『Portrait de la jeune fille en feu』真の楽園は私たちが失った楽園だ。

Portrait de la jeune fille en feu(2019)
英題:Portrait of a Lady on Fire

監督:セリーヌ・シアマ
出演:ヴァレリア・ゴリーノ、アデル・エネル、ノエミ・メルランetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

日本では『ぼくの名前はズッキーニ』の脚本家として知られているフランスの新鋭セリーヌ・シアマ監督最新作。第72回カンヌ国際映画祭で脚本賞、クィア・パルム賞を受賞したことで一気に知名度をあげたセリーヌ・シアマの本作を遂に観ることができました。セリーヌ・シアマは『Tomboy』におけるトランスジェンダーという概念がない状況でトランスジェンダーに気づく子どもや『Bande de filles』におけるバンリューに漂う閉塞感を、静かな眼差しで空間を用いて表現する監督だ。まるで絵画のように映画を作り込む彼女は、今回《絵》をテーマに才能を爆発させていました。

『Portrait de la jeune fille en feu』あらすじ


1770. Marianne est peintre et doit réaliser le portrait de mariage d’Héloïse, une jeune femme qui vient de quitter le couvent. Héloïse résiste à son destin d’épouse en refusant de poser. Marianne va devoir la peindre en secret. Introduite auprès d’elle en tant que dame de compagnie, elle la regarde.
訳:1770年。マリアンヌは画家であり、修道院を去ったばかりの若い女性、エロイーズの結婚式の肖像画を描く必要があります。エロイーズはポーズを取ることを拒否することで、妻としての運命に抵抗します。マリアンヌは秘密裏にそれを描く必要があります。友達として紹介された彼女は、自分を見つめる。
AlloCinéより引用

Les vrais paradis sont les paradis qu’on a perdus. -Marcel Proust

マルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の中で「真の楽園は私たちが失った楽園だ。」と語っている。

『Portrait de la jeune fille en feu』は、画家で学校で生徒に絵を教えているマリアンヌが、ミステリアスな女性エロイーズとの関係から《燃ゆる貴婦人の肖像》を生み出すまでの過程を描いている。エロイーズを捉えた《燃ゆる貴婦人の肖像》からマリアンヌの美しき過去が紐解かれるのだが、それはA to Z語られることはなく、マリアンヌにとって重要なポイントを断片的に抽出することで、失ってしまった楽園にある楽園を抱擁する切なくも美しい世界のお裾分けを観客は享受することとなる。

マリアンヌは小舟に乗ってブルトン島を目指す。彼女は大事そうに絵の入った木箱に手をかけているのだが、余所見した瞬間に、木箱は海に落ちてしまう。小舟に乗った乗客はまるで感情を失った幽霊のように木箱を見ているだけ。彼女は小舟の縁に足をかける、飛ぶか飛ばぬか、刹那の迷いは破られ、木箱を救う選択をする。一連の流れを、断片的に繋ぎ合わせ、尚且つ他者の存在を希薄にさせることで、本作は記憶の物語であると強調している。

さて、依頼主の伯爵夫人と会う彼女。伯爵夫人曰く、娘のエロイーズが結婚するので肖像画を描いて欲しいとのこと。ただ、彼女はなかなかポーズを取ってくれないとのこと。既に描かれた肖像画は顔がぐしゃっと潰されたものだった。早速マリアンヌは、彼女の身体を分析するために、追跡する。しかし、なかなか正面を直視させてくれない。彼女が海に向かって走り出す。自殺するのだろうか?狼狽するマリアンヌ。

マリアンヌ:「Mourir(死ぬの)?」
エロイーズ:「Courir(走っているだけよ).」

焦らす彼女に、魅力を感じていきます。この関係性が、段々と恋情へと発展していく過程が描かれるのだが、この岸辺でのやりとりが効果的だ。マリアンヌは少しでもエロイーズの輪郭を捉えようと、横から彼女の顔を覗き込むのだが、ジト目でエロイーズに睨まれてしまうので、なかなか直視できない。それが終盤になると裸になって語り合うようになるのだ。貴族のデカダンスさに抑圧されたエロイーズの心は、本を貸すといった間接的な心の交流から始まり、ヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV 315「夏」をピアノで連弾し、召使と共にトランプを夜な夜な嗜むようになる。やがてあれ程までにポーズを取ることを拒絶していた彼女が緑のドレスを着て正面を向いてくれ、接吻するような恋愛関係にまで発展してく。

ヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV 315「夏」は言うまでもなく映画のキーワードとなってくる。映画のデカダンスでアンニュイな空間に不釣り合いな激しい旋律がこの映画唯一のサウンドトラックとして頭角を表している。それは、男性社会、男のマネキン、貴族社会の駒として抑圧されている女性の解放を象徴しているだろう。そして、失われた時を取り戻すツールとしてのマドレーヌのようにヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV 315「夏」がやってくるクライマックスを目の当たりにすると、マリアンヌの美しき青春を共にした我々もあの輝ける日々の多幸感と、それを失ってしまった切なさに胸が締め付けられるであろう。

そして我々はマリアンヌと共犯関係となり、絵画に隠された暗号にニヤリとする。

楽園はクリシェに従い失われてしまう。しかしながら、失われた楽園が持つ苦くて甘い蜜はこれ以上にない多幸感を与えてくれるだろう。

そして、これを映画館で観なかった私は後悔しました。日本公開を待てば良かったと。後光が差し込む甘き感情、友情、恋情を大スクリーンで嗜みたかった。恐らく新型コロナウイルスのせいで日本公開は来年になるだろう。その時はまた観たい。そして、クライテリオンから出るブルーレイも買いたいところだ。

真の楽園は私たちが失った楽園だ!

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