【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『ラ・ジュテ』さては『TENET テネット』!!※ネタバレ

ラ・ジュテ(1962)
La Jetée

監督:クリス・マルケル
出演:エレーヌ・シャトラン、ジャック・ルドー、ダフォ・アニシetc

評価:100点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

もうすぐクリストファー・ノーラン最新作『TENET テネット』が公開されます。本作はコロナ禍におけるブロックバスター映画期待の星として輝いているだけに、SNSでは公開前から熱気が迸っています。そして、何を隠そう本作は明らかにクリストファー・ノーラン集大成である。まずタイトルの『TENET』はラテン語の回文

SATOR
AREPO
TENET
OPERA
ROTAS

からもってきており、尚且つ時間を操ったアクションという点で、同じく時間を操りラテン語を題名にもって来ている『メメント』と重なるところがある。クリストファー・ノーランの十八番といえば、時間や記憶を操った演出である。『インセプション』ではアラン・レネ×アラン・ロブ=グリエの『去年マリエンバートで』や今敏の『パプリカ』を引用して、幾重にも重なる記憶と時間の渦を描いた。『インターステラー』では宇宙の彼方と地球との間に生じる時空の歪みをドラマティックに描いて魅せた。『ダンケルク』では、3つの時間軸の微妙なズレが一箇所に収斂していく様を鮮やかに魅せた。難解でありながらも、一瞬たりとも退屈させることなく娯楽映画として魅せていくスタイルが彼の特徴であり、かつてのフランス映画界がフランス語における複数存在する過去形の形から記憶や時の揺らぎを捏ねくり回し観客を突き放した文脈を大衆に寄せていく彼の技量は賞賛すべきポイントであろう。

さて、『テネット』の予告編と粗筋を観て、ひょっとして?と思い『ラ・ジュテ』を観直してみました。『ラ・ジュテ』は『死ぬまでに観たい映画1001本』に掲載されているクリス・マルケルのカルト短編映画。短編映画にもかかわらず、日本では単体でブルーレイが発売されるほどのカルト的人気を博しており、新宿三丁目にはこの映画のタイトルを看板にするバーまで存在するほど。町山智浩も映画ムダ話の題材に選ぶほどに愛されている伝説的な短編映画だ。

尚、2010/6/1当時高校1年生だった私は次のように本作の感想を書いている。

2009/8/30に観た作品なのだが、字幕なしだったのでNHKでやっていたのを改めて観ました。やはり芸術的だ。モノクロ写真のスライドショーの一コマ、一コマが美しい。芸術の教科書に入れて欲しいものだ。「12モンキーズ」とこの作品をリメイクor元ネタ対決させたら相打ちになること間違いなしな作品でした。

まあ、映画に嵌り始めて間もない頃だったので、拙い評となっている。では10年後の私はどうだろう?というわけで、今回『テネット』に想いを寄せながら『ラ・ジュテ』について書いてみようと思う。尚、本作は『ラ・ジュテ』の結末に触れているネタバレ記事です。また、本作を分析してしまうと『テネット』に対する嫌な予感が浮かび上がって来ますので、純粋にノーランの世界を楽しみたい方は『TENET テネット』観賞後にお読みください。

『インセプション』公開当時、数日前に『パプリカ』観たせいで興醒めしてしまったクリストファー・ノーラン悲劇を持つ私からの警告です。予習するなら、『メメント』、『インセプション』、アクション周りの引用元と思われるジャン・コクトーの『オルフェ』あたりに留めておくことオススメします。

『ラ・ジュテ』あらすじ


近未来、廃墟のパリを舞台に少年期の記憶に取り憑かれた男の時間と記憶をめぐる、静止した膨大なモノクロ写真の連続(通常どおり撮影したフィルムをストップモーション処理している)で構成された、“フォトロマン”と称される短編。95年、のテリー・ギリアム監督の「12モンキーズ」は本作を原案にしている。特殊上映の形で何度か上映はされてきたが、正式な劇場公開は今回が初めて。監督・脚本・撮影はヌーヴェル・ヴァーグ期、アラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダら左岸派(ゴダール、トリュフォーらの活動拠点の“カイエ・デュ・シネマ”編集部がセーヌ右岸にあったため、比較してこう呼ばれた)の代表格の映画作家、クリス・マルケル(「ベトナムから遠く離れて」「サン・ソレイユ」ほか)。製作はアナトール・ドーマン。音楽は「脱出者を追え」(54、ジョゼフ・ロージー監督)「プラン9 フロム・アウター・スペース」(59、エド・ウッド監督※ノンクレジット)のトレヴァー・ダンカン。編集は「帰らざる夜明け」「銀行」のジャン・ラヴェル。美術はジャン=ピエール・シュドル。写真はジャン・シアポー。朗読はジャン・ネグロニ。出演はエレーヌ・シャトラン、ダヴォス・ハニッヒほか。
映画.comより引用

『TENET テネット』の基本構造、『ラ・ジュテ』にありか?

