『イン・ザ・ハイツ』American Dreams are Dead.

イン・ザ・ハイツ(2021)
In the Heights

監督:ジョン・チュウ
出演:リン=マヌエル・ミランダ、ダーシャ・ポランコ、ステファニー・ベアトリス、ジミー・スミッツ、コーリー・ホーキンス、アリアナ・グリーンブラット、アンソニー・ラモス、マーク・アンソニー、スーザン・プルファーetc

評価:35点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

うちの職場は意外とゆるいところがあって、仕事の士気を上げる為にラジオの使用が許可されている。先日、音楽ジャーナリストの宇野維正が『イン・ザ・ハイツ』を楽しそうに紹介していて少し興味を持った。正直、予告を観るとミュージカル映画お馴染みバークレー・ショットを何の批評性もなく使用している感が強く不信感を抱いていたのですが、夏映画を浴びたいということもあり映画館に行ってきました。結論から言うと、テーマは興味深いが演出が凄惨で退屈な作品でありました。

『イン・ザ・ハイツ』あらすじ

ミュージカル「ハミルトン」でも注目を集めるリン=マニュエル・ミランダによるブロードウェイミュージカルで、トニー賞4冠とグラミー賞最優秀ミュージカルアルバム賞を受賞した「イン・ザ・ハイツ」を映画化。変わりゆくニューヨークの片隅に取り残された街ワシントンハイツ。祖国を遠く離れた人々が多く暮らすこの街は、いつも歌とダンスであふれている。そこで育ったウスナビ、ヴァネッサ、ニーナ、ベニーの4人の若者たちは、それぞれ厳しい現実に直面しながらも夢を追っていた。真夏に起きた大停電の夜、彼ら4人の運命は大きく動き出す。「クレイジー・リッチ」のジョン・M・チュウ監督がメガホンをとり、「アリー スター誕生」のアンソニー・ラモス、「ストレイト・アウタ・コンプトン」のコーリー・ホーキンズ、シンガーソングライターのレスリー・グレイスらが出演。

映画.comより引用

American Dreams are Dead.

今から約100年前、アメリカでは世界恐慌で鬱屈した現実に対する逃避として豪華絢爛ハッピーエンドのミュージカル映画が多数製作された。今や、ミュージカル映画となれば必ずと言っていいほど擦り倒されているバークレー・ショットもこの時代に生み出され、万華鏡のように動き回る人々に観客は心癒された。

さて、本作は数多あるミュージカル映画の中でかなり異質だ。一見すると爽やかラテン系の音楽に心動かされるであろう。しかしながら、よくよく見ると本作は現代アメリカの絶望を描いており、ラストもハッピーエンドに見えて最悪な形で終わっているのだ。

かつてアメリカは、アメリカン・ドリームを掲げ、世界中から夢を見る者が集まってきた。自由にロマンを抱き、自分の夢を叶えるために汗水流しながら働いた。しかしながら、行き過ぎた資本主義により、格差が大きくなり過ぎた。ジェントリフィケーションによってどんどん、人々の居住区は外へ外へと追いやられていく。勉強を頑張って這い上がろうにも、貧困地域で優等生だったとしても大学に行けば、何不自由なく情報や資源にありつける富裕層に勝てない。マイナスをゼロにするだけで精一杯で、元々100とか1000とかアドバンテージがあり、下手すればバイトする必要すらない彼らと肩を並べることは不可能に近くなってしまった。それを薄々知っている貧困層の移民たちは宝くじに夢を託す。もう努力しても這い上がれないから一発逆転を狙うしかない。でも立ち止まったら死あるのみである。そもそも心の底では絶望しているので、そのワシントンハイツに存在するであろう宝くじの当たりくじを奪おうとする発想すら映画では起こらない。

そんな苦境が彼らの空元気なダンスに現れている。引きつっていて、表向きは明るいが息苦しさがある。本作は、100年前のハリウッドが直視しなかった現実に対して、今は違うと声を荒げた作品なのだ。

だから、映画はフレデリック・ワイズマンの『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』さながら、様々な人の生き様。タクシー会社でDJのようにして生きる者、移転が決まっているヘアサロン、チェーン店に蹂躙されているかき氷屋、そして主人公が営むボロい商店を押し並べ土地の肖像を紡いでいくのだ。

ただ、これがかなり退屈であり、とっ散らかったストーリーは果たしてウスナビ(アンソニー・ラモス)たちをどこへ導くのかどうでもよくなってしまった。このどうでもよくなる感覚は、単に脚本の悪さだけが原因ではない。スパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』の演出を引用しておきながら、本作が土地の映画にもかかわらず、全くワシントン・ハイツの気温を表現できていなかったところにある。ワシントン・ハイツは気温41度とのことだが、日本で連日35度近い眩しい陽光とうだる様な暑さを知っていると、映画はせいぜい28度ぐらいの天気ではと思ってしまう。もし、本当に30度後半の気温であるのなら、蜃気楼が発生したり、逆光で人物の影だけが見えるといった描写が必要である。例えば、アブデラティフ・ケシシュの『Mektoub, My love: Canto Uno』では浜辺と海が陽光で反射しまくり、強めの影が作られ、暑さと涼しさが伝わってきた。小手先のインスタ映え的色彩感覚で、スクリーンの外側に広がる暑さを表現できてなかったので、この虚構の中のリアリズムに付き合おうという気持ちが失われてしまった。

また、折角大勢の俳優が群れのアクションを魅せているのに、無慈悲に1秒ペースにショットを切り刻んでいるのも許せなかった。しっかり、一つ一つのアクションを映せていたら、ジョン・フォード『静かなる男』の様な興奮があったのになぁと思った。

そして、映画観なれていると、未来のウスナビが子どもたちにワシントン・ハイツについて話していることに不穏な空気が漂うのだが、衝撃的な形で裏切ります。確かに希望的なラストではあるが、あれはバッドエンドでは?絶望的でディストピアなラストに戦慄しました。

なんか、本作を観ていると明るく楽しむことは不可能だ。コロナ禍になり、居酒屋でマジックをやらせてください。歌を歌います。と到底会話に入り込む余地がない程盛り上がっている中入り込み、チップを求めるパフォーマーの必死過ぎて引きつった明るさを思い出して辛くなりました。2000年代にもそういったパフォーマーはいたが、少なくてもチップは不要だった。賃金に組み込まれている様だった。今やチップを求めないと生存できないパフォーマーが多いことを考えると、この世界の引きつった踊りを観れば観るほど悲しくなってくるのです。

作劇に難あれども2020年代重要なミュージカル映画と言えよう。

※映画.comより画像引用