BANEL & ADAMA(2023)
監督:ラマタ=トゥライェ・シー
出演:Khady Mane,Mamadou Diallo etc
評価:50点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第76回カンヌ国際映画祭に見慣れない名前の監督作があった。ラマタ=トゥライェ・シーはフランスの名門映画学校ラ・フェミスの脚本学科出身の方で本作が長編デビュー作となっている。フランス系セネガル人監督が最近国際映画祭の舞台で注目されているが、彼女もその一人。本作はセネガルの村を舞台にした作品となっている。こう聞くと、ちょっとモヤっとするものがある。微妙に当事者でないものがルーツである場所に行き、傾向と対策の映画を撮ってしまっているのではないか。当事者目線で観たら浅い映画になってしまっているかもしれないし、カンヌ側としてはアフリカ映画枠といった雑な括られ方で受容されてしまうのではないか。実際に映画を観ると案の定であったものの、意外と興味深い視点も多い作品であった。
『BANEL & ADAMA』あらすじ
A young couple in Senegal must contend with the disapproval of their remote village.
訳:セネガルの若いカップルは、人里離れた村の反対と戦わなければならない。
セネガルから生まれたセカイ系
感傷的な音楽、やわらかい質感の画の中で愛し合うバネルとアダマが描かれる。バネルの夫が死に、本当に好きだったアダマと結婚することになる。だが、村のしきたりでアダマは村長にならないといけない。でも彼はそれを拒絶する。ふたりは伝統に縛られず聖域の中で暮らしたいと思うが、これをきっかけにアダマは村八分のような状況になる。また、この決断が呪いとなってから干ばつが発生し、村に死をもたらしていく。
映画は伝統のグロテスクさを魅せていく。マスゲームのように土を耕す様、動物を残酷に殺していく様子を通じて。通常、この手の映画では村八分の描写が強烈に描かれていくのだが、妙なことに段々とバネルとアダマ以外の存在が希薄になっていくのだ。これを踏まえると新海誠映画のようなセカイ系に近い作品だといえる。バキバキに決まったフォトジェニックな構図の中で、世界が崩壊しても二人の愛や葛藤は強固だと語るアプローチに共通点を見出した。とはいっても、確かにルーツはセネガルにあるとはいっても、部外者がアフリカの地へ入り込んで伝統を否定し破壊をもたらす映画を作るのはかなりグロテスクなように見えるし、動物を殺すシーンをわざわざ見せつけて「グロテスクでしょ」と言わんとするのは露悪的にも程がある。やるのであればマティ・ディオップ『アトランティックス』や団地ホラー『呪術召喚』のようにアフリカへの望郷、郷愁を漂わせるアプローチでやった方が良かった気がする。
※MUBIより画像引用