『兄弟はロベルトという名でバカ野郎』希望がない、時間がない、俺私に明日はない

兄弟はロベルトという名でバカ野郎(2018)
原題:Mein Bruder heißt Robert und ist ein Idiot
英題:My Brother’s Name Is Robert and He Is an Idiot

監督:フィリップ・グレーニング
出演:ヨゼフ・マッテス、ユリア・ツァンゲ、ウルス・ユッカーetc

評価:40点

陽光の中のナチュラルな美しさを評価する人もいるかもしれないけれど、僕には監督のエゴの押しつけとしか感じられない。しかも3時間。これは拷問だ。「作家性」と「エゴ」を隔てるラインはとても細い。申し訳ないが、本作は後者だ。幼児的な戯れが不条理な悲劇へと暴走する展開には、ハネケあたりを引き合いに出すべきなのかもしれないけど、いや、分からない。もう他の人にまかせたい。

客席の3分の1は途中退場し、最後まで残った人々からはブーイング。ああ、くたびれた…。

【MOVIEブログ】2018ベルリン映画祭 Day7より引用

2018年のベルリン国際映画祭で矢田部吉彦の悲痛な叫びと共に紹介された”My Brother’s Name Is Robert and He Is an Idiot”が6年の時を超えて日本で上映された。渋谷哲也によるアテネ・フランセ企画で邦題『兄弟はロベルトという名でバカ野郎』として上映された。監督のフィリップ・グレーニングは、最近『きみの声』の山田尚子監督が『大いなる沈黙へ』に影響を受けたと語ったことから再注目されているだけにナイスタイミングといえよう。恐る恐るアテネ・フランセに行き、目撃してきた。そして思い出す。フィリップ・グレーニングはタチの悪い監督だったことに。『大いなる沈黙へ』に匹敵する拷問レベルの3時間。海外の批評家的言葉を借りれば前半は「催眠的」、後半は「露悪的」な作品でった。とはいえ、退屈さと面白いショットの波状攻撃が独特なリズムを生み出し、体感時間こそは短かった。ただ、これはブーイングも納得な問題作であった。コンペじゃなくて実験映画系の部門に出品した方が良いのではと思いつつ感想を書いていく。

『兄弟はロベルトという名でバカ野郎』あらすじ

映画の舞台はトウモロコシ畑の中にポツンと孤立しているガソリンスタンドの周辺。10代の双子エレナとロベルトはいつも一緒に行動している。彼らはガソリンスタンドになじみがあるようだが、家族関係は分からない。物語の始まりは土曜日、週明けの月曜にエレナは高校卒業試験で哲学の発表しなくてはならない。「時間とは何か?」をロベルトと議論しながら、美しい自然の中に遊び、次第に緊張や圧迫が増してくる中で二人の行動は過激な狂気を帯びてゆく…
ゆったりした時間の展開の中で他愛ない遊戯がおぞましい獣性を帯びてゆく。自由、モラル、葛藤、愛情など様々に矛盾する要素が同居するある週末を描く異色作。2018年ベルリン国際映画祭コンペ作。

※アテネ・フランセより引用

希望がない、時間がない、俺らに明日はない

草原で兄妹が「時間とは何か?」と議論している。どうやら近々、学校の口頭試問を控えているらしく休暇として草原にて勉強ちゅうらしい。しかし、すぐさま雲行きが怪しくなる。兄ロベルトは妹エレナに暴力を食らわせるは、近親相姦的な状況が発生する。「時間とは希望である」と定義した上で、「希望がない」状況を視覚的に表現しようとしている。希望がなければ時間はない。時間は過去現在未来の点と点を結んだものであるが、希望がないため未来がない。つまり現実の即物的なアクションだけを映すこととなる。だから兄妹が成長するといった未来が見えず、やがてガソリンスタンドに粘着し居候すると、どうしようもなくウザい嫌がらせが果てしなく続くこととなる。

嫌がらせをしては、客が来ないもんだから虚無の刻を過ごし、時折店員を脅してビールなどをせしめる。映画は終盤にかけて暴力がエスカレートしていき、店員を監禁拷問する事態にまで発展してくる。突然映画の経路が、レンタルビデオ屋の影にひっそりと身を潜めるB級サスペンスみたいな状況になってくる。このサスペンス自体は露悪的と美的が共存したショットで埋め尽くされており、緊迫感の宙吊りの作りに唸るものがある。前半部分で、バッタを使った捨てる、音楽を聞かせる、水没させるといったユニークで小さなアクションがヒトへと繋がる良質な伏線回収だったといえる。

インテリ仕草と露悪的の融合といえばラース・フォン・トリアーのことが思い浮かぶが、こちらは監督自身の内なる対話を理論的に描いている。『兄弟はロベルトという名でバカ野郎』は結局エレナが見出した時間論が本編と結びついていないこともあり、ただ高尚な話をしながら下劣なことをやっているようにしか思えなかった。