『恐怖の逢びき』コロナの犠牲になったルチア・ボゼーを偲んで

恐怖の逢びき(1955)
MUERTE DE UN CICLISTA

監督:フアン・アントニオ・バルデム
出演:ルチア・ボゼー、アルベルト・クロサス、オッテロ・トソetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

新型コロナウイルスで都内の映画館はほとんど休館し、戒厳令に近い状態になっている週末をいかがお過ごしでしょうか?

新作が観に行けないのであれば旧作に力を入れようと、米国iTunesを漁っていたら、面白そうなヴィジュアルの作品が見つかりました。『恐怖の逢いびき』は先日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった女優ルチア・ボゼー出演作。ならば彼女の死を偲んで本作を観ようではないかと挑戦してみました。

『恐怖の逢びき』あらすじ


姦通を通じて男女の偽善と恐怖を追求した、スペインの新鋭監督ファン・アントニオ・バルデムの作品。一九五五年カンヌ映画祭で批評大賞を得ている。脚本はルイス・F・デ・イゴア、台詞はバルデム自身が担当した。撮影はアルフレド・フライレ、音楽はイシドロ・B・マイツェギイ。主な出演者は「オリーヴの下に平和はない」のイタリア女優ルチア・ボゼー、スペイン映画、演劇界で著名なアルベルト・クロサス他、オテロ・トソ、カルロス・カサラヴィリア、ブルナ・コラなど。
映画.comより引用

フレームの外に魅力を創造する

赤坂太輔の名著『フレームの外へ: 現代映画のメディア批判』におけるフレームの外側とは結局どういったものなのか?本を読んだら実践してこそ理論は血となり骨となります。そして『恐怖の逢びき』はフレームの外側に魅力が溢れており、分析するに最適な作品であった。

冒頭、荒涼とした荒野が映し出される。次の場面で、車が急停車する。男が車から出てきて駆け寄る。画面の前面には、ぐにゃりとひん曲がり倒れている自転車がある。この構図だけで《轢き逃げ》を説明することができる。「彼はまだ生きている!」「逃げましょうよ」最小限の会話で、その場を立ち去る。このドライさと暗い雰囲気は、この物語全体に漂う陰鬱な感情を象徴しているように見え、映画の顔となる。

彼らは不倫中だ。街へ帰ると、不倫がバレるのでは?轢き逃げがバレるのでは?といった恐怖に精神が蝕まれる。共犯関係となった不貞な二人は目線で会話する。互いに、監視し、監視されている関係を、フレームの外側へ目線を向けることで表現している。その目線は、周囲の人間との会話が成立していないことへ繋がり、妙な距離感で目線を合わせずに他者と会話する場面は、主人公の後ろめたさを強調していると言えよう。

さて、そんな演出の中で特記すべきは、ピエール(アルベルト・クロサス)の心理的恐怖を、大学の講堂を使って表現した場面。大学教授であるピエールは、生徒に数学の問題を解かせている。暇つぶしに新聞を読み出す彼だったが、「自転車事故」の件が取り沙汰されていることを目撃し焦り始める。そこに講堂に無数に並ぶ学生の無機質な表情が挟まれる。そして切り返しで彼の青ざめた表情が映し出される。真実を社会に見透かされているのではという恐怖を演出するのに的確な表現である。人というのは個人対個人であれば、輪郭を把握できるのだが、個人対群になるとどこか得体の知れないものとなってくる。本作は個人対個人の対話で浮かび上がる、バレるかバレないかサスペンスと、個人対群の関係で魅せる真実を掴まれた息苦しさを自由自在に行き来することでクールなショットと背筋が凍る物語を体験できる代物となっていました。

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