新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(1997)
Neon Genesis Evangelion – The End of Evangelion
監督:庵野秀明、鶴巻和哉
出演:緒方恵美、林原めぐみ、三石琴乃、宮村優子etc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を109シネマズ 大阪エキスポシティのIMAXで観る。って訳でテンション上げる為に、まだ未見あった『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を観ました。テレビ版の投げやりぶっ飛びすぎなラストとはまた違った狂いっぷりが堪能できると聞いていたのですが、想像以上に壮絶な内容でした。ネタバレありで考察していく。
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』あらすじ
1995~96年に放送され社会現象を巻き起こしたTVアニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」の劇場版で、TV放送時に物議をかもした最終2話を完全新作で描きなおした完結編。TV版24話から分岐する、もうひとつのエンディングとなる第25話「Air」と第26話「まごころを、君に」で構成される。最後の使徒であった渚カヲルは倒されたが、カヲルを自らの手で殺したことで碇シンジは心を閉ざしてしまう。一方、「人類補完計画」をすすめるゼーレはNERV(ネルフ)司令のゲンドウと決別。NERV本部を押さえるため戦略自衛隊や量産型エヴァンゲリオンを次々と投入し、本部は壮絶な戦場と化していく。第25話「Air」に相当する部分は、同年春に公開された劇場版「シト新生」内の「REBIRTH」編で公開済みであったが、アフレコや画面の修正などが若干行われている。
※映画.comより引用
Adieu au langage,
good-bye cinéma
2020年、新型コロナウイルスが世界中に蔓延しかつてない危機に見舞われた。誰しもが、現代の技術をもってすれば「ペスト」のような大惨事にはならないだろうし、鳥インフルエンザ等様々な疫病にも勝ってきたため問題ないだろうと思われた。しかしながら、人間の政治的利害関係によって、コロナの外側で人間対人間の軋轢が引き起こされ、事態は一向に収束しない事態となった。従来の映画では、世界の危機を前に世界は、人類は団結するように描かれ、実際にそうなるであろうと信じられて来た。だがそれは裏切られた。
そんな非常事態においても人間はさほど団結しないし、各々の正義の対立によって、本来の敵が蚊帳の外に置かれてしまう状態を庵野秀明は見事に予言してみせた。
渚カヲルを殺し、アスカもレイも遠くにいってしまい完全に心を閉ざした碇シンジ。混沌とする情勢の中で、NERVと自衛隊が内戦状態に陥る。あれだけ使徒の猛攻に耐えたNERV本部も、人間という脆弱性を突かれあっさりと内部に侵入されてしまう。心を閉ざしたシンジに未だに言葉による呪いをかけ続けるミサト。前半の「Air」の章では、使徒やシンジを中心に置きながらもその外側で暴力に暴力を重ねる人間の正義の醜さが辛辣に描かれている。この混沌に、エヴァンゲリオンの機械的フォルムが段々と人間的血、肉、臓器に置換融解していく姿を重ね合わせることで、人間の内なる暴力が長きに渡る戦いで消耗し朽ち果てていく姿を強調していると捉えることができる。
その機械と人間の不気味なシンクロの中で言葉の呪いをかけ続けられたシンジの心象世界が「まごころを、君に」でゴダールのような映像史の層のむきだし再結合によって観客の心に語りかけ、心を抉ってくる。エヴァンゲリオンの訳の分からない面白さの持続は、元々映像史の技法の強固な積み重ねからきている。岡本喜八の『日本のいちばん長い日』のセリフによるアクションから『肉弾』の心象世界を引用し、作戦の場面では鷺巣詩郎の高揚感ある音楽で煽りつつ凄惨な場面では敢えて優雅なクラシックを挿入し力強い対位法を施すことで地獄の中にある美という観客の内にある邪悪な破壊の美学を刺激する。本作の場合、『幕末太陽傳』の幻のラストである主人公が走り抜けてセットを抜けるようなことを実践しており、シンジのまるで鬱な人が寝る前に膨大な過去が雪崩のように押し寄せてきて自己批判する痛みをフラッシュバックで捉えながらそのまま実写映像となり、カメラは観客を朧げに映し出すのだ。
エヴァンゲリオンはアニメを超え、現実を超え、観客の中で概念となる姿を表象しており、まるでゴダールが『さらば、愛の言葉よ』の中で不釣り合いな3D演出を通じて「映画」という概念を観客に植えつけたようなことをやり遂げている。
何よりも今回驚かされたのは、スタンリー・キューブリックの『アイズ ワイド シャット』よりも先に同じことをやっていたことにあった。『アイズ ワイド シャット』はフロイトの夢判断に基づく話である。フロイトの夢判断とは、人が観る夢は無意識に抑圧された欲求や記憶が投影されたものという考えである。この作品では、トム・クルーズ演じる男の女性に対する疑心暗鬼が姿形変えて目の前に現れ続け、最後にニコール・キッドマンに「FUCK!」と言われて終わる。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』も最後に、首を締めようにも締めることができないシンジに対してアスカが「気持ち悪い」と言って終わる。つまり、自分と周囲の関係を延々と考えることに対する気持ち悪さ、自分の内面が自分に幻滅する瞬間を描いていると言える。
そう考えると、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は時代の数歩、数十歩先を行っている映画だったんだなと感じた。正直、自分でも何言っているのか分からなくなってきましたが、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は凄い映画だということと、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が楽しみだということだけは伝えておこう。
※Amazonより画像引用
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