バスキア(1996)
BASQUIAT
監督:ジュリアン・シュナーベル
出演:ジェフリー・ライト、クレア・フォーラニ、ベニチオ・デル・トロ、デヴィッド・ボウイ、デニス・ホッパー、ゲイリー・オールドマン、ウィレム・デフォーetc
評価:70点
今週末にトークショーでジュリアン・シュナーベル監督作『永遠の門 ゴッホの見た未来』について語るので、監督デビュー作の『バスキア』を観てみた。ジュリアン・シュナーベルは元々新表現主義アーティストだった。新表現主義とは、ドナルド・ジャッドやカール・アンドレなどといったアーティストが生み出した、レンガを並べただけ、四角いオブジェクトを並べただけのミニマルアートに対して退屈だと評し、それに歯向かうように激しい色彩、前衛的な演出を施した絵画のムーブメントだ。その代表格であるジュリアン・シュナーベル監督が、同じく新表現主義の代表者であるジャン=ミシェル・バスキアを描いたのだ。バスキアの落書きのようなアートは、ZOZOの前澤友作社長が123億円で落札したことでも有名。そんなバスキアの伝記映画について書いていきます。『バスキア』あらすじ
喫茶店のウェートレス、ジーナの部屋に転がり込んでいたストリート・アーチストのバスキア。彼は美術評論家ルネに注目されたことから、アンディ・ウォーホルに認められ、一躍有名になる。だがそれと引き換えに、ルネやジーナの心は次第に彼から離れて行くのだった……。27歳でこの世を去った画家ジャン・ミシェル・バスキアの生涯を、生前彼の友人だったジュリアン・シュナーベル監督が映画化。
※Yahoo!映画より引用
シュナーベル監督が『永遠の門』を撮るのは必然だった
ジュリアン・シュナーベルは本作の冒頭からゴッホについて語っていることから、彼がゴッホ映画を撮る、『永遠の門』を撮るのは必然だったといえる。冒頭のセリフをみてみましょう。
人は”ゴッホ”という船に群がる 危険だが皆が乗りたがる船だ
貧困の天才が屋根裏で描く図は商売の宝庫だからだ
ゴッホはこの神話を世に浸透させた
生前売れた絵はたったの1枚
もらい手すら皆無
あれほどの天才を人は無視した
以後の美術界はそのことへの後悔が根底にある
第二のゴッホを見逃してはならないと
シュナーベル監督は、ゴッホが生涯に1枚しか絵画を売れなかった(最近の研究ではもう少し売れていたことが判明している)逸話に対して、美術界最大の汚点と評し、それ以降の美術界は二度とそのような汚点を見逃さないように血眼になって第二のゴッホを探していると分析している。そして、新表現主義がミニマルアートに対抗するように出現した新しい表現手法であることを、印象派からポスト印象主義の移り変わりに重ね合わせバスキアの半生を紡ぎ出していく。
ホームレスなバスキアはバンド活動しつつ、画家としても活躍する男だった。ウェイトレスを口説き、彼女の家に転がり込み、ダラダラといきているところを美術評論家のルネ・リカードに見込まれる。
「俺を信じろ、あんたはきっとスーパースターになる。」
別に彼のことなど興味なかったのだが、名声を手にしてあの有名なアンディ・ウォーホルと親交を深めるまでになる。と同時に、彼女やルネとの仲が悪くなり、ドラッグに溺れ孤独になっていくのだ。
シュナーベルが描く、アーティストの栄枯盛衰は非常に強固だ。新表現主義のフロントラインにいるだけに、アトリエや個展の演出手法に拘り、アンディ・ウォーホル役にデヴィッド・ボウイを抜擢しカリスマオーラをビリビリと滲ませる。そんな世界で、孤独な世界から名声を得て仲間を増やしていくのだが、次第に仲間を失い孤独にアートと向き合うこととなる侘しさが描かれる。その切なさに心が締め付けられた。
そんなシュナーベル監督最新作『永遠の門』は、『バスキア』の絶望的孤独とは対比的に希望的孤独が描かれているように思える。狂気のイメージが先行しているゴッホだが、実は絵を描く時は比較的穏やかだったのでは?という考察がなされています。それはある意味、画家としても映画監督としても成功を収めたジュリアン・シュナーベルだからこそ描けた視点であり、唯一無二のゴッホ像だったのではと思う。
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