【ネタバレ考察】『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』資本主義の限界について

映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ(2023)

監督:作田ハズム
出演:本上まなみ

評価:60点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

サンエックスが誇る人気キャラクター「すみっコぐらし」の映画第三弾を観た。サンエックスは、サンリオ以上にメディアを通じた世界観づくりに古くから力を入れてきた。それこそインターネットが普及し始めた2000年代初頭には、「こげぱん」や「にゃんにゃんにゃんこ」などのショート動画をホームページにアップし、世界観を強化、販売促進を図っていた。そんなサンエックスのキラーコンテンツが数年前に映画化された。これは幼児向けアニメの価値観を大きく変えるマスターピース的働きをもたらした。一般的に、アンパンマンを始めとする幼児アニメは映画批評の土壌に上がることはない。しかし、幼児向けアニメほど社会問題を短い時間の中で的確に描いているジャンルはないといっても過言ではない。『それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星』では、ゴミを不適切に処理することが他の領域を生活不可能レベルにまで破壊してしまうことを大人も唸るほど鋭く描いていた。『映画 おかあさんといっしょ すりかえかめんをつかまえろ!』では「いたずらっ子が何故いたずらをするのか?」といった問いに答える中で、排除ではなく共存の道を模索する物語に仕上がっていた。しかし、これらのストーリーテリングについて詳細に分析されることはなかった。

『映画 すみっコぐらし』はそこに穴を開けるものとなっている。一作目では、すみっコが絵本の中に入ることで物語をメタ構造的に捉え、虚構がどのように現実に影響をもたらすのかを考察したものであった。二作目では新入社員が周囲の役に立てず、悶々とする中で発生する事故が描かれていた。どちらも可愛らしい見た目に反してハードな内容となっている。公開されると、子連れだけでなくカップルや個人で観る人が散見され、ネット上でもさまざまな考察が行われた。これは幼児向け映画再評価の良い流れではないだろうか。

閑話休題、最新作はシリーズの中でも最も重いドラマとなっている。一見するとクラシカルな資本主義批判に見えるのだが、実は2020年代におけるアクチュアルな問題に対し切り込もうとした意欲作であった。今回はここについてネタバレありで語っていく。

『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』あらすじ

サンエックスが展開する人気キャラクター「すみっコぐらし」を劇場アニメ化した「映画 すみっコぐらし」シリーズ第3弾。本上まなみが前2作に続いてナレーションを担当した。

ある日、森のはずれでつぎはぎだらけの古い建物を見つけたすみっコたち。そこはおもちゃを作る工場だった。すみっコたちもおもちゃ作りをすることになり、手先の器用なしろくまはミシン、ぺんぎん?は虫メガネで検品など、それぞれの得意なことをいかしておもちゃ作りがスタート。しかし、その工場にはなにやら不思議なことがあって……。

監督は、テレビアニメ「宇宙なんちゃら こてつくん」「猫のダヤン」など知られる作田ハズム。脚本は、劇団「ヨーロッパ企画」の俳優・脚本家で、シリーズ第1作「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」も手がけた角田貴志。主題歌をPerfumeが担当。

※映画.comより引用

資本主義の限界について

ぺんぎん(本物)がしろくまのぬいぐるみを持ってくる。しかし、ボタンを落としてしまったため、すみっコは森の深部へと突き進む。その過程で古びた工場を発見。中へ入ると、くまの工場長がお出迎え。なぜか、ぺんぎん?やねこに才能を見出した工場長は、翌日にすみっコのアジトへ訪れ「一緒におもちゃを作ろう」と勧誘する。その行動にはどこか強引さがあり、才能がないと思われるとかげなどには「青いから」といった無茶苦茶な理由をつけて労働者として採用した。

不穏な空気が流れるイントロであるが、実態は現実に即した生々しいものとなっている。その生々しさは「ちいかわ」や「ずんだもん」で扱った方が良いレベルである。初めての労働に狼狽えるすみっコ。対して、適性を見極めて配置を行い、最初はゆっくり、失敗も許容しながら進めていく。そして目標の50個生産も完遂させる。おもちゃが生産されると、工場も設備投資を行え、効率が上がる。豪華な食堂付きで、宿泊施設も完備。すみっコもやりがいを見つけて楽しく労働するようになる。しかしながら、生産能力は有限であり、頭打ちとなってくる。すると、工場長は険しい顔をしながら、休憩しているにせつむりに圧をかけたり、ノルマを一気に1,000個へと引き上げたりする。当然ながら、突然の変化についていけないすみっコは困惑する。それが大事故に繋がり、とんかつのクローンが大量に生産される事態となる。なんとか事態を収めたところで、ノルマは未達となる。疲れ切ったすみっコにさらなる労働を強いるブラック企業体質へと変貌を遂げるのだ。

本作の脚本が秀逸なのは、ブラック企業へと変貌を遂げることによる影響を職場内だけに留まらず、社会レベルにまで落とし込んでいることにある。生産されたおもちゃは、すみっコの集落へと運ばれていく。おもちゃは意志を持っており、「遊んで、遊んで」と近づいてくる。しかし、供給過多になると町中におもちゃが溢れ、まるでゾンビ映画のようにすみっコは家やスーパーから出られなくなってしまうのである。本作は、察しの通り資本主義の問題点を突いている。ただし、『モダン・タイムス』や『メトロポリス』を安易になぞることはしない。「工場(=企業)の本質は何か?」といった問いをすみっコの言葉で語り直すことで、2020年代における資本主義の致命的な側面を指摘しようとしているのだ。

その中で重要なギミックがある。それはくまの工場長の正体だ。実は、工場長は寂れた工場が意志を持ち、おもちゃに息を吹き込んだロボットのようなものであった。工場は、おもちゃを生産することにアイデンティティを置いている。しかし、生産ができないと実存的問題にぶつかってしまう。そのため、社会の需要に反するレベルで生産を行い、結果として社会に悪影響をもたらしてしまう。資本主義は利潤を出すことが重要視されており、すなわち企業は利潤を出すことが自分を存在し続ける道となる。しかし、これは有限である人口のことが考慮されておらず、いずれ頭打ちとなってしまうのである。資本主義の無限的側面と、現実の有限的側面の不均衡はアクチュアルな問題として様々なところで観測できる。例えば、Netflixは会員数が頭打ちとなり、複数の端末でアカウントを共有できる機能をやめようとしている。Twitterもイーロン・マスクによって改悪に改悪を重ねる状況が続いている。映画界では、大量生産されるMCU作品の質の低下が著しいものとなっている。過酷な労働も表面化するようになってきた。いずれも無限に成長を目指す中で息詰まり、それがサービスの低下に繋がってしまう例となっている。本作は、その状況を指摘し、工場(=企業)を無限成長の呪縛から解放しようとしているのである。

ただ、この大きなテーマを扱うには70分は余白が少なすぎる気もする。ましてや、鈍重な移動を行うすみっコで描くには演出足らずな気がし、特に工場を呪縛から解放した後の変化がほとんど描かれていないのが気になった。アクチュアルな問題だからこそ、そこに一定の説得力のもった落とし所を配置し、希望的結末を迎えてほしかったものがある。シリーズの中では、そこまで評価は高くないものの、チャレンジングな作品だったといえよう。

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※映画.comより画像引用