クレストーン(2020)
Crestone
監督:マーニー・エレン・ハーツラー
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
今、イメージフォーラムが熱い!牛1頭vs人間1000人のデスマッチ映画『ジャッリカットゥ 牛の怒り』やケリー・ライカート特集が開催されている。入管法に苦しめられる難民を捉えた『東京クルド』なんかも上映されている。さて、その陰でドキュメンタリー映画配給会社サニーフィルムが荒野を舞台にしたドキュメンタリー2本を上映している。その一本『クレストーン』を観てきました。
『クレストーン』あらすじ
米コロラド州の砂漠の地に作ったコミューンで暮らすラッパーたちを捉えたドキュメンタリー。アメリカ中西部コロラド州のクレストーン。かつて先住民族ナバホ族が暮らしたこの地は、現在はスピリチュアリストたちの聖地となっている。映画作家マーニー・エレン・ハーツラーは、クレストーンにコミューンを作って大麻を栽培しながらSoundCloudラッパーとして活動する高校時代の同級生たちに会いに行く。持続可能なユートピア作りを目指す彼らは物質社会を批判するが、現実を見ようとはしない。やがてコミューンに山火事が近づくと、彼らのユートピアは綻びを見せ始める。アメリカのオルタナティブバンド「アニマル・コレクティブ」が初めて映画音楽を手がけた。
自由に不安を押し込めながら
アメリカ・コロラド州クレストーン。ここは、資本主義の呪縛から逃げてきた人のユートピアとなっている。彼らは、かつて人間が自然と共存して生きたように原始的な生活に身を潜めている。そう聞くと文明的なものを排除して生きることを想像するが、本作で登場するラッパーたちはクレストーンに散らばる誰かが住んだ形跡を集めながら暮らしている。ゲルのような空間で大麻を吸いながら、刺青を彫る。その大麻は、コミュニティの一角で栽培される。土や岩を使った、原始的な空間がある一方で、テレビで映画を観たり、Macで音楽制作に励んでいる。中には、VRを装着してダラダラとドローンを飛ばしていたりする。彼らは、喧騒とした都会。資本主義から逃れてクレストーンにやってきた。青春の延長のように、まるで『スタンド・バイ・ミー』の彼らのように、永遠に思える休暇を謳歌しているのだ。
だが、そんな彼らの横では地球温暖化による影響か山火事が起きている。撮影者は、自由のすぐそばに迫り来る危機に不安を感じているが、彼らは何も感じていないようだ。
本作は、一見ただ自由を追い求めて砂漠を目指した者を無軌道に撮影しただけに見える。しかしながら、じっくりと彼らの行動を見つめていると、彼らが自由を追い求めてユートピアを作った一方で、その自由さの中に不安を押し込めているのがわかる。彼らは自由になっていると思い込んでいるが、結局はSNSに支配され、世界中の不安から逃れることができない。単なる衣食住への不安ではないので、原始的生活から来る不安以外のものがそこに介在している。だからこそ、彼らはそれを忘れるために絵を書いたり、ラップを紡いだりするのだ。
SNSの登場で、人間は巨大化し、相対的に地球が狭くなった。世界中のあらゆる情報が見えてしまう。そして、生物は狭いところに押し込められるとフラストレーションがたまるものである。学校でイジメが発生するのは、狭い空間、コミュニティに多くの人をすし詰めにしていることと同じだ。故に、現代において社会のシステムから逸脱した生活を求めて砂漠へ出てもユートピアは見つからない状況となっているのだ。なんてディストピアなことでしょう。
そしてそんな厭世的な世界にポツリと、ひたすら電動バイクで自分の本能に従い冒険する青年が出てくる。彼こそがこの映画の希望的存在と言えよう。
悲しくもなり、でもSNSに触れる以前の旧友と会ったような気分にさせられた作品でした。
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※imdbより画像引用