【ネタバレ酷評】『来る』トンデモクリスマス映画!妻夫木聡と岡田准一が見たものとは…?

来る(2018)

監督:中島哲也
出演:岡田准一、黒木華、小松菜奈、松たか子、妻夫木聡etc

評価:15点

『嫌われ松子の一生』『告白』『渇き。』と強烈なヴィジュアルと刺激的な内容が特徴の中島哲也監督が4年ぶりに帰ってきた。その名も『来る』。第22回日本ホラー大賞を受賞した澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』を岡田准一、黒木華、小松菜奈、松たか子、妻夫木聡と豪華キャストで映画化。師走、クリスマス映画シーズンにホラーで勝負を挑んできました。ただ、予告編を観ると一抹の不安がブンブンの脳裏にチラつきました。
「これって…『哭声/コクソン』の儀式シーンやりたいだけの映画なのでは…?」

そして、実際に観てみたら、これが酷かった。時は師走、映画ファンは今年のベストテンを作るために追い込みをかけるシーズンでありますが、ここに来てワースト部門に追い込みがかかりました。今日は、本作の不満点を書き連ねていきます。

ただ、本題ネタバレ酷評に入る前に、これから鑑賞される方に向け、警告をしておきます。恐らく、これは言わないと深い傷を追う人がいるかもしれないし、クリスマスデートで観に行って、そのまま破局する可能性があるので語っておく必要があります。

その警告はというと…「芋虫がいっぱい出てきます!!」

『来る』はもはや助演俳優レベルに芋虫が出演されています。それも一匹ではなく、沢山出てきます。おまけに、ワンシーンだけではなく最初から最後まで5分~10分に一回ペースで出現します。ブンブン、思わず吐きそうになりました(芋虫は火炎放射をぶちかましたいくらいに大っ嫌い)。間違いなく、本作を観た後、食事にはいけなくなることでしょう。『来る』は確かにクリスマス映画だし、一見デート向きなライトなホラー映画に見えるかもしれませんが、余程のホラー映画好き、芋虫好きでない限りはやめておいたほうが無難です。

さて、ここからが本題、原作については未読なのでスルーし、映画そのものについてネタバレありで語っていきます。

『来る』あらすじ

田原秀樹は愛する人と結婚し、子どもを授かった。会社でバリバリ働き、プライベートでは育児ブログを書き、イクメン友達とも仲良くやっている。そんな一見順風満帆に見えた家族だったが、田原家の周りで不可解な出来事が起き始める。それがドンドン大きくなり、恐怖を抱いた秀樹は知り合いの紹介で、霊感の強い女・真琴の手を借りることとなる。しかし…奴は来る!ジリジリとやって来る!

『来る』の正体はクローネンバーグ系超能力モンスターバトル映画だった!

本作は、パワープレイホラー映画にありがちな、ゴチャゴチャ話が動いたが結局何が言いたかったの系ホラーだ。結局、人によっては『来る』の正体がなんだったのかがわからずモヤモヤすることでしょう。ただ、これはクローネンバーグ映画だと思うと一気に謎が解け、魅力的な話になってきます。

デヴィッド・クローネンバーグとは、『スキャナーズ』や『クラッシュ』等ゲテモノホラー映画を作り続ける変態映画監督だ。しかし、クローネンバーグが作りだすクリーチャーは人間の感情を軸にしており、それが物語に独特な強度を与えている。例えば、『スキャナーズ』では蔑視の目を差し向けることで人を殺す場面がある。『クラッシュ』では欲求不満という現象を自動車事故に転化させ、車ごとモンスターとして描いていった。そして『ザ・ブルード/怒りのメタファー』では、憎悪からモンスターを創り出す物語を構築した。『来る』もクローネンバーグ映画同様、感情からモンスターが生まれる作品となっている。

妻夫木聡演じる田原秀樹は、虚栄心の塊のような人間だ。結婚式を豪勢に開く。しかし、序盤でお偉いさんは帰ってしまうし、チラホラと陰口が聞こえる。しかし、田原はプライドが高い。「完璧な男」でいようと明るく振舞うが、ドンドン陰口の音が大きくなる。なんとか式を終えると、今度は赤ちゃんだ。ブログサイトを立ち上げ、イクメンブロガーとして活動を始める。会社内でもビッグマウスを開き、育児書を読み漁っている自分をアピールする。会社の同僚を自宅に集めパーティを開いたりする。不協和音が発生しようとも、なんとか明るくいようとする。そして子どもが生まれると、イクメンとして毎日のようにブログを書く。そして素晴らしい家族愛を世に伝える。

