【ネタバレ考察】『愛がなんだ』5億点大傑作!今泉力哉監督が描くストレイシープのゆらぎ

愛がなんだ(2018)

監督:今泉力哉
出演:岸井ゆきの、成田凌、深川麻衣、若葉竜也etc

評価:5億点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

昨年の東京国際映画祭でも話題になった日本のホン・サンスこと今泉力哉最新作『愛がなんだ』。角田光代の同名小説を映画化した作品。これが意外にも場外ホームラン作品でした。

『愛がなんだ』あらすじ


直木賞作家・角田光代の同名恋愛小説を、「パンとバスと2度目のハツコイ」「知らない、ふたり」の今泉力哉監督で映画化。「おじいちゃん、死んじゃったって。」の岸井ゆきの、「キセキ あの日のソビト」「ニワトリ★スター」の成田凌の共演でアラサー女性の片思い恋愛ドラマが展開する。28歳のOL山田テルコ。マモルに一目ぼれした5カ月前から、テルコの生活はマモル中心となってしまった。仕事中、真夜中と、どんな状況でもマモルが最優先。仕事を失いかけても、友だちから冷ややかな目で見られても、とにかくマモル一筋の毎日を送っていた。しかし、そんなテルコの熱い思いとは裏腹に、マモルはテルコにまったく恋愛感情がなく、マモルにとってテルコは単なる都合のいい女でしかなかった。テルコがマモルの部屋に泊まったことをきっかけに、2人は急接近したかに思えたが、ある日を境にマモルからの連絡が突然途絶えてしまう。
映画.comより引用

クズでクズで愛おしいストレイシープのゆらぎ

今泉力哉監督は、日本のホン・サンスである。ミニマルな空間の中で、あっと驚く手数でクズを、女性を魅力的に描く。本作は『パンとバスと2度目のハツコイ』の深川麻衣、『退屈な日々にさようならを』の少女たちと並び岸井ゆきの演じるクズな美女を魅力的に描く。正式に付き合っているわけでもないのに、「好き」という気持ちを「尽くす」ことで押し付けているテルコ。そんなカノジョを使えるだけ使って飄々と、女と女の狭間を泳ぐ男マモル、この歪な関係とは合わせ鏡のように存在する深川麻衣演じるヨウコと若葉竜也演じるナカムラのカップルにファムファタールとして君臨する穂志もえか演じる女が交互に入り乱れ、テルコとマモルをかき乱す。徹底してクズでヒリヒリとした会話が続くのに、なんでこんなに美しいのだろうか?

恐らく、今泉監督は《フォーカス》によって、好きという感情によって盲目になってしまう女性像から親近感を引き出しているからと言えよう。そうでなければ、昼間から缶ビールを公園で飲み、深夜にマモルの家でビールを飲み全然帰ろうとしないテルコに愛情は生まれなかったであろう。岸井ゆきのがいくら美女であっても。テルコはマモルの手の美しさに惚れた。舐めるように撮られた彼の手は美しい。そして、彼女はなかなかこないマモルからの電話を待つ。仕事中だろうとスマホ中毒者さながら、チラチラと小さなディスプレイを覗き込み、コーヒーを飲み、飲み終えたコーヒーが織りなす模様を見て時間をつぶす。彼女は、所詮昼間公園で黄昏ながら飯を食うおっさんと変わらぬ孤独な女にもかかわらず、「自分は愛されている」と信じ、もやは友人も恋人もいない状態に陥っているにも関わらずそれを認めようとはしないのだ。

そんな彼女の前に、マモルは酒癖とプライベート領域を犯すファムファタールと半ば恋人状態になる。その時のカメラワークに注目してほしい。今泉監督の人間観察能力の妙がキラリと光る。我々は、気まずい飲み会の時どこを見るだろうか?虚空を眺めるわけにもいかない。そうなった時、人は手を見るでしょう。テルコは目の前にいる女のタバコを持った手を見、そして胸を見、自分と比べるのだ。そして「なんであんな女と付き合ったんだ?」「どうしてマモルは自分を誘ったんだ」と嫉妬をメラメラ燃やす。しかも、マモルの寵愛を求めるあまり、会社を辞めた彼女の心を壊す発言によって精神がズタズタになっていく。

