【アテネフランセ特集上映】『マニラ・光る爪』日本映画の貧困描写に足りないものがある

マニラ・光る爪(1975)
MAYNILA: SA MGA KUKO NG LIWANAG

監督:リノ・ブロッカ
出演:ヒルダ・コロネル,リリー・ガンボア・メンドーサetc

評価:80点

↑入り口では、無料で豪華な冊子が配られていた。

我が聖書『死ぬまでに観たい映画1001本

』に掲載されている鑑賞難易度Sランク(輸入でも入手困難)のフィリピン映画がアテネフランセの特集上映《東南アジア、巨匠から新鋭まで》で上映されるということだったので観てきた。

『マニラ・光る爪』あらすじ

エドガルド・M・レイエスの小説を映画化。失踪したガールフレンドを探しに田舎から首都マニラにやってきた青年フリオ。資金が底を尽き、工事現場の仕事を転々としながら7ヶ月が過ぎた。そんな中、とある建物にガールフレンドと思われる人物が出入りしていることに気がつくが…

体感時間5時間の旅

本作を観ると、近年日本で作られる貧困映画が如何にイメージのパッチワークで、貧困による心の変化をないがしろにしているのかがよく分かる。

まず、本作はいい意味で体感時間が5時間に感じる作品だ。フィリピンの田舎町から都会マニラに行方不明のカノジョを探しにやってきた気弱な青年が如何にして狂気に陥るのかを、2時間の壮大な旅を通じて少しずつ紡がれていく。

彼女を探しに行ったものの資金がなくなり、工事現場のバイトで凌ぐ。経営者はピンハネのプロ。契約書には1日4ペソと書いてあるのに、「タイワン」という独自ルールで1日2ペソしか貰えない。「タイワン」とは、経営が厳しくなった場合経営者が発動するルールで、給料受け取りを先延ばしにするか、減給される代わりに今受け取るかを選ぶもの。多くの労働者はその日生きるのも厳しいので、後者を選びドンドン経営者から搾取されていく。

この理不尽な現象から生まれてくる友情、そしてその友情すら潰していく事件をスタイリッシュな映像、ドープな音楽で描いていく。ただ、決して表現に逃げることはない。常にフィリピン社会と個人の関係に向き合っているからこそ、この青年に惹かれていく。

あれだけ気弱で優しい青年が怒りを爆発させた時、私は気づいた。これは日本もあながち他人事ではないのでは?と。SNS、特にTwitter界隈において、人々が火炎瓶を投げつける様子が散見される。この暴力的な現象は、まさに社会の不条理に飲まれ憎悪の塊となった人々が起こすものだと言える。

日本映画の貧困描写に足りないものがある

ここ最近感じることだが、日本映画の貧困描写があまりに薄い。《貧困》という表面的イメージをそのまま映像にトレースしているだけと言える。例えば、キネマ旬報や映画芸術でベストワンとなった『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ

』を例にとると、池松壮亮扮する工事現場の男はコミュ障で空気が読めず、貧しいという日本の最下層像を体現しているのだが、映画を通じて彼はどうしてそうなってしまったのかという描写もなければ、成長というのもない。ただ貧困の象徴としt描かれている。『あゝ、荒野』に関しても、貧困は障害や鬱から起こるというある種決めつけが全編を支配している。

『東京難民』のように、貧困に陥る過程と、貧困と社会の関わりをしっかり描いている作品は本当に少ないのだ。先入観で描いた貧困は超絶技巧の演出で表現すると、シネフィルからの評価は高くなりがちだが、ちょっと待ってほしい。果たしてそこに映る貧困はホンモノなのか?偽善と高慢と偏見に満ちた世界ではないのか?

この『マニラ・光る爪』を観ると、日本映画の貧困描写に疑問を強く抱く。これはそのうちクライテリオンかどこかでDVD化されそうなので、映画を作る人は是非とも挑戦してほしい。

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