【ネタバレ酷評】『STAND BY ME ドラえもん2』ドラ吐きマックス、MEGA MAX!

STAND BY ME ドラえもん2(2020)

監督:八木竜一、山崎貴
出演:水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、木村昴、関智一、宮本信子、妻夫木聡、バカリズムetc

評価:15点

こんばんは、チェ・ブンブンです。

公開前から、「ドラ泣きマックスIMAX」という広告会社が考えたような感動の押し売り商法と映画ファンのパブリックエネミー山崎貴の持ち上げにゲンナリしTwitterでは炎上している作品『STAND BY ME ドラえもん2』。「ドラえもん」というキラーコンテンツで全力で金儲けしようとする腐敗臭と相変わらずダサい八木竜一、山崎貴、白組の3DCG造型にアナフィラキシーショックを起こしている私であるが、何よりも悲しいのは、そもそもこれは映画ファンをそもそも相手にしていないように見えることだ。有識者の話では口コミが直接映画の興行収入に繋がるのは割と幻想だということだ。我々の認知できる外側にいるマスを取り込むことが金儲けに繋がるらしく、例えばyoutubeの広告で進研ゼミ漫画風の胡散臭い広告が高頻度で流れるのも、それが今一番購入に繋がる広告だからとのこと。つまりTwitterで炎上し、さもニーズがないように見えるコンテンツはマスに取って売れるコンテンツなのである。Twitterで五月蝿くしている人程、財布の紐が固い。だから最初から切り捨てて、「泣ける映画」という謳い文句の下、マスを釣り上げようという戦略が見え据えている。

予告編の段階から、子どものび太と大人のび太が共存するタイムトラベルもののタブーを破り、しずかちゃんと結婚することがゴールでその先の生活が見えていない、いやしずかちゃんを、結婚を自分が幸せになる道具としてしか考えていない傲慢さに不安を抱く。もちろん、原作も同様の問題を抱えており令和の価値観から乖離が生じているのは分かる。だが、この妙な開き直り方はいかがなものだろうか?ジャイ子との結婚話を本気でやってみろ!ファレリー兄弟ならそうするぜ!と言いたくなる。

御託を並べるのはこれくらいにして、『STAND BY ME ドラえもん2』観てきたので怒りの感想をネタバレありで書いていきます。

『STAND BY ME ドラえもん2』あらすじ


国民的アニメ「ドラえもん」初の3DCGアニメーション映画として2014年に公開され、大ヒットを記録した「STAND BY ME ドラえもん」の続編。前作から引き続き監督を八木竜一、脚本・共同監督を山崎貴が担当し、原作漫画の名エピソード「おばあちゃんのおもいで」にオリジナル要素を加えてストーリーを再構築。前作で描かれた「のび太の結婚前夜」の翌日である結婚式当日を舞台に、のび太としずかの結婚式を描く。ある日、優しかったおばあちゃんとの思い出のつまった古いクマのぬいぐるみを見つけたのび太は、おばあちゃんに会いたいと思い立ち、ドラえもんの反対を押し切りタイムマシンで過去へ向かう。未来から突然やってきたのび太を信じて受け入れてくれたおばあちゃんの「あんたのお嫁さんをひと目見たくなっちゃった」という一言で、のび太はおばあちゃんに未来の結婚式を見せようと決意する。しかし、未来の結婚式当日、新郎のび太はしずかの前から逃げ出してしまい……。大人になったのび太の声を前作から続いて妻夫木聡が担当し、おばあちゃん役は宮本信子が務めた。
映画.comより引用

ドラ吐きマックス、MEGA MAX!

何が「ドラ泣きマックスIMAX」だ?

俺は90分「ドラ吐きマックス、MEGA MAX」だったぞ!

ブンブンは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の「野比のび太」を除かなければならぬと決意した。終始腐敗臭充満する泣いてすぐ道具に頼る野比のび太と煽りチキン野郎大人野比のび太の織りなす不協和音に吐きそうになり、劇場を飛び出そうとするのをグッと堪えた。

