『読まれなかった小説』ヌリ・ビルゲ・ジェイランよ、美学を失った会話劇は拷問なのよ

読まれなかった小説(2018)
The Wild Pear Tree

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
出演:Dogu Demirkol, Murat Cemcir, Bennu Yildirimlar etc

評価:25点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『雪の轍』で第67回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したトルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイランの最新作『読まれなかった小説(The Wild Pear Tree)』を鑑賞しました。本作は、故郷に帰ってきた息子と家族の軋轢を描く3時間の会話劇とのことだが果たして…

『The Wild Pear Tree』あらすじ


An unpublished writer returns to his hometown after graduating, where he seeks sponsors to publish his book while dealing with his father’s deteriorating indulgence into gambling.
訳:卒業後、故郷に戻ってきた作家は、ギャンブル依存症の父のケアをしながらスポンサーを探していく…
IMDbより引用

小説と映画を履き違えた巨匠

ヌリ・ビルゲ・ジェイランは、壮大でクラシカルな小説のように緻密に会話と会話を繋いでいく映画監督だ。現に前作『雪の轍』はアントン・チェーホフの短編小説『妻』にインスパイアされて作られた作品だ。彼の作品は、トルコ社会を反映したようなローカルな会話が中心となる。故にある種留学2週間目の家族談話に紛れ込んだような感覚になる。それはどういうことかというと、歓待ムードは終わりを告げ、ホストファミリーが自分たちの議論をするようになるのだが、なかなか入り込めず指を咥えながら観察する居心地の悪さに等しい。ただ、従来のジェイラン監督は、絵画的美しさを持つヴィジュアルがあったからこそ物語に没入できた。長編デビュー作『カサバ』の暗がり、篝火を囲って談話する場面や、『昔々、アナトリアで』における夜の警察官の会話、『雪の轍』における日本人の宿泊場面など惹き込まれる画によって観るものはトルコ土着の問題に向き合おうとする意欲が出てくるのだ。

さて、本作はなんということであろうか《映画》を撮ることを忘れ、重厚感あふれる古典小説作りに全てを使い果たしてしまったようだ。なので、ほとんどが主人公と誰かが口喧嘩している場面で占められ、映画的ショットになっている場面は3時間見渡しても合計5分にも満たないだろう。タチが悪いことに、本作はクラシカルな物語を追い求めているので陳腐な物語になっているのがこれまた痛い。学校を卒業して地元に帰ってきた青年が、ギャンブル依存症で借金までしている父親と向き合うことで、今まであまり意識してこなかった地元とは?家族とは?というものに苦しむという内容になっている。青年は小説家を目指して出版社に小説を持ち込むのだが、「君、これは出版できないよ」と突っぱねられてしまう。そして心が蔑む中で、彼のお金が盗まれる事件や、街の噂が耳に入り苦しんでいく。気がついたら、足元には無数の荊が絡みつき身動きになった時に、現れる木、ロープから連想される死にはギョッとさせられるところはあるが、この手の話は無数にある。

ローカルで小さい話を、画で魅せるのが映画の役割なのに、それをしていない上に、では文学としたらどうなのか?と考えても凡庸という域に留まっている。ギャンブル中毒の父の介抱という大きな問題を提示しておきながら、父との対立は地味なものとなっている。

ジェイランよ…どうしてしまったのだ。絵画的なヴィジュアルから文学世界に観客を引き摺りこむ職人芸の重要な要素を抜いて描いたら、それはソースのかかっていないケバブだぞ。

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オンリー ハーツ
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