そんなの気にしない(2021)
原題:Rien à foutre
英題:Zero Fucks Given
監督:ジュリー・ルクストレ、エマニュエル・マレ
出演:アデル・エグザルコプロス、ジョナサン・ソウドン、ジャン=ブノワ・ユジョー、マーラ・タキン、アレクサンドル・ペリエetc
評価:75点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第13回マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルにてグランプリを受賞したフランス映画『そんなの気にしない』がAmazon Prime Videoにて配信されていたので観てみた。フライトアテンダントの日常を生々しく描いた作品であった。
↑執筆風景
『そんなの気にしない』あらすじ
格安航空会社の客室乗務員をしている26歳のカサンドラ。マッチングアプリ「Tinder」でのユーザーネーム「Carpe Diem(今を生きる)」に忠実に、フライトからフライトへ、パーティーからパーティーへ、日々を生きている。しがらみのない生活に心を満たされていると思っていたが、ある災難がきっかけで、地に足の着いた世界と再びつながることを余儀なくされる。果たして彼女は、心の奥底にしまいこんだ痛みと向き合い、置き去りにした人々のもとに戻ることができるのか…。
※Filmarksより引用
不自由の中の自由を求めて
フライトアテンダントと聞くとどのようなイメージを持つだろうか?
就職活動の際、合同説明会にはキラキラ輝いた人が夢を持って集まっていた。最高峰のサービス業の一つとして、また世界を飛び回れる楽しい仕事として我々の目に映ったであろう。そんなフライトアテンダントのイメージを覆す映画が『そんなの気にしない』である。自由なようで不自由な仕事、そして狭まるキャリアに対する不安を痛々しく描いた本作は、20代終盤に差しかかった私の胸にロンギヌスの槍を突き刺すようなインパクトを与える。
主人公は格安航空会社でフライトアテンダントをしているカサンドラ(アデル・エグザルコプロス)だ。ミーティングでは、厳しい成果が求められており、仲間から「売上をチーム全体のものにしよう」と打診され、彼女はムッとする。
飛行機に乗れば、戦場だ。50ユーロもする化粧品をマダムに1つや2つ売りつける。暇さえあれば、専用端末で売上達成額を確認する。中には、厄介なお客さんもいる。例えば、勝手に席を移動する者。会社の規約に違反し、搭乗できない者。そういった者を「規約」を盾に封殺していく。ひとり許してしまえば、他のフライトにも影響を与える。社会の歯車として、例外を出してはいけないのだ。そうはいっても、フライトアテンダントはロボットではない。人間対人間のやり取りである。横暴な態度を取り、ビール代を払わない客を許容してしまうのだ。
また、フライトアテンダントは世界を飛び回れるとはいっても自由はない。電話がかかれば招集される。自由ない状況において、刹那な空き時間を「自由」と扱い、観光地の顔をした場所やクラブを彷徨う。食欲、アルコール欲、そして性欲に溺れて自己を保とうとするのである。
そんな彼女にもキャリアの危機が生じ「空の世界から降りる」状況が訪れる。疎遠になっていた知り合いや家族と対峙する。地に足のついた仕事をしている者の影がチラつく。彼女の、地上の仕事に適用しようとはしてみるが、どこか距離感がある。フライトアテンダントとして、不自由の中の自由さに適応してしまった身として、地上は息苦しいのである。
そして、「フライトアテンダント」という磁場に吸い付くように、再び面接を行う。
本作は、単に会社のルールに縛られ、その中で成果を出す中で生じる人間味を失った活動を指摘する資本主義批判の映画に留まらず、そこから一歩踏み出している作品といえる。彼女は確かに行き当たりばったりな人生かもしれない。しかし、フライトアテンダントとして生きていく中で、環境に順応した姿が彼女なのである。環境に順応した20代後半から新しい世界に飛び込めるのか?それは陸上動物が水中で生活しろと言われて、そう簡単には難しいことと同義である。それを、フライトアテンダントとしてのフワフワキラキラした空の世界とどんよりとした地上の生活との対比で描く。ここに鋭さを感じた。
一方で、ラストに取ってつけたかのコロナ禍描写は雑に思える。やるなら、物語中盤からやるべきだと感じたし、折角カサンドラが鼻マスクしている描写から「一定のシステムの中、自由でありたい個人」が滲み出ているだけに残念な描写だったと思う。
※MUBIより画像引用