【ネタバレ考察】『ライオン・キング』2010年代最重要作品であり、そのリストには入れたくない

ライオン・キング(2019)
The Lion King

監督:ジョン・ファブロー
出演:ドナルド・グローヴァー、セス・ローゲン、ビヨンセetc

評価:50点

今年の夏は問題作が多い気がする。もはや車の存在を忘れてしまった『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』に、ドラクエファンも未プレイ者も怒らせる『ドラゴンクエスト/ユア・ストーリー』、ひたすら虚無な『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』。そこへ新たな問題作がやってきた。その名も『ライオン・キング』。実写を超える超CGという映画史に残る偉業を成し遂げた一方、映画はほとんどアニメ版と一致させたことで、1994年のアニメ版が持っていた問題を更に悪化させた形で観客に提示する羽目となった。そんな『ライオン・キング』を観てきたのでネタバレありで語っていきます。

『ライオン・キング』あらすじ


アフリカの雄大な自然を背景にライオンの王子シンバの成長と冒険を描いたディズニー・アニメの名作「ライオン・キング」を、「ジャングル・ブック」のジョン・ファブロー監督が、フルCGで新たに映画化。アフリカの広大なサバンナで、動物たちの王であるライオンのムファサの子として生まれたシンバは、いつか父のような偉大な王になることを夢見ながら成長していく。しかし、ある時、王位を狙う叔父スカーの策略によって父の命を奪われ、シンバ自身もサバンナを追われてしまう。やがてたどりついた緑豊かなジャングルで、イボイノシシのプンバァとミーアキャットのティモンといった新たな仲間との出会いを得たシンバは、過去を忘れて穏やかに時を過ごしていく。一方、スカーが支配するサバンナは次第に荒れ果て、存続の危機が迫っていた。シンバの声を、グラミー賞を受賞したラッパーとしても活躍するドナルド・グローバーが担当し、ジンバの幼なじみナラ役をビヨンセが担当。2人が新たに歌唱に参加した、エルトン・ジョンによる「愛を感じて」ほか、「サークル・オブ・ライフ」「ハクナ・マタタ」など名曲の数々がスクリーンを彩る。
映画.comより引用

Le lion est mort ce soir(ライオンは今夜死ぬ)

Nants ingonyama bagithi Baba
Sithi uhm ingonyama
(獅子王がやってきたぞ! そうさ獅子王さ!)

日の出る文明と隔絶された美しくも残酷な大地をバックに、皆さんお馴染み「ンナーズヴェンニャー」とズールー語で叫ぶ圧巻なオープニングから始まる本作は、『ひな鳥の冒険』から研究に研究を重ね生み落とされた超現実の世界で不朽の名作を語り直した代物だ。『モアナと伝説の海』と同時に上映された短編映画『ひな鳥の冒険』は、水の表面張力や毛並みの一本一本まで精密に作られ、鳥の喜怒哀楽を表現した本作は現実とも区別つかない映像に驚かされた。あれから2年経ち、映像の技術発展は驚くべき地点に到達した。虚構だと分かっていても観る者の本能が「あれはホンモノだよ」と叫ぶモフモフの世界は2009年に『アバター』が登場した技術の頂点と同じものを感じる。ナショナルジオグラフィックの世界にようこそと観る者をアフリカの大地へと観客を引き摺り込むのだ。

しかしながら、2009年に現れ物議を醸した2000年代の記念碑『アバター』以上に問題を孕む作品でもある。正直、死ぬまでに観たい2010年代映画100に入れたい気持ちと入れたくない気持ちが対立している。なんたって、肝心な物語面は『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』級に虚無なのだ。

The Lion Sleeps Tonight
(ライオンは寝ている)

ではなく

Le lion est mort ce soir
(ライオンは今夜死ぬ)

といった方がいいだろう。物語が死んでいます。無理矢理野生動物の弱肉強食の世界に人間のドラマを持ち込んだが故に見える歪なメッセージが20年の時を超えて変わらないとは鼠帝国としては非常に珍しい。確かに、ブンブンは鼠帝国の語り直しに懐疑的で、現代社会の問題を取り込むが故に寓話の自由さ、面白さが損なわれる様は度々批判しているが、かといってそのまま最新技術で物語をトレースすることを推奨している訳ではない。やるなら、世界の王としてのゆとりを映画で魅せてほしいのだ。

『ライオン・キング』の場合、まるで家族経営の会社におけるダメ息子を延々と魅せつけるアニメ版と同じ事を圧倒的な映像で誤魔化して描いている。シンバは嫉妬深いヴィランであるスカーに、「ぼくが王になったら全てを手にできるんだよね。スカーにも指図できるんだよね。年上なのにぼくの指示に従うって面白いね。」と無意識な高慢を魅せる冒頭。果たして2時間後、彼は成長できたのだろうか?

シンバは自分のミス(と見せかけるようにスカーが仕込んだ罠)によって、父を失い、国を追放される。そして力尽きたシンバの前にお調子者のプンバァとティモンコンビが現れ、ライオンにも関わらず草食動物の世界に居場所を見つけるのだ。

そして、心地よい世界を作り上げて数年が経った世界で、幼馴染のナラと再会し、国を救うために故郷へ戻り、暴力でもってスカーを倒し獅子王になる。

だが、この帰郷によるハッピーエンドには大きなクエスチョンマークがあることにお気づきだろうか?彼は奇跡的に現れる友に導かれているだけなのだ。全自動マリオのように社長の息子が無能にも関わらず、父が死に社長の座をもらう胸糞悪さがそこにはあるのです。あまりにシンバ目線で都合が良すぎる本作には受け容れ難いものがある。では、この映画には何が足りなかったのだろうか?おそらくは、《力で手にするのではなく、力で与える》という哲学であろう。

シンバの父が王である説得力として必要な《力で手にするのではなく、力で与える》場面はセリフでしか示されない。シンバは成長し、《与える側》に立てたのかといえば、最後まで《手にする側》だ。スカーを崖から突き落とすことで王の座を《手にしたのだから》。そこはスカーを改心させる何かが必要だと言えよう。

ただ、この作品超実写化故のジレンマというものがある。これは先日映画仲間と議論してうっすら浮かび上がってきたものではあるのだが、アニメと超実写化の狭間にあるものが引き起こさせた問題である。アニメは擬人化の側面がある。弱肉強食の野生の世界であっても、動物の表情は人間の顔を纏っている。それだけに、人間社会に無理やり一致させた物語は違和感なく受け入れることができる。

しかしながらナショナルジオグラフィックのように鮮明で等身大のアフリカ大地を再現してみせたこの虚構には、そのデフォルメは存在しない。超現実を維持する為には人間の顔を纒わすことはできない。ホンモノの野生動物の生き様がスクリーンで提示されるのだ。しかし、そこにアニメ版と同様人間のドラマを持ち込んでしまうと、数年後に帰郷し王になるシンバの物語が嘘くさくなってしまうのだ。

正直、公開直後のこのタイミングで評価を決めるのは非常に酷である。技術面で見れば2010年代最大の功績であるのだから。しかしながら超現実な世界と物語との折衝に問題がありブンブンは死ぬまでに観たい2010年代映画100に正直入れたくはない。と同時に、この問題が2020年代にどのような進化を魅せていくのかは追っていきたい。

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