【ネタバレ考察】『長いお別れ』湯を沸かすほどの熱い悪意に戦慄せよ!

長いお別れ(2019)

監督:中野量太
出演:蒼井優、竹内結子、松原智恵子、山崎努、北村有起哉etc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

中野量太最新作『長いお別れ』観てきました。実は事前に映画仲間数名から「今年ワースト」「がっかりした」と聞かされていました。ブンブン、前作の『湯を沸かすほどの熱い愛』は銭湯という場所をあまりにも活かせてない演出と、気持ち悪いほど熱い愛によるドン引き展開に唖然とし、その年のワーストに入れました。本作は『湯を沸かすほどの熱い愛』否定派、賞賛派双方の友人から酷評を聞いていたのですが、これがFOR ME、ブンブンの心にクリティカルヒットする作品でありました。

ただ、ブンブンも含め多くの人が事前に抱く御涙頂戴系ヒューマンドラマとは違いました。言うならば、アレックス・ロス・ペリー系心理ホラー、はたまた笑顔があまりにも怖すぎる小津安二郎の名作『東京物語』路線の映画だったのです。ここにて詳細を書いていくとしよう。Filmarksでは書けなかった部分まで言及するネタバレ記事となってますのでご注意ください。

『長いお別れ』あらすじ


初の商業映画監督作「湯を沸かすほどの熱い愛」が日本アカデミー賞ほか多数の映画賞を受賞するなど高い評価を獲得した中野量太監督が、認知症を患う父親とその家族の姿を描いた中島京子の小説「長いお別れ」を映画化。これまでオリジナル脚本作品を手がけてきた中野監督にとっては、初の原作ものとなった。父・昇平の70歳の誕生日で久しぶりに集まった娘たちは、厳格な父が認知症になったという事実を告げられる。日に日に記憶を失い、父でも夫でもなくなっていく昇平の様子に戸惑いながらも、そんな昇平と向き合うことで、おのおのが自分自身を見つめなおしていく。そんな中、家族の誰もが忘れていた思い出が、昇平の中で息づいていることがわかり……。一家の次女・芙美役を蒼井優、長女・麻里役を竹内結子、母・曜子役を松原智恵子が務め、認知症を患う父・昇平を山崎努が演じた。
映画.comより引用

1.不穏なオープニング

まず、遊園地が映し出される。不機嫌そうな少女がメリーゴーランド前でお兄さんと言い争う。3歳になる妹をメリーゴーランドに乗せようとするのだが、お兄さんに断られてしまうのだ。遊園地のお兄さんといえば、優しいイメージがある。ルールによって断る際も、少女目線にまでしゃがみこみ、「ごめんね、お嬢ちゃん」とでも言いそうだ。しかし、本作で映し出されるのは、直立不動、見下した目線で頭ごなしに断るお兄さんだ。少女たちの憎しみに満ちた目線が、本作の主役である認知症のおじいさん(山崎努)に映り、そのままおじいさんの顔へクローズアップし、「長いお別れ」とタイトルがでる。

ポスターからは感じなかった邪悪を極めたオープニングから本作は幕を開けるのだ。そして、観客のえっ!という意外なオープニングは、そのまま物語の軸となる。

2.冷酷すぎるアメリカの一家

夫の研究の為にアメリカへ渡った長女(竹内結子)は、アメリカ人から英語で卵焼きの作り方を教えるように言われるが答えられない。劣等感に暮れる妻を横目にアメリカ人と夫はハハハと団欒を交わす。

アメリカ人(男)「ここに来て何年になるんだい?」
夫「1年7ヶ月、、、と2日かな」
アメリカ人(女)「奥さんは英語流暢に話せないですね」
夫「いや、流暢に話せますよ《I can’t speak English》ってさ」

スノビズム、デカダンスの高慢に満ち溢れた世界に唖然とするまま、家族の肖像を次々と魅せられるのだが、どの挿話も善意なる悪意、無意識なる悪意が前面に押し出されていて、しかも空気感は「どうしたのですか?いたって平和な日常ですよ」と言いたげなのだ。確かに、海外に住む日本人の中は海外に溶け込めない人や語学ができない人を見下す、俗にいう「カブレ」に毒されてしまう場合はある。それにしたって、あまりにも狂った描写だと思わずには要られません。

そして、この話は認知症のおじいさんを囲んで、他者に向いているようで自分にしか向いていない自己中心的な善意の猛毒性をどんどん形成していきます。

3.内向きな善意の猛毒性

誰しもが自分のことしか考えてなく、人の話を聞かない、人の話を遮ってまで自分を語る。そして、おばあさんのように鬱陶しがられて電話を切られてしまうのに懲りずに電話をかけようとする。棘だらけの人しか出てこないのだが、「家族」という小さな小さな枠に囚われ、ぎゅっと近づけられるから家族は血だらけになっていく。「家族」という枠組みから逃れようと「自己責任論」に転嫁しけば、これまた棘を抜いたようなヒリヒリとした痛みが走る。

