【大傑作】『白鍵と黒鍵の間に』映画はノンシャランでいいのだ!?

白鍵と黒鍵の間に(2023)

監督:冨永昌敬
出演:池松壮亮、仲里依紗、森田剛、クリスタル・ケイ、松丸契、川瀬陽太、杉山ひこひこ、中山来未、佐野史郎、洞口依子etc

評価:100点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

山形国際ドキュメンタリー映画祭に精を出し過ぎて、「今」公開されている作品に無頓着な私。自分が参加している映画コミュニティで『白鍵と黒鍵の間に』が凄いと聞いた。イオンシネマ座間で観てきたのだが、観客は私ひとり貸切状態であった。冨永昌敬は『ローリング』が結構好きで生々しい人間関係を描くのに長けた監督だと思っている。だが、今回の本作はそこまで期待していなかった。単純に映画疲れで、エンジンがかからなかったのだ。ところがどっこい、本作を観てみると、今年ベスト1位候補なぐらい素晴らしい作品であった。先日観た小林旭『遥かなる国の歌』に匹敵する自由でノンシャランな映画の快感を味わえる怪作であったのだ。

『白鍵と黒鍵の間に』あらすじ

池松壮亮が1人2役で主演を務め、昭和末期の銀座を舞台に2人のジャズピアニストの運命が交錯し大きく狂い出す一夜を描いたドラマ。「素敵なダイナマイトスキャンダル」の冨永昌敬監督が、ミュージシャン・南博の回想録「白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編」を大胆にアレンジして映画化した。

昭和63年。銀座のキャバレーでピアノを弾いていたジャズピアニスト志望の博は、謎の男からのリクエストで“あの曲”こと「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏する。しかし“あの曲”をリクエストできるのは銀座を牛耳るヤクザの親分・熊野会長だけで、演奏を許されているのも会長お気に入りのピアニスト・南だけだった。未来に夢を見る博と、夢を見失ってしまった南の運命は絡みあい、多くの人々を巻き込みながら事態は思わぬ方向へと転がっていく。

共演には仲里依紗、森田剛、高橋和也、クリスタル・ケイ、松尾貴史ら個性豊かな顔ぶれがそろう。

映画.comより引用

映画はノンシャランでいいのだ!?

池松壮亮演じる博は音楽の勉強をしているピアノは上手いが肩に力が入っている。師匠に「ピアノはノンシャランでいいんだ。キャバレーに行くと勉強になるぞ」と言われ、銀座の街に潜り込むことになる。しかし、キャバレーの客は全然曲を聴いてくれない。店の人もジャズをわかっていない。悶々とした日を過ごす彼の前に、ヤクザのような男が現れる。意外にも音楽の造形が深い彼と親密になる。ここで彼がリクエスト。

「『ゴッドファーザー 愛のテーマ』を弾いてくれ!」

なぜか上司に止められるが、客からのリクエストだからと弾く。しかし、これにより運命の歯車が乱れる。実はこの曲は”ある人物”しかリクエストできず、”ある人物”しか弾いてはいけない銀座の掟があったのだ。ノンシャランに破ってしまった博は、右も左も分からず夜の銀座を彷徨い歩くのである。

本作はジャズピアニスト南博の回顧録を映画化したものだ。てっきりサスペンス小説の映画化だと思ったら回顧録の映画化で驚かされる。そして映画を追っていくと、なぜか池松壮亮がふたりいることに気付かされる。実は、本作は彼が二役演じており、もう一つの役は銀座で唯一『ゴッドファーザー 愛のテーマ』を弾くことが許された男・南なのである。この構成が実に面白い。キャバレーに潜り込んで銀座である程度の地位を獲得していく時間の流れを、南/博、ふたつを同時共存させることによって一夜に凝縮。それは円環構造のような役割を作品に与え、味わい深い映画となっている。映画を観慣れた観客は、時間軸をいじったトリック映画なのかと思うだろう。一年に数本程度、映画を観る方は何が起きているのか困惑するだろう。でも映画を観終わってみると、エニグマのような高難易度パズルではなく、ノンシャラン自由な作劇によって観客を振り回していただけだと判明する。

日本だとアニメでやりそうな形而上演出も飄々とやってのける。4階から落ちたのにピンピンしているし、死んだはずのヤクザたちがむっくり起き上がり、南の葛藤を代弁したりするのだ。それを『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』の神業ともいえる長回しを演出した撮影監督・三村和弘がバッキバキに決まった構図、寺山修司や鈴木清順的色彩の中、芳醇な作品へと仕上げていく。特にラジカセがゴミ溜めに落下するシーンがカッコ良すぎて思わず涙した。

久々に映画を観るとはこういうことなんだなと思い知らされたのであった。オススメしていただいた方に感謝しかない。

P.S.冨永昌敬は恐らく、『シモーヌ・バルベス、あるいは淑徳』に影響を受けているだろう。キャバレーの雰囲気、縄跳びを突然し始める異様さなどは本作譲りだと感じた。

※映画.comより画像引用