【カンヌ国際映画祭特集】『トムボーイ』物心つく前の性同一性障がいを描いた傑作

トムボーイ(2011)
TOMBOY

監督:セリーヌ・シアマ
出演:ゾエ・エラン、マローン・レヴァナ、ジャンヌ・ディソンetc

評価:80点

第72回カンヌ国際映画祭コンペティションに進出したセリーヌ・シアマ。彼女の過去作品を観ておこうと『トムボーイ』鑑賞してみました。本作は2011年にフランス映画祭で上映されたものの、日本一般公開はされなかった作品。しかし、『ぼくの名前はズッキーニ』で知名度が上がった今こそ公開してもいいのではと思うほどの良作でした。

『トムボーイ』あらすじ

10歳のロール(ゾエ・エラン)はボーイッシュなおてんば娘。家族と田舎に引っ越してきたロールはミカエルと名乗り、あの手この手で近所の子供たちに自分を男の子だと思い込ませる。同年代のリザ(ジャンヌ・ディソン)はロールに好意を抱き始めるが、ロールはリザの気持ちをどう受け止めるべきか葛藤する。さらに男の子のように振る舞うロールの態度は、家族との間にも波紋を巻き起こし…。
MovieWalkerより引用

物心つく前の性同一性障がいを描いた傑作

本作は性同一性障がいを描いた作品。LGBTQ映画を始めとして、この手の映画というのは《障がい》を声高らかに語り、悲劇的展開を魅せたり、問題を克服し自分の人生を掴むところに力点を起きがちだ。しかし、『ぼくの名前はズッキーニ』や『BANDE DE FILLES』を観れば分かる通り、セリーヌ・シアマは安直な解決やドラマチックな展開を拒絶します。多くのLGBTQ映画が、自分の居場所=群れを探すのに対し、彼女の描く映画は群れに入ることが決してゴールではないと主張し続けている。

『トムボーイ』の場合、引っ越してきたロールが《ミカエル》と名乗り、学校に通うようになるまでの期間でキッズ集団に混じって遊んだりします。集団に入るんだけれども、どこか壁を感じるという様子をショットだけで見せる。少年少女が群れて駄弁るところを横にパンしていき、退屈そうにするロールを描くことでロールの孤独を描くのです。また、ロールはまだ性同一性障がいとしてのアイデンティティを確立していない。なんとなく、自分は男の子なんだと思っているのだが、男の子と女の子の違いはよく分かっておらず、モヤモヤとしているところも、これまたショットだけで語らせる。ロールが鏡の前で自分の筋肉を見つめている。そして胸に手をやり、首を傾げる。性同一性障がいの人が、自分の身体の違和感に気づく瞬間を捉える点だけでもこの映画がいかに問題を誠実に見つめているのかがよく分かる。そして、結局のところこの映画は、宙ぶらりんな結末を迎える。そう簡単に問題を解決しない。人生は続くのだから。そういったエンディングを用意することで、我々観客は、自分の知らぬ問題を心の家に持ち帰り反芻する。簡単に消化させないことこそが、社会問題を提起する映画の役割であることを痛感させてくれる傑作でありました。

2021/7/31修正しました

2021年9月17日に日本公開が決まりました。大手メディアが主人公ロールのことを「少女」と書いて宣伝したことに対して、指摘があり修正が行われたことを受けて当記事も文言から「少女」及びロールを直接「彼女」と表現する文言を削除しました。一方で、「性同一性障がい」という表現は、本作の中心にあるテーマ故婉曲表現するよりかは残した方が良いと考えそのままにしています。現実では他者に対して言及するのはタブーであるが、映画ではそれに斬り込んでいる以上、あえて残すべきだと考えています。私の記事は近年、映画配給会社や映画メディア、ライターの方に読まれることが多くなってきました。日本未公開映画に関しては、公開が決まるとそのような関係者に読まれることも少なくありません。SNSで今まで当たり前のように思われた表現が当事者を傷つけてしまうことが明らかになっていく中、そういった情報をキャッチしていって適宜過去記事を修正していこうと思います。

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