ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~(2021)
監督:飯塚健
出演:田中圭、土屋太鳳、山田裕貴、眞栄田郷敦、小坂菜緒、濱津隆之、古田新太etc
評価:60点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
今年のはじめの頃、ある予告編を観て驚愕した。1998年長野五輪スキージャンプ金メダルに導いた実話を基にした映画『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』だ。なんと猛吹雪で競技続行中止の危機に瀕している中、日本を金メダルに導くため25名のテストジャンパーが頑張る話なのだ、日本に金メダルを取らせるために悪天候なのにテストジャンプを成功させるという体育会系脳筋発想に眩暈がした。そして今、東京オリンピックが「中止か開催か」の議論から「開催」一択に絞られまさしく本作さながらの状況に追い込まれている。『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』はどう考えてもプロパガンダ映画だろう。
既にTwitterでは地雷映画としての烙印を押されているが、ひょっとしたらレニ・リーフェンシュタールのように映画技法としては面白いのかもしれない。というわけで観てきました。本作は映画技法として鋭いながらも、テストジャンパーたちが悪天候下でのジャンプを決める場面が衝撃的だったのでネタバレありで考察していきます。
『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』あらすじ
1998年長野五輪でのスキージャンプ団体の金メダル獲得を陰で支えたテストジャンパーたちの知られざる実話を、田中圭の主演で映画化。スキージャンパーの西方仁也は1994年リレハンメル五輪の団体戦で日本代表を牽引するが惜しくも金メダルを逃し、長野五輪での雪辱を誓うも腰の故障により代表を落選してしまう。悔しさに打ちひしがれる中、競技前にジャンプ台に危険がないかを確認するテストジャンパーとして長野五輪への参加を依頼された彼は、裏方に甘んじる屈辱を感じながらも、それぞれの思いを抱えて集まったテストジャンパーたちと準備に取り掛かる。そして五輪本番、1本目のジャンプを失敗した日本が逆転を狙う中、猛吹雪によって競技が中断。審判員たちは「テストジャンパー25人が全員無事に飛べたら競技を再開する」という判断を下し、日本の金メダルへの道は西方をはじめとしたテストジャンパーたちに託されることになる。田中圭が演じる主人公・西方仁也ほか、「カメラを止めるな!」の濱津隆之が演じる原田雅彦ら、実在のスキージャンパーが劇中に多数登場。監督は「荒川アンダー ザ ブリッジ」「虹色デイズ」の飯塚健。
『ヒノマルソウル』から観るプロパガンダ映画論、或いは想像したくない東京五輪
セルゲイ・ロズニツァ監督は『国葬』の中で、群衆がスターリンの死を一丸となって偲ぶ様子を巧みなフッテージの結合で演出してみせた。スターリン時代は対外的には栄えているように見えて、実は飢餓や虐殺により大勢の市民が犠牲となった。ソ連が作るプロパガンダは、その悲劇を秘匿しており、セルゲイ・ロズニツァは群れに執着した編集によりプロパガンダとは何かを論じていた。
さて奇遇なことに、『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』もプロパガンダ映画として意識的に「群れ」を意識した編集/撮影を施しており、これが興味深かった。
まず、1994年リレハンメルオリンピックでの場面。街中のディスプレイ前に群衆が集まる。その中で、原田雅彦(濱津隆之)は痛恨のミスで金メダルを逃す。群衆が、一斉にヤジを飛ばす。記者会見のシーンでは、必死に震えを押さえ込み苦笑いする原田に記者が圧をかける。このシークエンスにより、金メダル獲得がいかに日本にとって重要かが観る者に刷り込まれる。そして数分に一度「金メダル」という単語が発せられ、いく先々で金メダルが取れないことによる呪いを向けられる。この積み重ねにより、終盤誕生するパワーワード「ヒノマルソウル」に熱が宿る。
