどうとかそこにはなく、独自の歪んだハリウッド映画を魅せてくれるところにある。『アンブレイカブル』でアメコミヒーロー映画の最初にありがちな平凡な男がヒーローに目覚めるまでの過程をじっくりと描いた後、10年以上の時を経て『スプリット』、『ミスター・ガラス』と2010年代映画のテーマである「ユニバース」の文脈に歩み寄ってみせた。『サイン』、『ヴィジット』ではよくあるハリウッドポップコーン映画の文法で作りながら、時折シャマラン独自のユーモアを挿入してきてスパイスとなっていた。こうした、クリシェ外しがカイエ・デュ・シネマにウケているせいかたまに年間ベストに入ったりします。

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【ネタバレ考察】『オールド』シャマラン最高傑作!ある日本映画のラブレターでは?

M・ナイト・シャマランといえば『シックス・センス』でどんでん返しの人のイメージがついてしまい、毎回その呪縛と闘っているような監督である。だが、実はその呪縛というのは観客の心を縛っているに過ぎず、実は彼は一貫して俺的ハリウッド映画を作り、そのねじ曲がったもう一つのハリウッド映画像が面白さに繋がっている。例えば、国際的にカイエ・デュ・シネマぐらいしか評価していない『レディ・イン・ザ・ウォーター』を例に取る。一見すると、ウンディーネ的話の翻訳や、怪物映画として失敗しているように見える。ある意味、それは正しい。あの映画には怪物はいらなかった。彼は寓話を通じて、多様性と言いつつもバラバラになってしまっている現代人を繋ぎとめようとしたのだ。宗教が、人々をあるベクトルへ向けさせるのと同様。寓話を通じて絆の温もりを描こうとした。と同時に、その絆も禍々しい側面、ある種の陰謀論的危うさをも示唆しており魅力的であった。『ミスター・ガラス』では、シャマランなりのヒーローユニバースを築きあげた。さて、『オールド』はどうだろうか?今回はネタバレありで『オールド』の謎に迫っていこうと思う。