誕生日なのに、隠蔽した0点のテスト結果が母に見つかり激怒し、号泣憤怒猜疑のねるねるねるねとなった野比のび太はドラえもんに泣きつき、道具で全てを解決しようとする。そんな珍道中の中、おばあちゃんの記憶が蘇り、今は亡きおばあちゃんの元へタイムスリップする。力の差に酔いしれた彼は、ジャイアン、スネ夫をフルボッコにし、さらには、おばあちゃんに暴言を吐く幼少期の野比のび太まで噛み付く。狂犬マッド・ドッグっぷりを魅せたところで、おばあちゃんと再会し、彼女がボソッと欲を洩らした「お嫁さん見たいねぇ」という言葉をすかさず汲み取り、契りを交わす。「力が欲しいか、ならば魅せてあげよう。余の嫁さん、源静香を」と。もはや、野比のび太は、ドラえもんを後ろ盾にメフィストフェレスと成り果てていた。

そんな彼が未来のテレビを見ると、大人のび太は逃げた、源静香の晴れ舞台から逃走してしまい、彼女の人生に絶望の荒野を切り拓いてしまうことが明らかとなる。何があったのかを探りに野比のび太とドラえもんは未来に赴くのだ。

確かにおばあちゃんエピソードとのび太の結婚式話にはこういった今考えるとドン引きするような展開があったりするのだが、この映画は終始「のび太は何も悪くない」と言いたげに進行する。のび太が暴力を振るうのをまるで、飲み屋で暴れ散らす酔っ払いをなだめるがごとくドラえもんがひっぺ剥がすのみだ。叱られて教訓を得るということはない。寧ろ、のび太は終始怒られることに対して「何故、僕が怒られなくてはいけないのだ?」と開き直っているのだ。なんて恐ろしい子だろうか?

そんな野比のび太は、おばあちゃんにしずかちゃんとの幸福な一時を魅せつけたい一心で、大人のび太に変装して結婚式に挑む。だが、カッチカチに固まり話すことはできないわ、我先にと食事にガッツく。そして結婚式のスピーチを粉砕して去っていくのだ。収集つかなくなった結婚式を、やっぱり大人のび太に尻拭いさせようという展開になり、ここで脚本の面白さをアピールする為、『TENET』的時間操作系のトリックを使ってタイムマシン奪われた世界からの脱出及び、大人のび太の捕獲を行う。

こうして大人のび太と出会う訳だが、彼も相当なサイコパスであった。魂を入れ替え、子どもの身体となった大人のび太は、母やジャイアン、チンピラと出会う人出会う人に煽り散らすのだ。あれだけ煽られたらチンピラだって川岸まで追い詰めるのは明白である。妙に説得力のある煽りプレイにドンドン野比のび太が嫌いになっていく。あやとりや射撃の強さ、彼の内なる弱さが多様性を呼び寄せる磁場といった「野比のび太」の魅力が根こそぎ破壊され、NOBITA MUST DIE…と己の心に眠るサタンが呪文を唱え始めるのだ。

大人のび太と子どものび太の魂の死というサスペンスが台無しである。何故ならば、観ている私がその死を望んでいるのだから。

さて、そんな地獄絵図の中で評価できるポイントが2つある。それが救いである。

1つ目はおばあちゃんの仕草だ。

これは恐らく、製作スタッフにのび太のおばあちゃんマニアがいるおかげであろう。トコトコトコとゆっくりながら機敏な足取りで帰路を目指すおばあちゃん仕草、シワシワだが丸くてぷにっとしたフォルム、それに宮本信子の時間が止まったようなノスタルジーという概念を投げつけるような言葉の香りというところまで計算され尽くされていて良かった。

2つ目は哲学者ジャイアンの雄姿だ。

ドラえもんの世界においてジャイアンは昭和的暴力性の塊であるが、その暴力性、善悪の彼岸を超えたアクションに魅力あるキャラクターと言える。今回の場合、チンピラにボコボコにされかけているのび太の前にスネ夫との連携プレイで颯爽と現れるジャイアンはこう語る。

「のび太を殴っていいのは俺らだけだ!」

そうです、ジャイアンはハードボイルドに生きる男だ。この殺し文句に痺れた。

そして結婚式では、のび太逃走という修羅場を繋ぐため、彼は歌い始める。彼は認知していないが、会場の人を死の恐怖に晒すことで、のび太が戻ってきた際のバイブスを最大限に引き上げている。ジャイアン目線で言えば、バイブスを最大限上げたところでのび太が帰還する演出となっており、自他双方の目線で修羅場を乗り切ってみせる離れ業を成し遂げていた。

こういった良さ、また全ての伏線を回収し、論理的不整合が発生しそうになった際の道具による回避といった脚本術と前作以上に力の入った演出は評価できるが、それを差し引いても、のび太のポンコツさに傲慢になった作劇はドン引きである。あまりの気持ち悪さに発狂した私でした。

※映画.comより画像引用

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