そんな壊れた関係に対して、ヨウコとナカムラのアンニュイながらも円満なカップルが光る。円熟したカップルを映すことで、テルコとマモルの幼稚さを強調しているのだ。

まさしく、本作はストレイシープ(=迷える子羊)の物語の傑作と言えよう。

脚本の妙

そんな愛の駆け引き、脚本が凄いことになっています。特に終盤の展開に注目してほしい。テルコはマモルから別れようと話を持ち掛ける。すると、「あんたって酷いね、私が尽くされると愛されていると思われる女だと知っているでしょ。この前の会は、男を紹介してくれると思ったのに。」と言う。実際のところテルコはマモルに会いたいが為に行動しているのに、自分の非をこことぞばかりにマモルにぶつけるのだ。ただ、カノジョはもうここまでいってしまうと、自分にとって愛とはなんなんだと薄々理解し始める。

自分は恋愛をしたいのではない。孤独を埋め合わせてくれる男が欲しかっただけなんだと。だからこそ、この自分に対する嘘を開き直って真実に変えていく。マモルを捨て、合コンで会った別の男に乗り換えて物語は終わるのです。

この異様な物語、どこかで観た気がすると思っていたら、クレール・ドゥニ監督の『レット・ザ・サンシャイン・イン』でした。この映画は、かつて男にモテまくっていたイケイケ女子が中年になり、口説きこそ上手く男のナンパをしまくるのだが、自身に渦巻く孤独に悩みストレイシープになっていく様子を美しいパリの風景バックに描いた傑作だ。

開き直ろうとするものの、後ろめたさからどん詰まり愛が分からなくなっていく。どちらも、そんな葛藤を120%魅力的に描いている。

厭らしさの面白さ

今泉監督は今回、会話の途中で道を誤り修羅場を迎えてしまう様、行違う会話のぎこちなさの面白さに溢れた演出をしている。

例えば、テルコがマモルに養われる未来を夢見てクビになり、意気揚々と公園でビールを飲みながら元同僚と会話する場面。格下に思っていた同僚にカレシがいて、結婚を考えていることをしる。そして今の時代共働きしなければ生きていけないという現実を彼女から突き付けられた時の「しまった」と思うテルコの気まずい顔。そこに魅力が満ち溢れている。

また、クラブでファムファタールのノリ会話によって別荘でBBQをすることになる場面。結局のところ、パリピというのは適当なわけで、参加者はほとんどおらず、穴埋めでナカムラが召喚される。しかし、相手の玄関にずかずか土足でで入り込むこのファムファタールが彼の恋愛観を踏みつけ、彼がキレる修羅場を迎える。この女にとって、プライベートなんてものはなく楽しければよいという本能的感情で動いている。それ故に、リア充であるものの30代になってもロクなカレシを作れない自分に気づいていない。ナカムラはヨウコを愛しているものの、好きすぎて逆に何も言えなくなってしまっていることにコンプレックスを感じているのに、それを今日あったばかりの女にとやかく言われ腹が立ってくるのだ。その抗争の避雷針としてテルコとマモルが使われ、テルコの恋心が暴かれようとする。それを「そんなことないよ」とかわそうとする姿に、痛い痛い痛いと爆笑ながらもヒヤヒヤしながらこの修羅場を岡目八目の視点で楽しむのです。

そして、結局孤独になってしまい愛すらわからなくなってしまったテルコは、人に会いにいき1対1で自分の感情をぶつけるサンドバッグにする。この痛々しさもまた愛おしいのだ。

結局のところ《愛がなんだ》と真理にたどり着けずに終わる。ただ、愛とは曖昧なものなんだ、理解できないものなんだと開き直り前へ出る。そのすがすがしいまでの未来あるエンディングにブンブンは魂を揺さぶられました。今泉力哉監督は、今年『アイネクライネナハトムジーク』の公開も控えている。やっぱり日本のホン・サンス。ミニマルな世界で圧倒的手数を魅せてくる彼を応援していきたい。

ブロトピ:映画ブログ更新
ブロトピ:映画ブログの更新をブロトピしましょう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です