なので、良かれと思ってポテトサラダに干し葡萄を入れたことのだが、おじいさんが無言の抵抗で干し葡萄を取り除てしまったことに対し次女(蒼井優)が怒って干し葡萄を戻し始めるところに妙な居心地の悪さを感じる。その異様さは、ラストにまで波及しており、病室でパーティをする際に、おじいさんの身体のことや本心なんんか無視して、「三角帽子被せないとかわいそうでしょ!」とみんなで彼の足を引っ張り無理矢理三角帽子を被せようとしてきます。どこまで自己中心的な家族なんだと、開いた口が塞がりません。一見《LOVEFULL》なように撮られているのだが、徹底して《LOVELESS》なアクションしかこの映画にはないのです。だから本作をワーストに入れたくなるのも良くわかります。

4.夏目漱石の『こころ』について

本作では、度々夏目漱石の『こころ』が登場します。『こころ』は、気持ちの行き違いによって自殺という悲劇を引き起こしてしまう話だ。本作のテーマである、噛み合わない感情というものを体現しているのでしょう。ただ、個人的に、本作から漂う高慢さと思い込みによる行き違いを象徴させるのであればツルゲーネフの『初恋』の方がマッチしていたのではと思う。また日本文学で考えるのであれば、韓国と日本のアイデンティティに引き裂かれ孤独に苦しむ者を投影した李良枝の『由熙』の方が的確に象徴できたのではないかと思ってしまった。何れにしても、夏目漱石の『こころ』はLGBTQ的感情の行き違い要素があまりに強いので、本作で描かれる家族の歪な愛情と不協和音を引き起こしてしまっている感じがしました。

5.落ち葉の意味

もう一つ、惜しい描写がある。それは落ち葉の描写だ。家族の微かな絆を表現するように落ち葉の栞が使われています。おじいさんは、本を読むとき、常に落ち葉の栞を使っている。おじいさんは、長年の伝統を重んじる性格で、家族パーティする時は常に家族全員三角帽子を被るくらいに。そんな彼が認知症になり、施設へ入る。次女がお見舞いに来て、漢字ドリルをやらせるのだが、おじいさんは突然切れ始めて、漢字ドリルを振り払う。そこで落ち葉の栞がフワリと床に落下する。この描写から、心はバラバラだけれども、微かに繋がっていた絆ですら断ち切られた瞬間を描写していると考えることができる。

しかしながら、そう考えた時、違和感が残ります。この家族は、最初から最後まで一貫して希薄なようで濃密な絆で繋がっていたことに。絆は常に断ち切られていて、尚且つ繋がっている状態が続いているので、落ち葉に心情を語らせる必要性がないように見えるのです。これが、「次女が幼い頃おじいさんにプレゼントしたもの」なんて説明があれば、認知症の深刻さを表す描写として機能していたのだが、特に説明なしに、落ち葉の栞を映すもんだから、ビザールなシーンに見えてしまいます。これはあまり上手くいっていないような気がしました。

最後に

てっきり、ワーストに入ってしまうと思っていたのですが、アレックス・ロス・ペリーの『HER SMELL』に近い、一見オーソドックスな作品に見えて猛毒が張り巡らされた世界観に魅せられてしまいました。そしてここまで意地悪な人たちを見ると、今の日本人像を痛烈に皮肉っている作品なのではと思えてきます。日本はCharities Aid Foundationの2018年調査レポートの《Helping a stranger(見知らぬ人を助ける)》の項によると、144ヶ国中142位とのこと。つまり、日本人は他者に興味がなく、他人が困っていても手を差し伸べない傾向があることが分かります。『長いお別れ』では一見、認知症の父を助けるような話に見えて、結局のところ彼の意志は彼方へと追いやられる。「施設に入れよう!」「これ絶対気にいるはず食えよ!」といった各々自分の理想郷で完結させ、現実と齟齬が生じたらヒステリックに主張していく者しか出てこない。だから、アメリカの夫は最後まで日本に来ることはない。百歩譲って空港に迎えにいくことを約束するところで終わってしまう。親切そうに見えて、不寛容で自己中心的で意地悪な日本人像を投影した映画だと考えると、ブンブンは手を叩いて賞賛したくなりました。まさしく、『湯を沸かすほどの熱い悪意』ですね。
そして中野量太監督は、『湯を沸かすほどの熱い愛』もそうだが、一見お涙頂戴善良なドラマに見せかけてサイコパス展開を提示するのに長けた特殊な作家性があると感じました。なので次回は、サイコスリラーあたりを期待したい。ひょっとすると、黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』並みに恐ろしい作品が出来上がるのではないだろうか?そう考えると今後も追っていきたい監督になってきました。
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