【ネタバレ】『ターミネーター ニュー・フェイト』これぞ究極のジェンダーレス映画だ!

ターミネーター ニュー・フェイト(2019)
Terminator: Dark Fate

監督:ティム・ミラー
出演:リンダ・ハミルトン、アーノルド・シュワルツェネッガー、マッケンジー・デイビス、ナタリア・レイエス、ガブリエル・ルナetc

評価:85点

《ターミネーター(=終わらせる者)》という看板を背負っておきながら、ハリウッドビジネスの沼に嵌まり込み、全く終わらせる気がないほどに復活し、今やずんぐりむっくり老体となったアーノルド・シュワルツェネッガーの身体を孫の視点から心配したくなるコメディシリーズと化している『ターミネーター』。そこに《正当な続編》という如何にも不安を誘う惹句と共に漆黒の運命は2019年に降り立った。そんな『ターミネーター ニュー・フェイト』はフランス映画批評界にて大喜利大会と化しており、

リベラシオンは
「コースのファイターは、老化したことを受け入れると、ますます静かになり、憂鬱になる。この映画は、彼の寿命が年齢よりも短いことを示しています。白く、しわになり、傷がつき、目が細くなり、長い苦痛のマシンが再起動し、蒸気が尽きる彼の率直さを反映しています。」とアーノルド・シュワルツェネッガー演じるT-800の老化演出の細かさを賞賛している。

また、フランス版カルチャー誌GQでは、
「このターミネーターは、新しいランボーという恒星の糞から数マイル離れた、最高においしいプルーストのマドレーヌのように機能します。シュワルツェネッガーは永遠に最高のままです…サラ・コナーと共に。」
と時つながりで『失われた時を求めて』に本作を近づけて魅せる大ネタを披露している。

また、この手のアクション映画を意識的に評論しないことで有名なカイエ・デュ・シネマも祭に参戦しており、無機物と有機物のふらつきの中にフェミニズムの色彩を入れているものの、そこにティム・ミラーのヴィジョンが見えてこないと批判しています。

さて、そんな祭に私も参加してきました。これがとても楽しいお祭り映画だったので、今回はネタバレありで考察していきます。

『ターミネーター ニュー・フェイト』あらすじ


ジェームズ・キャメロンが生み出したSFアクション「ターミネーター」のシリーズ通算6作目で、キャメロンが直接手がけ、名作として人気の高い「ターミネーター2」の正当な続編として描かれる。キャメロンがプロデューサーとなり、「ターミネーター2」以来にシリーズの製作へ復帰。「デッドプール」を大ヒットさせたティム・ミラー監督が新たにメガホンをとった。人類滅亡の日である「審判の日」は回避されたが、まだ危機は去っていなかった。メキシコシティで父と弟とごく普通の生活を送っていた21歳の女性ダニーのもとに、未来から最新型ターミネーター「REV-9」が現れ、彼女の命を狙う。一方、同じく未来からやってきたという女性戦士グレースが、ダニーを守るためにREV-9と壮絶な戦いを繰り広げる。何度倒しても立ち上がってくるREV-9にダニーとグレースは追いつめられるが、そこへ、かつて人類を滅亡の未来から救ったサラ・コナーが現れる。リンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーも28年ぶりにカムバックし、シリーズの顔であるT-800を演じるアーノルド・シュワルツェネッガーも出演。グレース役に「ブレードランナー 2049」のマッケンジー・デイビス、ダニー役にコロンビア出身の新鋭女優ナタリア・レイエス。
映画.comより引用

これぞ究極のジェンダーレス映画だ!

