【ネタバレ考察】『未来のミライ』あの建築の意味を考える(短め)

『未来のミライ』あの建築の意味を考える

先日、公開されるも、あまりの斬新さから賛否両論を巻き起こしている細田守最新作『未来のミライ』。ブンブンの周りの映画ファンは酷評大ブーイング出あったが、個人的に非常に惹き込まれる作品で、『リズと青い鳥』に次ぐ傑作アニメーション映画であった。

もう既に幾つか記事を出したのだが、実はまだ語っていないネタがある。それが、くんちゃん一家のあの特殊過ぎる家。あの構造は、非常に物語を読み解く上で重要なものを感じた。未だに、インスピレーションを刺激される為、他のブロガーや映画ライターの解説は読んでいないので、果たして指摘されているのかどうかは分からないが、持論を唱えていこうと思う。尚、今回は、雑記帳、メモ帳のように書いているので、そこまでガチな解説記事でも考察記事でもありません。暇つぶしにどうぞ。

※ネタバレ記事です

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建物の構図からみる『未来のミライ』

本作で登場する、改築された一軒家は外国映画でも観たことないような特殊な形となっている。まるで大きな階段の段差に部屋を設けたような作りをしており、最上階がリビングルーム、その下が中庭。そこから階段を降りていくと外に出られる仕組みになっている。そして、物語の大半は、その奇妙な家を舞台に繰り広げられる。これはどういう意味なんだろう。

その奇妙な家と物語の関係性について考えた時、ある一本の映画が頭に浮かんだ。それは『マイレージ、マイライフ』だ。会社員の解雇宣告をする職業の男の物語なのだが、この作品の《飛行機》の使い方に非常に似ている。首斬り人はある意味、死神の存在。必要になった時だけ、下界に降り死刑宣告をする。《飛行機》は天国ないし死神の世界として象徴されているのだ。

本作の場合、リビングルーム、中庭、外の世界を心理的象徴として描いている。

リビングルーム=聖域

まず、リビングルームについて。冒頭、くんちゃんがプラレールを広げて遊ぶ。おばあちゃんが「片付けなさい」というが、結局片付けることなく立ち去ってしまう。このシーンから、ここはくんちゃんの聖域。全て自分の思いのまま過ごせる場所であることが想起される。しかし、妹ミライちゃんが現れたことで、突如、この聖域は破壊される。親は自分の意見を全く聞いてくれない。親戚も自分のことを可愛がってくれない。くんちゃんは、「自分の王国だ!」と言わんばかりにプラレールを広げるが、遂には無視されてしまう。ここでのドラマは、基本的に聖域の破壊描写として描かれているのだ。

中庭=欲望

妹や弟を抱える長男、長女なら分かることだが、聖域を奪われた者は必然と、コミュニティ、自分の居場所を求め、外へ出るもの。幼稚園や公園で友達を作り、居場所を作るのだ。しかし、くんちゃんが階段をくだって外に出る途中にある中庭が、彼が現実世界にコミットしていくのを阻害する。中庭が、くんちゃんの深層心理にある欲望、不安を呼び出すのだ。

例えば、赤ちゃん返りを超えた獣返り。これは親への愛の渇望を拗らせ生み出された刺激の具現化と言えよう。その後、未来のミライちゃんを召喚させ、さらなる倒錯的エロスの門を彼は叩いてしまう。

また、母親の幼年時代とシンクロして家を破壊する描写。これは妹により奪われた生活環境を壊したい。壊れてしまった理想郷、壊れてしまったのなら一層の事、破茶滅茶に壊したいというくんちゃんの破壊願望が具現化されている。

そして、恐怖の東京駅の描写は、くんちゃんの神聖かまってちゃんっぷりすら無視され、強い孤独心を抱いたくんちゃんの恐れがヴィジュアル化されたものと言える。

つまり、中庭はくんちゃんの心そのものだ。

外:何故、幼稚園のシーンがないのか?

くんちゃんは幼稚園児なのだが、何故か幼稚園の描写がない。父親がくんちゃんを幼稚園に連れていくシーンはあれど、具体的に幼稚園で何をしているのかが描かれない。それどころか、本作では外に出るシーンは僅か数シーンしかないのだ。

これは、くんちゃんが居場所を求めて、現実世界に行こうとするものの、欲望が生み出した妄想の世界に阻害され、なかなか外に出られない様子を強調する為のテクニックだと言える。そして、この苦悩の物語は細田守監督の苦悩を反映している。育児と仕事の狭間で生じた葛藤を放出させた作品と言える。

故に、くんちゃんが段々と自立していき、自ら公園で初めて出会ったような友だち指導のもと、自転車を補助輪なしで乗ろうとするシーンに彼の成長が表れている。

最後に…

何故、くんちゃんの家は、あんなにも変なのか?それは、くんちゃんが、天国のような世界から追放され、下界に降り立ち、現実世界で居場所を見つける。失われた聖域に対する衝撃を自ら消化すメカニズムを具現化したものだったのだ。だから、リビングルームは最上階にあり、追放先の現実との間に、誘惑の空間として中庭があるのだ。


そう考えると、本作はタルコフスキーの『惑星ソラリス』かよ!とツッコミたくなる。そして、益々このカルト映画にブンブンは魅せられていったのでした。

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