『ゾンビの中心で、愛をさけぶ』まだまだ存在したゾンビ映画の新境地

ゾンビの中心で、愛をさけぶ(2018)
ZOO

監督:アントニオ・トゥーブレン
出演:ゾーイ・タッパー、エド・スペリーアスetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

今年も新宿シネマカリテでファンタスティック映画の宴《カリコレ》が開催されます。そのラインナップの中に一際目立つタイトルがありました。『ゾンビの中心で、愛をさけぶ』!原題は『ZOO』で米国iTunesにてよく配信されるタイプのヴィジュアルなB級ホラー。正直、アメリカ版ポスターの雰囲気では全く食指が乗らなかったのですが、この異常な邦題を見て、すぐさまチェックしてみることにしました。

※カリコレ2019での上映日程
7/23(火)14:30~
7/28(日)21:15~
7/29(月)12:45~
8/2(金)15:15~

『ゾンビの中心で、愛をさけぶ』あらすじ


ゾンビだらけの世界で救助を待つ倦怠期の夫婦。ゾンビとの戦いや、突如訪れたサバイバル生活に刺激されながら再燃し始めるふたりの愛を描いたサバイバル・ラブロマンス!
※カリコレ2019公式サイトより引用

ゾンビがほとんど出てこないゾンビ映画

はじめに、この邦題は今年最高の邦題でありながら最低の邦題であったことを報告しないといけません。実は、この映画がゾンビ映画であることは後半に明らかにされるもので、そこへ到るまでの過程で生じるハラハラドキドキ感が旨味となっているため、この邦題、、、「がっつりネタバレしています」。しかも、これによってオチは大方予想つくと思うのですが、実際に観ると「愛をさけぶ」ではなく「愛をささやく」の方が相応しい。というよりか、全く叫んでねーじゃんと言いたくなるような内容でした。だから完全なる釣り邦題なのですが、許してあげてください。ポスターや『ZOO』という原題だけでは、スルーしてしまいそうなこの秀作を教えてくれたのはこの邦題なのだから。

さて、今年はジム・ジャームッシュやベルトラン・ボネロがゾンビ映画を発表し、長久允監督は全くゾンビが出てこないにも関わらずゾンビ映画の持つメタファーを引き出した怪作『ウィーアーリトルゾンビーズ』を発表したりと、とにかくゾンビ映画が大豊作。未見ではあるが、ミュージカルゾンビ映画『アナと世界の終わり』なんてのも公開されています。そこに、ゾンビ映画の《ある視点》を開眼させてくれました。ズバリ、この映画ではゾンビ映画の特有袋の鼠状態に夫婦の一生及び、人間の本能を封じ込めようとしたのです。

映画は謎の疫病で外出ができなくなったところから始まる。夫婦は、社会が大惨事になっているというのに、のほほんと暮らしている。マリファナやコカインなどいろんなドラッグを並べてパーティーをしたりする。あらすじでは倦怠期夫婦という設定らしいが、割とイケイケカップルです。そんな夫婦の前に、謎の訪問者が現れます。一人はまるで怪しい宗教の人のような髭面で、もう一人は目がGO TO HEAVENしてしまったかのような女、いかにも怪しさ満点です。救いを求めに来た、その二人であったが、妻は「あんな奴らにいられたら、食料がなくなっちゃう。追い出しましょうよ。」と言う。しかし、面倒ごとを避けたい夫は「でもさー、わかるけどさー」となぁなぁに済ませようとする。

人間というのは小さなコミュニティに慣れてくると、ムラ社会となり排他的となる。他者に対して、自分の居場所が乗っ取られるのかもしれない。快適さを奪われるのかもしれないという不安を抱くからだ。それは、動物が持つ縄張り意識と似ているところがある。夫婦は、ゾンビパンデミックによって極度に閉鎖された環境で生まれる、動物古来の縄張り意識でもって招かれざる客を追い出そうとするのだ。なるほど、それで原題は『ZOO』なのか。これは映画というスクリーンを通してみる、動物の生き様だったんだと。そして、次々と襲いかかる試練によって夫婦はどんどんと動物になっていく、この手のテーマは珍しくないのだが、ゾンビという要素を掛け合わせ、家の中という空間に限定して物語ることで非常にユニークな映画となっていました。

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