本作は、サラ・コナー役でお馴染みリンダ・ハミルトンが、63歳の老婆になりながらも激しく戦うところが注目されている。そしてその影響で、『ターミネーター2』の続編という視点から物語られがちだが、決して懐古主義、昔作った山を切り崩している作品ではない。寧ろ、今のアクション映画の兆候を批判的に取り入れた作品と言えよう。

まず、冒頭30分観て気づくのが、アーノルド・シュワルツェネッガー演じるT-800は完全脇役だということ。刺客REV-9の襲撃からダニー(ナタリア・レイエス)を守るべくやってきたグレース(マッケンジー・デイビス)と、そこに現れたサラ・コナー3人が物語の中心にいるのです。近年『ゴーストバスターズ』や『オーシャンズ8』、『The Hustle』(『ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ』のリメイク)と女性版リブート、続編、リメイクが作られいる。そこには、男性社会の映画業界に対する鋭い批判があり、時に男性の弱さをカリカチュアのごとく風刺して魅せる。確かに、これらの作品は原作の持ち味を活かしながらも、良質にアップグレードしてはいるものの、単なる男女を逆転させただけなのでは?という疑惑もチラつく。その感情は、これらの作品が持つあざとさが原因だろう。女性に配慮してますオーラが鼻につく感じがそこにあるのだ。

しかし、『ターミネーター ニュー・フェイト』にはその臭いは感じられない。何故ならば、そこには男だから、女だからという概念はなく、言語も国籍も何不自由なく入り混じり、相手が機械だろうが何だろうが「敵を倒す」という信念でもって行動しているからだろう。見知らぬ人と会ったら必ず自己紹介をする。それもできるだけ内輪なネタを避けて自分のバックグラウンドを共有し合う。そして味方だと分かれば、コロナを囲って歓待をする。そして、強力な敵には連携をと、互いの持っている情報や武器を重ね合わせ、相手の意見を尊重しながら敵と対峙していく。そこには一切の差別的感情はない。そこにロボット的合理的側面を匂わせながら、理想的なジェンダーレス映画を形成していくのです。

その緻密で堅牢な脚本/演出故に、時折影をチラつかせるコミカルで馬鹿馬鹿しい描写も重厚に見える。そこに面白さを感じる。

例えば、サラ・コナーがやけに2020年慣れしているところにグレースとダニーがツッコむと、「ターミネーターが降り立つとメールが届くんだ。メールが届くと出動する。先週は1件、今週は2件かな。」と完全にアルバイト感覚でターミネーター討伐をやっているよくよく考えれば爆笑な場面がある。しかし、あまりに真面目に会話のキャッチボールをしているのでごく自然の会話に見えるのです。サラ・コナーは本作において、とってもお茶目でマッチョなお婆さんであることは他にも散見される。携帯電話の電波を遮断しようとするという名目でポテトチップスを大量購入(アルミホイルは携帯電話の電波を通さない)するのだが、単に自分がポテトチップス好きなだけだったり、ダニーに銃の扱いを教える際も、いきなりゴツいマシンガンを背負わせたりするのだ。

そこに負けないと、グレースも、銃をデスクに叩きつけて「これが私の処方箋よ」と薬局の人に薬をせびったりするのだ。

こうもどうかしているシュールなギャグが数珠つなぎに並んでいるのに、劇場誰一人笑ってないのは、もちろんここが日本だということもあるが、彼女たちが真剣に戦いに望んでいるからであろう。すっかりイクメンになってしまったT-800は困った時の助っ人程度に利用して、あまりに強すぎる液体状の刺客REV-9を勇猛果敢に蹴散らしていく彼女の雄姿に私は涙しました。

もちろん、映画としての粗も多い。前半、あれだけ1980~90年代アクション映画のような車をしっかり《乗り物》として扱ったアクションを魅せていたのに、後半になるにつれて『ワイルド・スピード』シリーズの二番煎じな乗り物を乗り物として扱わないアクションへ成り果ててしまったのは残念で会った。ただ、この手の木曜洋画劇場で掛かりそうなアクション娯楽作品は、そういう外しも込みで魅力的だと思う。完璧でないところに面白さを感じる。

というわけで、私は大満足でした。

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