【ネタバレ考察】『ディア・エヴァン・ハンセン』ウォールフラワーの心臓を抉り取れ!

ディア・エヴァン・ハンセン(2021)
Dear Evan Hansen

監督:スティーヴン・チョボスキー
出演:ベン・プラット、エイミー・アダムス、ジュリアン・ムーア、ケイトリン・デヴァー、アマンドラ・ステンバーグ、ニック・ドダニ、ダニー・ピノ、コルトン・ライアン、アイザック・パウエル、エイブリー・ベダーマンetc

評価:95点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第34回東京国際映画祭で上映された『ディア・エヴァン・ハンセン』が日本でも公開された。本作は、トニー賞で6部門を受賞し、グラミー賞、エミー賞にも輝いた同名ブロードウェイミュージカルの映画化である。監督は『RENT レント』の脚本や『ウォールフラワー』、『ワンダー 君は太陽』といった青春映画の監督を務めたスティーヴン・チョボスキー。海外では評判悪いと聞いていたのだが、それも納得であった。というよりか、そもそも本作は「泣けるミュージカル」ではなかったのだ。今回は、『ディア・エヴァン・ハンセン』が修羅場映画としていかに傑作だったかについてネタバレありで書いていく。

『ディア・エヴァン・ハンセン』あらすじ

トニー賞で6部門を受賞し、グラミー賞、エミー賞にも輝いたブロードウェイミュージカルを映画化。監督を「ワンダー 君は太陽」のスティーブン・チョボウスキーが務め、ミュージカル楽曲を「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」「アラジン」など大ヒットミュージカル映画に携わってきたベンジ・パセック&ジャスティン・ポールが担当。学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいるエヴァン・ハンセンが自分宛に書いた「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる手紙を、同級生のコナーに持ち去られてしまう。後日、コナーは自ら命を絶ち、手紙を見つけたコナーの両親は息子とエヴァンが親友だったと思い込む。悲しみに暮れるコナーの両親をこれ以上苦しめたくないと、エヴァンは話を合わせ、コナーとのありもしない思い出を語っていく。エヴァンの語ったエピソードが人々の心を打ち、SNSを通じて世界中に広がっていく。エヴァン役をミュージカル版でも主役を演じたベン・プラットが演じるほか、ケイトリン・デバー、ジュリアン・ムーア、エイミー・アダムスらが脇を固める。

※映画.comより引用

ウォールフラワーの心臓を抉り取れ!

PCのディスプレイ越しに「親愛なる、エヴァン・ハンセン。今日は素晴らしい日だ。」と軽妙に手紙が記述される。だが、エヴァン・ハンセンの顔には陰りがあり、手にはギプスが巻かれている。文面との乖離が感じられる。彼は、窓を見るとそこには明るい高校生の群れがある。今回もスティーヴン・チョボスキーはウォールフラワーに手を差し伸べる話らしいことが分かる。精神安定剤を飲み、セラピーに通う彼は、母親に勇気づけられて登校する。ウォールフラワーにとって学校は残酷だ。陽キャラの磁場の中に入ると、空気抵抗によって分離し決して交わることがない。歌って踊りながら、陽キャラの群れに飲み込まれていくが、彼らの視線はほとんど向けられず、疎外感が中央にだけ漂う。主人公だが主人公ではない居心地の悪さを漂わせながら、学校イベントの音響ブースにやってくる。音響ブースは、体育館の中央にあるが、人々の注目は集まらない。ブースから遠くに映る、チアガール、アクティヴィスト、そして意中のバンドガールに目を向ける。エヴァン・ハンセンは、密かに想いを寄せているのです。

そんな彼が、セラピーの宿題で自分宛の手紙を書く。しかし、それは学校の問題児であるコナーに奪われてしまう。一番苦手な奴なのに、自分のギプスに「コナー」と名前まで書かれて勝手に友達のような存在となってしまう。

