『レディ・イン・ザ・ウォーター』シャマランが考える多様性とは?

レディ・イン・ザ・ウォーター(2006)
LADY IN THE WATER

監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワード、フレディ・ロドリゲス、ジェフリー・ライト、ボブ・バラバン、サリタ・チョウドリー、ビル・アーウィン、M・ナイト・シャマラン、ジャレッド・ハリス、シンディ・チャンetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

M・ナイト・シャマラン『オールド』が公開されるや否や、Twitterでは賛否両論が分かれている。M・ナイト・シャマランはかつて町山智浩が『シックス・センス』や『ヴィレッジ』がパクリ映画だみたいなことを言ったこともあり、また『シックス・センス』のどんでん返しが凄すぎたこともあり、割と過小評価されがちの監督である。だが、彼の醍醐味はどんでん返しがどうとか、スリラーがどうとかそこにはなく、独自の歪んだハリウッド映画を魅せてくれるところにある。『アンブレイカブル』でアメコミヒーロー映画の最初にありがちな平凡な男がヒーローに目覚めるまでの過程をじっくりと描いた後、10年以上の時を経て『スプリット』、『ミスター・ガラス』と2010年代映画のテーマである「ユニバース」の文脈に歩み寄ってみせた。『サイン』、『ヴィジット』ではよくあるハリウッドポップコーン映画の文法で作りながら、時折シャマラン独自のユーモアを挿入してきてスパイスとなっていた。こうした、クリシェ外しがカイエ・デュ・シネマにウケているせいかたまに年間ベストに入ったりします。

さて、世界中が酷評の嵐の中、カイエ・デュ・シネマが年間ベストに入れた『レディ・イン・ザ・ウォーター』を観ました。実は中学時代の時から観よう観ようと思いつつ、中々手が出せぬまま10年以上が経過しようやくの観賞です。

カイエ・デュ・シネマベスト(2006年)

1.六つの心(アラン・レネ)
2.太陽(アレクサンドル・ソクーロフ)
3.グエムル -漢江の怪物-(ポン・ジュノ)
4.レディ・チャタレー(パスカル・フェラン)
5.不完全なふたり(諏訪敦彦)
6.カポーティ(ベネット・ミラー)
6.あの彼らの出会い(ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ)
6.レディ・イン・ザ・ウォーター(M・ナイト・シャマラン)
9.ディパーテッド(マーティン・スコセッシ)
10.父親たちの星条旗(クリント・イーストウッド)
10.ニュー・ワールド(テレンス・マリック)

『レディ・イン・ザ・ウォーター』あらすじ

「シックス・センス」「サイン」のM・ナイト・シャマラン監督によるファンタジー。掃除や壊れた設備の修理などをし、静かに淡々とした日々を過ごしていたアパートの管理人のクリーブランドは、ある日、プールの下の通路でストーリーという名前の女性を見つける。彼女は精霊で、恐ろしい怪物に追われており、アパートのプールに身を潜めていたのだった……。主演はポール・ジアマッティとブライス・ダラス・ハワード。

映画.comより引用

シャマランが考える多様性とは?

昨今、世の中は「多様性」という言葉が叫ばれている。映画の世界でも多様性の要素が盛り込まれられ、女性や黒人が対等の立場で役割が与えられるようになりつつある。だが一方で、多様性のために不自然に配役されているのでは、表面的な多様性の実現はなされたが実情はあまり多様性が実現できていないように感じることもある。アニメ映画における、アジア人の軽視なんかもそうだし、中東やアフリカ系の俳優が悪役以外で活躍することはまだまだ実現できていない。

『レディ・イン・ザ・ウォーター』はそんな欺瞞に近い多様性に対して、2006年の時点で真摯に向かい合っていると言える。ポール・ジアマッティ演じるアパート管理人ことクリーブランドは吃音である。映画からその吃音の要素を抜いても映画は成り立つが、本作では敢えて入れており、他の登場人物はほとんど彼の言葉遣いを笑ったりしない。同様に、インテリのアジア人ギャルが登場したりするのだが、特別扱いすることはない。このアパートには、様々な曲者が住んでおり、不良グループもいたりするが、全てを対等に扱う。そして、アパートという箱で区切られ、分断されてしまった人々が、アパート管理人が拾ってきた水の精を中心に、一つになっていく。寓話の役割に従い人々が一つになることで、アパートの影に潜む魔物を撃退しようとするのだ。

正直、魔物は画面が暗すぎてよくわからず、出し惜しみが激しいので、モンスター映画として観るとがっかりするかもしれない。それこそ、得体の知れない概念として描くべきなのだが、要するにこれは分断による諍いがもたらす暴力のメタファーなのだ。

シャマランは丁寧に、冒頭でアニメーションを用いて、何故水の精が人間の前に現れるのかを語っているので、それをじっくり読み取れば、この映画において重要なのはモンスターでないことがよく分かる。

人間は誰しも好き勝手で不器用だ。でも不器用なりに行動すれば奇跡を起こせるかもしれないというシャマランの多様性論が感傷的な音楽と、良くも悪くも自己陶酔的なカメラワークの中で展開されていくのだ。

これを踏まえて、『オールド』を観るとシャマランの成長っぷりに涙が出てくる。本作では、テクニックが熱暴走し空中分解していたものが、バキバキのカメラワークで人間と理論が強結合している。そう考えると、直前に『レディ・イン・ザ・ウォーター』観てよかった。中学時代から2021年まで熟成させておいて良かったなと思う。実はアベル・フェラーラ『4:44 地球最期の日』と同じく、今が食べ頃です。

※映画.comより画像引用

 

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