アノマリサ(2015)
Anomalisa
監督:デューク・ジョンソン、チャーリー・カウフマン
出演:デヴィッド・シューリス、ジェニファー・ジェイソン・リー、トム・ヌーナンetc
評価:70点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
最近、チャーリー・カウフマン作品を集中的に観ている。『アノマリサ』はアカデミー賞長編アニメーション賞にノミネートされた成人向け作品で、ストップモーションアニメにもかかわらず生々しい性行為が描かれていることで話題となった作品だ。日本ではとあるアニメ映画祭で上映されたものの、字幕が間に合わなかったらしく英語での上映となった。当時、よく分からない映画というイメージが強かったのだが、改めて観るとチャーリー・カウフマンの一貫した自己を掘り下げていくような内容であった。
『アノマリサ』あらすじ
「エターナル・サンシャイン」「マルコヴィッチの穴」などで知られる鬼才脚本家チャーリー・カウフマンが監督・脚本を手がけた、大人向けのストップモーションアニメ。クラウドファンディングで集めた資金で製作された異色のR15指定作品ながら、その独創性が評判を呼び、第88回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされた。カスタマーサービス界で名声を築き、本も出版しているマイケル・ストーン。私生活でも妻子に囲まれ恵まれた人生を歩んでいるかに見えたが、本人は自分の退屈な日常に不満を募らせていた。そんなある日、講演をするためシンシナティーを訪れたマイケルは、そこでリサという女性に出会う。長い間、すべての人間の声が同じに聞こえていたマイケルは、「別の声」を持つ彼女と特別な夜を過ごすが……。「ハリー・ポッター」シリーズのデビッド・シューリスが主人公マイケル、「ヘイトフル・エイト」のジェニファー・ジェイソン・リーがリサの声を演じ、マイケルとリサ以外の登場人物の声すべてを「脳内ニューヨーク」のトム・ヌーナンが担当。
無関係な他者は同じ顔をしている
『マルコヴィッチの穴』は、他者を纏うことにより性別による制約を取っ払い自己を拡張することができる世界を描いており、まだインターネットでアバターやハンドルネームを使って異なる自己を提示することが一般的でない時代によく思い付いたなと驚かされる。また、本作はジョン・マルコヴィッチが自分の中に入ることにより混沌とした世界へと迷い込んでしまう描写があるのだが、これは自己を捉え続けると精神的に辛くなる現象のメタファーとして機能しているように見え、そのユニークかつ的確な表現に惹き込まれた。チャーリー・カウフマンは一風変わった映画を作り続けているが、「自己」とは何かを一貫して捉えている。ベルイマン『仮面/ペルソナ』のような映画を作っている作家と補助線を引くと、『アダプテーション』や『アノマリサ』が地続きにある作品だと分かるだろう。
『アノマリサ』は、ある心理状況の具現化したような作品であり、抽象的なものを具体的に描く手法としてストップモーションアニメが使われている。我々は街へ繰り出すと多くの人と接する。ただ通りすがる人もいれば、コンビニやタクシーで軽く話したりする。だが、その多くは数日も経てば顔を忘れてしまうであろう。人は興味関心がなければ他者のことは覚えていないのだ。本作の主人公は心が冷め切っており、他者への関心を失っている。家族ですら自分の領域外へ押しやってしまっているためか、声も顔も同じに見える。出張先で、虚無を抱えながらタバコを吸い、酒を飲み、温度調整が上手くいかないシャワーにイラつく。そんな虚無の自分を投影するかのように隣のビルでマスターベーションに励む男を目撃して気まずくなる。
そんな彼の前に珍しく異なる声を持つ女性の面影が通り過ぎ、彼女に救いを求めるように接するようになる。だが、段々と彼女の仕草が気になってきてしまう。これは、虚無に生きる男が救いを求める中で、とある女性に惹かれる一方で、彼女を神聖化し自分のイメージに押し込めてしまう状況を示している。彼女が外部に晒されることで自分の理想から遠のいてしまうのを阻止しようと、部屋に連れ込む場面がある。廊下が真っ暗となる中、なんとか部屋へと押し込み、外部からの音を遮断するように彼女に迫る場面は彼女をモノとして扱ってしまう様を象徴しているように見える。それを考えると「桃太郎」を歌う機械仕掛けの日本人形の意味もなんとなく分かってくる。彼が求めていたのは人間の温もりではなく、自分を癒してくれる存在であり、そういう存在を求めることは人間をモノとして扱っていることなのではないか。だから映画はある種風刺として日本人形を彼にあてがうことで幕を閉じる。実はチャーリー・カウフマンは鬱映画作家であることに気づいたのだが、この人形の使い方が凶悪驚愕であった。
※映画.comより画像引用