主人公・西方仁也(田中圭)はリレハンメルでの雪辱を果たす為、練習に励んでいたが、長野オリンピック間近に迫ったある時、怪我をして出場ができなくなる。同様にメンバーの中には怪我で長野オリンピックに出場できなかった者もいるが、彼とは違い西方には長野しかなかった。次の大会は年齢的に挑戦できなかったのだ。そういった蹉跌によるドス黒い感情を本作は群れ配置の妙によって視覚的に表現してみせる。
テストジャンパーメンバーとなった西方のユニフォームカラーは他のメンバーと異なり水色である。そしてメンバーが一丸となって応援したり練習励んでいる中、一歩引いたところからチームを見ている。この空間的断絶は、「リレハンメルでメダルを獲った」という事実に胡坐をかき、チームを見下していることを象徴している。そして映画は予定調和的に、その壁が崩壊していく過程を描くのだが、人間そうそう変わることができない為、最後まで西方のユニフォームカラーを変えず、内なる闇とある程度の折り合いをつけ、チームに最低限寄り添うところに収斂しているところがリアルであり好感持てる。
こうした繊細な群れ描写は、クライマックスになるとさらに鋭さを増していく。テストジャンプの場面。長い時間かけて熟成させていった各キャラクターの背負った人生を踏まえて運命のジャンプが展開される。25人全員ではなく、深掘りした人物の人物数名に絞る。彼らは飛ぶ。そして見事着地に成功する。観客は彼らの人生を知っている為感動することでしょう。しかし、映画内の群衆はテストジャンパーのことを無視する。挙げ句の果てには虚空に向かってヤジを飛ばす。映画を通じてテストジャンパーのドラマを知るまで、観る者は明らかに映画内の観客と同じ立場だっただろう。少なくても西方同様「わかっているつもり」にいる立場だっただろう。映画を通じて観る者の価値観が変わったことを意識させる仕組みとなっているのだ。リレハンメルの後光差し込む群衆の中でのジャンプと対比させ、内なる自分に勝つことに力点を置く。
昨年の『アルプススタンドのはしの方』、大阪アジアン映画祭で上映された『ナディア、バタフライ』とスポーツを一歩引いた場所から捉えた意欲作が増えてきているが、それと肩を並べられる力作になっていました。地雷案件だからと観る前から貶してはいけない映画2021年代表と言えよう。
とはいっても本作の思想面では受け入れ難い。しかし、テストジャンプを決意する場面の気持ち悪さは今の東京五輪のゴタゴタとリンクしており、天然なのか意図的なのかわからなくなるぐらい怖かった。
悪天候によりジュリー会議が行われ、日本の役員から「25人のテストジャンプを成功させてくれ、そうしない日本人の夢が敗れてしまう」と言われる。それに対して古田新太演じるコーチは「断る。日本の為、金メダルの為に彼らをトレーニングしたわけではない。」と言う。すると、テストジャンパーたちが次々と「飛ばせてください!」と言い始めるのです。そして障がいのあるテストジャンパーが「ヒノマルソウル」と叫ぶのです。そしてぬるっと、「ヤバくなったら自分の意志で棄権してください。」とコーチは自己責任に転嫁してしまうのだ。
これを観ると、東京五輪が様々な専門家が「やめよう」と言っているのに、声の大きい日本の役員が「東京五輪やらせてください」とIOCに懇願するシナリオの基現実も動いているのではと思ってしまう。
体育会系の部活とかでも、コーチや先生が権限で練習や試合を中止にしようとすると「やらせてください」と言う光景がよくみられる。集団であるベクトルを向いた時に暴走しやすい国民性があると感じているだけに、この狂ったプロセスで長野オリンピックスキージャンプを金メダルに導いた物語に戦慄しました。
公開時期もあり、今観ると気持ち悪さしかない映画なのですが、演出面で光るものがあり、また『カメラを止めるな!』の濱津隆之がとてもいい葛藤顔を魅せていたので面白かったです。
※映画.comより画像引用