明日の世界(2015)
監督:ドン・ハーツフェルト
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
凄いアニメ作家がいると教えてもらった。ドン・ハーツフェルトだ。短編アニメながら、その情報量が圧倒的らしい。というわけで彼の代表作『明日の世界』を観たのですが圧倒的でありました。
『明日の世界』あらすじ
少女エミリーはある日遠い未来からの交信を受ける。同じくエミリーと名乗るその女性は、彼女のクローンなのだという。未来のエミリーは、少女エミリーを、彼女の暮らす未来の世界へと連れていく。そこで待ち受けていたのは、「死」が消えて、永遠に生きることを余儀なくされた人々の、ボンヤリとして切ない人生の物語だった。
原始的無意識への渇望
欲望の機能の領野における眼差しの特権を我われが把握することができるのは、視覚の領野が欲望の領野へと統合されていった、いわばその道筋に沿って進むことによってです。(ジャック・ラカン-「精神分析の四基本概念」)
意識/無意識の境界線がない少女エミリーはコンピュータを乱暴に叩く。すると、遥か遠い未来からエミリーのクローンと名乗る者が現れる。クローンのエミリーは、彼女に語りかける。未来では、精神をクローン等に移植する。つまり精神を外部化することで永遠の命を得られるようになったと。そして、インターネットは風化し、精神と接続するアウターネットが登場したと語る。クローンのエミリーはある目的の為に彼女の前に現れ、異次元へと誘う。
本作は、一度観ただけでは難解である。単語自体は分かるが、概念が複雑怪奇に絡まりあい、その渦の中で溺れる。まるでジャック・ラカンのセミネールを聞いているかのように。たった16分の作品にもかかわらず圧倒的情報量で殴りつけてくる作品ではあるが、大人が幼少期を振り返った時、無意識な行動に意識を見出そうとするプロセスを捉えているのではといったアイデアが降ってきた。
大人になると、膨大な情報が脳を支配する。喪失、痛み、そういったものが精神を蝕む。例え、肉体的痛覚、老衰から脱せたとしても、過去の地層がチクチクと刺さる。そんな大人は、時として幼少期の無に羨望を抱くであろう。無意識な行動の自由さ、恐怖すら感じない無意識に支配された世界にこそユートピアはあると考えるだろう。世界は広がり、アウターネットが世界を覆う。だが、その大海原には絶望しかなく、真のユートピアはインターネット、インナースペース、心の内面、深層部にある。
だから、クローンはエミリー・プライム(=原始)のもとへ訪れ、言葉のドッヂボールであっても延々と彼女に語りかけるのだろう。そして、勝手に彼女の本能的に放たれる言葉を解釈し、癒されているのであろう。大人の複雑に入り乱れた脳内を、線描画、CG様々な技術を混在させ視覚化することでこのプロセスを効果的に描いている。
SF映画でありながら、人間の幼少期を振り返る行為についてドラマチックに描いた大傑作であった。
※imdbより画像引用