検察側の罪人(2018)
監督:原田眞人
出演:木村拓哉、二宮和也、
吉高由里子、松重豊etc
評価:60点
巷では絶賛と酷評が飛び交う問題作。恐らくキネマ旬報ベストテンと映画芸術ワーストテン両方に入る作品であろう。原田監督は、面倒臭い作品が多いので避けていたのだが、二宮和也が出ているので観た。※ネタバレ記事です。
『検察側の罪』あらすじ
雫井脩介の同名小説の映画化。エリート検事・最上と駆け出し検事・沖野の前に事件が舞い込む。容疑者としてあがったのは松倉重生。最上にとって宿敵的存在だ。彼は、松倉を犯人にしようと策略する。最初こそ最上側についていた沖野であったが、段々と犯人は別人なのではと疑い始め、仲間の橘沙穂と共に事件の真相に迫る…
二宮和也、木村拓哉の演技合戦
…意外に面白いではないか!
「100%の真実も、100%のウソもない。だから100%の正義もない」
という台詞が強固な軸となり、観客が信じていたキャラクター像が次々と覆される面白さがある。演技も凄まじい。明らかに悪人顔の木村拓也には、罪に対する後悔の片鱗が見える。そして、私が観たかった井之頭五郎さんの本業を松重豊が好演。飄々としていて、木村拓哉扮する最上に助け舟を出す姿は、『ファウスト』における悪魔メフィストを思わせる不気味さがある。
そして、何よりも二宮和也ですよ!二宮和也!まだ演技に伸び代があるのか!と驚く、狂気の刃を魅せてくれた。彼は駆け出しの検事・沖野を演じている。正義感に燃えるあまり時折、狂気の片鱗を魅せていた彼が、最上の監視がなくなった途端、5分間にも渡って容疑者・松倉にキレル。「おいお前がやったんだろ!クズ!」とネチネチと松倉の心の肋骨を一本一本へし折っていく姿は、まさしく見てはいけないものを見てしまったかのような気まずさがある。流石のサイコパス松倉も、心が折れ、「ママー」と泣け叫ぶのだが、ブンブンも「もうやめてくれ!松倉のライフポイントは0よ!」と叫びたくなった。怖い、この二宮和也怖い!演技の新境地を観た。
100%の正義もない
本作の、どっちに転がるかわからないストーリーも魅力的だ。
てっきり『トレーニング・デイ』のデンゼル・ワシントンのように暴走する木村拓哉(最上)を周りが止める話かと思えば、そうではない。最上の家庭は完全に冷めきっている。ハードな現場である検事の世界は、孤独に戦わなければならない。彼の目の前に宿敵・松倉が現れる。検事は自分のストーリーに囚われたらアウトだとわかっているのだが、どうしても彼に罪を償ってほしい。法を破りたくないのだが、闇にひきづりこまれ、抵抗することができない。この苦悩に共感する。
一方、沖野は正義感が強すぎるあまり、無意識に暴走していく。無意識に闇に堕ちていく不気味さがあり、「本当に危ない奴は彼なのでは?」と思い始めてくる。
しかし、ダークホースは岡目八目で二人の心の揺らぎを観察している秘書的存在・橘沙穂。彼女は、週刊誌から派遣されたスパイで、最上の闇落ちする瞬間を今か今かと待ち望むハゲタカだ。
この3人が複雑に絡み合い、次々と予想を裏切っていく様子は『スリー・ビルボード』のような面白さがある。
勿体無い!余計な描写が多すぎる
しかし、原作がそうなのか、監督のメッセージなのか、やたらとアジア太平洋戦争に対するメッセージを挿入していて、そのシーン要る?と思いました。仮に原作にあり、映画に盛り込むのがキツイのであれば、削るべきだと思いました。
また、映画鑑賞後に振り返ると粗が見えてしまう。沖野が松倉に対してキレル場面が物語に絡んでいるか?と言われたら、そうには見えず、いきなり二宮和也が壊れたようにしか見えない。冒頭に、新ルールで取り調べ内容は録音され、人格否定したら罰がくだると説明されているのに、その設定がまるでなかったかのように扱われる。橘さんの心情変化も、後半に行くに従い駆け足杜撰になっている。劇中チョイチョイ挟まれるギャグは不協和音だし、ラストのラストに二宮和也が叫ぶという、日本映画あるあるのダメなショットを持ってくる。ラストは、もはや仲直りすらできなくなった最上と沖野が静かに目線を合わせて検事の世界から去る。あるいは、最上が検事の世界を去り、沖野に弟子ができる。そして再び物語が繰り返されることを想起させて終わるみたいなベタだが強固なラストでよかったのではと思う。
ましてやこれは東宝映画。そもそもお得意の前編・後編に分けて細かく人物を描いてもよかったのではないか?
なんか惜しいなと思いました。
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