フリー・ガイ(2021)
Free Guy
監督:ショーン・レヴィ
出演:ライアン・レイノルズ、ジョディ・カマー、ジョー・キーリー、チャニング・テイタム、タイカ・ワイティティ、ウトカルシュ・アンベードカル、リルレル・ハウリー、ブリトニー・オールドフォード、オーウェン・バークetc
評価:70点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ウォルト・ディズニー配給でありながらディズニー+行きを免れた『フリー・ガイ』。2010年代以降流行したゲーム世界映画に名を刻む作品であるが、ストーリー面でとても評価されている。微妙に忙しく、中々観に行く時間が取れなかったのですが、これは劇場で観た方が良さそうだと思いTOHOシネマズ海老名に行ってきました。監督のショーン・レヴィと言えば、『ナイト ミュージアム』シリーズや『インターンシップ』、『リアル・スティール』といった年間ベスト級でないものの気楽に楽しめる娯楽映画の名匠。その名に恥じず、今回もNice Guyな映画を作ってきました。今回はネタバレありで語っていきます。
『フリー・ガイ』あらすじ
「ナイト ミュージアム」のショーン・レビ監督が「デッドプール」のライアン・レイノルズとタッグを組み、何でもありのゲームの世界を舞台に、平凡なモブキャラが世界の危機を救うべく戦う姿を描いたアドベンチャーアクション。ルール無用のオンライン参加型アクションゲーム「フリー・シティ」。銀行の窓口係として強盗に襲われる毎日を繰り返していたガイは、謎の女性モロトフ・ガールとの出会いをきっかけに、退屈な日常に疑問を抱きはじめる。ついに強盗に反撃した彼は、この世界はビデオゲームの中で、自分はそのモブキャラだと気づく。新しい自分に生まれ変わることを決意したガイは、ゲーム内のプログラムや設定を無視して勝手に平和を守り始める。共演にテレビドラマ「キリング・イヴ」のジョディ・カマー、「ジョジョ・ラビット」のタイカ・ワイティティ。
They Did
本作は言うならば『ゼイリブ』RTAである。主人公ガイ(ライアン・レイノルズ)視点で観た際に、骨格はジョン・カーペンター『ゼイリブ』そのものである。街が毎日破壊されているのに、何食わぬ顔で暮らしており、幸福度も高いガイが、決して話しかけてはいけないサングラスをかけた人に恋をしてしまい、ヒョこんなことから自分もサングラスをかけたことでこの世が別世界の人に支配され、全ての行動が制御されていたことに気づくという内容となっている。これは『ゼイリブ』における、サングラスをかけることでこの世の広告の裏に隠されたメッセージに気づき、周囲にその真理を教えようとする話と酷似している。そして、当然ながら本作はサングラスを登場させているので『ゼイリブ』オマージュをするのだが、これが3度に及ぶ。
一つ目は、サングラスを装着し、サングラス族が見えている世界が違うことを知ったガイは銀行の同僚バディ(リル・レル・ハウリー)にサングラスをかけるように説得するが、頑なに断るところ。二つ目は、ゲームの世界が再起動され記憶を失ったガイにヒロインのモロトフ・ガール(ジョディ・カマー)がサングラスをかけるように説得する場面。そして三つ目は、最終バトルでサングラスを敵にかけようとする場面だ。
『ゼイリブ』で主人公が黒人の友人フランクにサングラスをかけさせようと5分近くかけて戦う場面を3回に解体している。解体することで、単なるオマージュに留まらず外しの演出となっており、最終的にバディはサングラスをかけないという意表を突く着地となっている。これはジョン・カーペンターの世界を2020年代の多様性の価値観にアップデートしたものとなっており、サングラスをかけてこの世の真実を知らなくても、その生き方は肯定されるべきというショーン・レヴィの意志を感じる。しかし、『ゼイリブ』ファンとして、終盤の筋肉モリモリマッチョマンとの戦いで苦境に立たされるガイを見つめるバディという構図があるのに、しかもサングラスを手に持っているのに、装着してくれないのはモヤモヤする。そして、敵に勝つ方法が、サングラスをかけさせてバグらせるというもので、プログラマーだったらまだしも、自分の世界の外側をあまり知らないガイがそのバグ技を見つけるのは無理があると思った。とはいえ、最速で相手にサングラスをかけさせる方法として銃を向けたり、そもそも相手に委ねて早々に立ち去ったりする部分がRTAっぽい時間短縮で嫌いではない。
この映画全体的に軽妙に映画が進み、ギャグも林完治の自然なギャグの和訳の助けもあってめちゃくちゃ面白い(「40歳の童貞男かよ!」ってツッコミに爆笑した)。『ゼイリブ』オマージュの部分は目を瞑るとして、結構残念だったところがある。
自分の世界が仮想世界であることを認知できないガイとガイが一般のプレイヤーではなくAIが自然成長してできた仮想のものであることを知らないエンジニアのスレ違いコントという魅力があるにもかかわらず、あっさりと説明台詞のゴリ押しで相互に状況を理解してしまうのがあまりに勿体ない。本作はディストピアもディストピアの外側を知らなければユートピアとなることをテーマとしている。ならば、いかにしてその外側を知るかが大事だ。サングラスだけでは外側の世界を知れないとなったら、いかにして外側の世界を知るのか?ここは偶然、一般ユーザーだけが入れるバーに入り、そこのディスプレイに映る自分の姿を観て気づかせるべきであろう。また、エンジニアが気づく場面もエンジニアカップルの会話で明かすのではなく、思索のトライ&エラーのシーンを魅せて、「彼女/彼は何かわかったようだ。それはなんだろう?」と観客に抱かせ、ゲーム内であるテストを行い、ガイの正体を見破るといった演出が必要であろう。折角の面白い要素が台無しだと思う。
まあ、「グランド・セフト・オート」が「どうぶつの森」に化けたところでユーザーがついてくるのか?みたいな疑問もなくはないのですが、映画を観ている間はライアン・レイノルズが無邪気に暴れまわっている姿を観られて大満足です。
恐らくこれは続編が作られるだろう。ここは、ブータンがかつて幸福度が高い国であったが先進国のテクノロジーの存在を知ってから幸福度が下がってしまったように、外の世界を知ってしまったゲーム内のモブキャラたちの幸福度が下がり混乱を生む話になるんじゃないかな。AIは果てなき欲望を見るのか?といった哲学に挑戦してほしいなと思う。
※映画.comより画像引用