殺しを呼ぶ卵(1968)
LA MORTE HA FATTO L’UOVO
監督:ジュリオ・クエスティ
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン、ジーナ・ロロブリジーダ、エヴァ・オーリン、レナート・ロマーノetc
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
強烈なヴィジュアルが特徴の『殺しを呼ぶ卵』が新宿シネマ・カリテで公開されたので観てきた。
『殺しを呼ぶ卵』あらすじ
「情無用のジャンゴ」で知られるイタリアの鬼才ジュリオ・クエスティが、巨大養鶏場で繰り広げられる愛憎劇を通して資本主義社会の非情と人生の虚無を描いた猟奇サスペンス。
ローマ郊外にある巨大養鶏場。社長マルコは業界の名士として名を知られていたが、経営の実権と財産は妻アンナに握られている。マルコは同居しているアンナの10代の姪ガブリと愛人関係にあり、妻への憎しみを女性へのサディズムで発散していた。やがて3人それぞれの隠された欲望が暴かれ、事態は予測不可能な方向へと転がっていく。
「男と女」などの名優ジャン=ルイ・トランティニャンがマルコ、「わらの女」のジーナ・ロロブリジーダがアンナ、「キャンディ」のエバ・オーリンがガブリを演じた。1968年の初公開時に世界配給された国際版ではカットされた残酷描写などを含む「最長版」を、2022年12月より劇場公開。
数として消費する者は、形ない存在の眼差しに怯える
「映え」な画と意味ありげな音が飛び交う。しかし、行間が広すぎる断片的ともいえよう会話、画が先行しているかのような繋がらない展開に困惑する。しかし、映画を追っていくと資本主義批判であることが分かる。なるほど、これはジャン=リュック・ゴダール『ヌーヴェルヴァーグ』にゴア描写を足したような作品かと思う。
社長は鶏、労働者を搾取し、会社の成長のために利益を上げようとする。彼らを「個」としての存在から切り離し「数」として扱うことで酷いことができるのだ。その酷さを隠蔽するための方法として、営業マンが広告戦略を伝授する。鶏をキャラクターとして打ち出し、擬人化としてあらゆる概念に刷り込んでいくものであった。しかし、現場では鶏は檻に入れられ、狭い筒に入れられ、残忍は方法で裁かれていく。その残忍さは広告によって隠されていく。
このように他者を消費していく存在である社長にも人間としての良心があり、本作におけるサスペンスはその葛藤に歩み寄ったものとなっている。個を群として扱うことで、存在の輪郭が見えなくなり得体の知れない恐怖として社長の心理を蝕む。落下する鈍器、感じる眼差し、虚実曖昧になって現出する狂気の像が恐怖を醸造させていくのだ。
映画は、彼が闇落ちした世界として品種改良し過ぎてグロテスクな存在となった鶏が登場する。周囲の人は利益追従のため、そのグロテスクさに耐えられるが社長はそこに迷いが生じる。まさしく資本主義の闇に堕ちつつある人間の葛藤の象徴といえよう。ゴダール『ヌーヴェルヴァーグ』が資本主義の中で冷たくなった人間の中にある微かな良心に歩み寄っていた。本作も悪趣味な描写を通じてその観点に歩み寄っており、いい意味で予想を裏切る作品となっていた。
※映画.comより画像引用