第三次世界大戦後、人々は地下に潜り新たな希望の活路を見出そうとしていた。その中で、《タイムトラベル》が注目され、過去や未来に跳躍し資源調達しようと科学者は奴隷を人体実験に使って研究を行なっていた。多くの犠牲者が出る中で、ある男は《タイムトラベル》に成功する。

SF映画的好奇心そそる物語をクリス・マルケルは、全編写真を用いて描く離れ業を成し遂げている。映画は、リュミエール兄弟が発明して以降「動く写真」から逃れようと技術革新してした。それを否定するかのように彼は「写真」で物語を描こうとした。しかし、観客に提示されるのは単なる「写真」の体験ではない。それどころか「映画」の体験すら超越した存在であった。アラン・レネやアラン・ロブ=グリエ、マルグリット・デュラス、クリス・マルケルといったフランスの作家、映画監督は時と記憶の揺らぎを映画の中で哲学的に描くが、それは恐らく線か?点か?といった、フランス語特有の時の尺度による好奇心からだろう。その様々な時の形を映画収める際に、『ラ・ジュテ』程効果的に描いた作品はないだろう。

タイムトラベルで、空港のデッキで観た美女の面影が鮮明になっていく、そして彼女を救おうと「未来」へ飛ぶ選択肢を捨てて、あの時に降り立ち彼女を救おうとするのだが、時の番人に抹殺されてしまう。そして男の記憶にあった美女と一人の男の死は、未来の彼のことだと分かる。「写真」は過去の一点を捉えている。本作が「写真」で物語られるのは、タイムトラベルの能力を得た男ですら「過去」に囚われてしまっていることを暗示している。そしてその演出の肝を強固にする為に、彫刻や、剥製といった、過去のある地点を捉えたものが象徴的に映し出される。

そして、彫刻は、顔がなかったり、逆に顔にクローズアップされていたりと身体の一部分が切り取られることにより、「記憶」とは過去のある地点を捉えたものという「点」の側面を強調する。そして、写真という点的存在に対して、言葉という線的存在を重ね合わせることで、時間の歪みが生まれてくる。また、本作には1箇所だけ動画となっている部分がある。それは眠っている女の目が開く場面だ。これは女が、男の時間の外側にいる存在であることを暗示させている。

これによりラストが男の点の過去だったという事実に力強い説得力が出てくるのだ。この過去はタイムトラベルによる過去ではなく、男の記憶の中にある過去、つまり点であると。その時間の坩堝から外れた存在、未来の世界や本当に時間の制約から脱出した世界からそれをみると、線が円になり点になっている様子を観測することができると。その超高度な理論をたった30分ぐらいで描いてしまうところに惚れ込みました。

そしてそれを踏まえて『TENET テネット』の予告編を観ると「タイムトラベルか?」という質問に否と答える場面がある。これは明らかに『ラ・ジュテ』であろう。勤勉で『去年マリエンバートで』の要素を『インセプション』に忍ばせたであろう彼が『ラ・ジュテ』を知らないはずがありません(確か彼はハッタリをかます人だったと思うので「観ていない」とか言いそうだが)。

選ばれし者が、時間跳躍で人類を救おうとするのだが、それは彼の記憶の中で閉じている点であり、我々観客はその外側から覗き込む経験をすることになるのではないかと思われます。もし本当にそうだとすれば、既に観た人が「わけわからん」と言うのも納得がいきます。そして、その構図を知った状態で本作を観て興醒めする未来が見えてきました。そんな未来が変わることを祈って来月『TENET テネット』を観ようと思います。

ひょっとしたら、そんな自分を《時間》から脱出した人が覗き込んでいるのかもしれませんね。

※画像はYahoo!映画より引用

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