ハデウェイヒ(2009)
HADEWIJCH
監督:ブリュノ・デュモン
出演:ジュリー・ソコロウブスキ、カール・サラフィディス、ヤシーヌ・サリム、ダヴィド・ドゥワエルetc
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日、第74回カンヌ国際映画祭のラインナップが発表されました。カンヌ国際映画祭は非常に保守的であり、今回はNetflix作品がゼロなのは勿論、カンヌ経験者が殆どをしめている入りづらい居酒屋状態となっている。正直、カンヌの真面目だけが取り柄な作品がパルム・ドールを獲る状況には辟易としているので、地雷が多くても意欲的なラインナップを揃えるベルリン国際映画祭のサブ部門の方が関心高いのですが、ブリュノ・デュモンの新作『France』が来るとなれば話は別だ。2010年代は、素人俳優を起用し、地方都市でユニークな作品を撮っていた彼が、レア・セドゥを主演に交通事故で人生の歯車が狂い始めるジャーナリストの人生を描いたらしい。パルム・ドールはカンヌ歴が長い且つ社会派が受賞する傾向がある。雰囲気的にアスガル・ファルハーディーの新作『A HERO』が獲りそうな気もしますがダークホースとして応援したい。
閑話休題、カンヌシーズンとなりましたので特集をしようと思う。今回はブリュノ・デュモンの『ハデウェイヒ』について書きます。
『ハデウェイヒ』あらすじ
The aspirant nun Céline van Hadewijch is invited to leave the convent where she studies and she returns to the house of her parents in Paris. Céline meets her outcast Muslim teenage friend Yassine Chikh in a café and they hang around together. Céline tells that he is only her friend since she is committed with God and will stay virgin since her body belongs to God. Yassine introduces Céline to his older brother and religious leader Nassir Chikh and he invites the teenage girl to participate in his religious seminars. However, Nassir is actually a terrorist and the confused Céline is the perfect tool for his cell.
訳:修道女志望のCéline van Hadewijchは、勉強していた修道院を出るように言われ、パリの両親の家に戻った。セリーヌは10代のイスラム教徒の友人ヤシーヌ・チクとカフェで出会い、一緒に過ごすようになる。Célineは、自分は神に誓っているし、自分の体は神のものだから処女のままだと、彼はただの友達だと言う。YassineはCélineに兄で宗教家のNassir Chikhを紹介し、10代の少女を彼の宗教セミナーに参加するように誘う。しかし、Nassirの正体はテロリストであり、混乱しているCélineは彼の組織にとって完璧な道具であった。
※imdbより引用
敬虔と社会不適合者
宗教とは人間の心の拠り所である。この世の理不尽を避雷針のように受け流す役割がある。そして、ある規律に人々が従うことで良質な人間関係が築けたり、孤独が癒えたりする。しかしながら、敬虔すぎるとそれは悪にも変わる。人間は機械ではないので一貫性を保ち続けるのは困難だ。宗教は非科学的な側面もあるため、矛盾が生じていたりする部分もある。宗教を真として一途を貫き通すことは周囲にとって厄介なことだったりする。
ブリュノ・デュモンはそんな宗教の矛盾を、建築で象徴させている。冒頭、リフォーム中の教会を背に仄暗い空間でハデウェイヒ(ジュリー・ソコロウブスキ)は長い長い祈りを捧げる。そして、その後彼女は修道院から出て行けと言われる。敬虔、神聖な空間であっても思考はアップグレードしていく。それに適応できない様子がこのシーンから読み取れる。
実家に帰るハデウェイヒ。彼女の実家は裕福であり城のような空間で暮らしている。保守的な家に思えたが、それはハリボテであり、宗教の孤独を癒す側面は存在しない。彼女は居心地の悪さを感じている。
そんなある日、カフェでイスラム教徒のヤシーヌ・チク(ヤシーヌ・サリム)と出会う。彼は盗んだバイクで走り出す不良だ。しかし、彼の勧めで兄が率いるイスラム教原理主義のセミナーと関わる中で、彼女の求める宗教観が一致し、過激派の道へ転落していくのだ。キリスト教だろうが、イスラム教だろうが敬虔さがいきつくところの過激な原理主義という本質的なものを鷲掴みにしつつ、保守的な空間、現代的な建築、そして改装される教会という空間をハデウェイヒに横断させることによって映画的視点を導き出したブリュノ・デュモンはやはり天才だなと思いました。と同時に、単に宗教を批判したり、宗教にのめり込む社会不適合者を破滅させる安易さに陥ることなく、社会からの拒絶と罪と、救いの境界線を曖昧にしていく演出がよかった作品でもあります。
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