手紙を取り返さないと、恥ずかしい自分の文章が世にさらされてしまう。エヴァン・ハンセンの修羅場人生はここから始まった。

本作は、冒頭でも書いた通り、泣けるミュージカルではありません。楽曲はまるで星野源「ワークソング」のように暗く地味である。また出てくる登場人物が怖いほどに倫理観が崩壊している。だから本作をワーストに入れたくなる人の気持ちもよく分かる。だが、この『ディア・エヴァン・ハンセン』は倫理観を全力で崩壊させ、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』さながら修羅場をつるべうちにしていくことで、人間の気持ち悪さ。例えるならば、Facebookで、日常的なTwitterには反応しないのに、冠婚葬祭、誕生日、デートの投稿だけ異様に反応する気持ち悪さに近い。

さて、彼の修羅場からこの映画を掘り下げてみよう。

手紙を奪われたエヴァン・ハンセンの前にコナーの両親が現れる。母親が取り乱しながら例の手紙を取り出してきて、「あの子に友達がいたんですね。」と話し始める。エヴァンは会話が苦手だ。頭の中がぐちゃぐちゃになって、友人との会話ですらまともにできない。だから「違います」とハッキリ言えないのだ。なので母親に押し切られる形で、「コナーの友人」となってしまった。

それで終わればいいのに、何故か彼はコナーの家の食事会に呼ばれてしまう。そこでコナーとの思い出を語る羽目になる。当然ながらそんなエピソードは存在しない。でも会話が苦手な彼は、その場の雰囲気を壊したくない。オーガニックにこだわるスピリチュアル系なコナーの母親を前に、彼は骨折した話と融合させた感動話を作り上げてしまう。

すっかりコナーの友人というアイデンティティを築き上げた彼だったが、今度はコナー家に彼のメールが読まれることを恐れ、放送部の友人と結託して偽装メールを作成する。このように偽りの物語を作り上げていくうちにドンドン事態が大きくなっていき、アクティヴィストの女が「コナーを偲ぶ会」たるものを発足し、果樹園を作るためにクラウドファンディングが開始されたりするのだ。コナーの追悼イベントでスピーチをすると、たちまちSNSで拡散され、「共感する話」「泣ける話」として多くの人に消費され、一躍英雄となりもう後戻りできなくなるのだ。

通常、そんな嘘は簡単にバレてしまうであろう。しかし、この映画の肝はエヴァン・ハンセンが妙に行間を持たせる話をするところにある。コナーの妹に疑われた際には、抽象的なことを言い切り抜ける。コナーの母親との会話では、少し話し、彼女が「リンゴ園よね」みたいにコナーの情報を出すとそれに便乗する。他者の勝手な推測に便乗することを貫くことで、偽りの真実が形成されていくのです。故に、本作を観ているとエヴァンがかわいそうに思えてくる。今まで、PCという仮想空間で自分の内面を管理してきた彼。それに対して、他者が土足で彼の内側に入ろうとしてくる。手を差し伸べるつもりがうっかり心臓を抉り取ってしまうような形で。他者は自分が信じたい真実を半ば強引に押し付けてくる。それに押し負ける形で、他者が望む真実を作り出してしまう。今まで誰からも無視されてきた者が急に家族の愛を受け、意中の異性とも親密となり、学校中から親しみの目線が送られる。あまりに重い十字架を社会は背負わせている。

これは現代社会の気持ち悪いところであり、例えば大阪なおみやグレタ・トゥーンベリに社会が注目し、社会の代表として祭り上げる一方で好き放題意見を彼女に打ち放ち消費されていく姿を風刺しているように見える。

匿名の人は息苦しさを秘密にしたままにするとか歌っているが、そうではない。匿名の人が自分の信じたい真実を押し付けることで息苦しさを秘密にせざる得ないのだ。

スピリチュアル系やアクティヴィスト、家族愛重視な人に喧嘩を売るような作品ではありますが、あまりにグロテスクな世界に私は別の意味で感動を抱きました。

P.S.本作は意外と小道具にこだわっており、例えばコナー家における両親の心理的距離や性格を表現するため、母親にMacのPC、父親にMicrosoftのPCを持たせていたりする。また、エヴァンとコナーがゲーセン(余談だが、アメリカのゲーセンにマリオカートあるんですね)に行く妄想シーンを挟み、終盤コナーの好きな本が提示される場面で『ゲームウォーズ』が積まれているところに説得力があった。

※映画.comより画像引用