ここまで読んで頂くと分かるであろう。田原秀樹は一見、妻や娘のことを考えているように見えて、自分のことしか考えていないことに。ブログや、自分を大きく魅せることだけに執着し、妻がSOSを出しているのに気がつかない。妻がカチンと来ることを平気で言ってしまうのだ(なんか、どこかの意識高い系ブロガーに近い状況ですね)。そして妻の憎悪、疲労、悲哀が、強大な得体の知れないモンスターを形成してラストの怪物に繋がっていきます。また田原秀樹自身も、自分がいかに小さい人間かを知っているので、いつか自分の身に大変なことが起きるのではと日々恐怖に震えており、それが悪夢となって怪物形成に加担していくこととなります。

中島哲也監督は芋虫と儀式にしか興味がなかった?

こう聞くと、面白そうな映画に見えることでしょう。特にクローネンバーグ映画好きには惹かれるものがあることでしょう。ただ、残念なことに『来る』はクローネンバーグ映画の足元にも及ばない作品だった。そして、この手のオカルト映画に強い白石晃士監督作品の足元にも遥か及ばない作品でした。

恐らく、最大の原因は中島哲也監督が芋虫と儀式にしか興味がなかったからだと推察できる。

確かに、本作における芋虫の使い方は非常に上手い。ホラー映画における同じ恐怖の繰り返しは、観客の心にトラウマを植え付ける。手数が少ないホラー映画にとって非常に有効な手だ。しかし、ここでは芋虫の魅せ方にばかり気を奪われ、音楽の使い方やサイケデリックな映像が雑になりノイズとなってしまう。これにより、恐怖描写の鋭さが一気に半減する。

また、この作品は『哭声/コクソン』リスペクトが強すぎる。『哭声/コクソン』における儀式シーンのアップグレード版が本作のクライマックスで提示され、それ自体は爆笑レベルに面白いし怖さもある。ただ、この気合の入りすぎたシーンのお陰で、前半部分がいかに手抜き作業かが露見してしまう。クライマックスの儀式に関しては、一つ一つのディティールに拘ってワンシーンワンショット拘りをもって描いているのに、そこに到るまでの90分は、使い捨ての駒のように乱雑に映像を扱う。虚栄心の強いイクメンの描写は、折角間の悪くなる場面を沢山用意しているのに、すぐにサイケデリックな映像や悪夢描写に逃げてしまう。これが濱口竜介監督だったら、修羅場を嫌な形で切り抜けていく様を、じっくり描いた上で悪夢描写を挟んだはずだ。中島哲也監督は、勢い勝負なところが強いので、《間》を使いこなすのは苦手なのは薄々気づいていたが、あまりに逃げすぎだと感じてしまう。そして、ここで逃げてしまうので、モンスターを創り上げるのに必要な憎悪やヘイトの塊が十分に集まらない。だから滑稽なコントに見えてしまうし、そもそも小松菜奈と松たか子演じる霊媒師に対する掘り下げが弱くなってしまう。結局、ジングル・オール・ザ・ウェイやってきた奴の強さがよくわからぬまま終わってしまうのだ。

中島哲也監督、そこは逃げちゃダメだ!

実は現代日本の育児事情を風刺している?

さて、本作はクリスマスに悪霊と戦う、ホラー映画。カップルホイホイなクリスマス映画に見えたのだが、結局芋虫の件や作劇の粗さによって、観るに堪え兼ねる作品であった。ただ、『来る』はどういうわけか、現代日本の育児事情の闇を皮肉った社会派ドラマだったりするので、日本人には必要な作品なのが困ったところだ。田原秀樹が死んで、妻が女手一つで子育てをする。保育園に子ども預け、日中はスーパーで働くのだが、子どもが病弱故、すぐに保育園に呼び出される。スーパーのオーナーからは「ここは託児所じゃねぇんだ。友達や家族、預けられる人沢山いるでしょ。」と言われる。そして、子どもが喧嘩をすれば、被害者の家族に怒鳴られる。現代日本の子育てに対する厳しい目、不寛容さを十二分に描いているのだ。思い返せば、イクメンというワードも流行ったが、男は育児の美味しいところしかやらないなんて声もママさんからよく聞く。これは、日本の問題を意外な形でしっかり描いた作品だったりするのだ。

とはいっても、今年は素晴らしい育児教育映画『タリーと私の秘密の時間』が公開されているので、わざわざ『来る』を観て育児の勉強するくらいなら、『タリーと私の秘密の時間』を観ることオススメする。

うーん、12月になってワースト級の映画が現れるとは、それもブンブンが好きな中島哲也監督の作品でそれをやられてしまうとは、参りました…トホホ(芋虫嫌いなのもあって、かなり地獄でした)。

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